第4話

 カーテンの隙間から差し込む光の眩しさで目を覚ました私の頭には、ある「言葉」が浮かんでいた。

 すなわち、


「楽園に至る道のりは果てもなく遠く、しかしその過程には確かに青い春がある」


私が呟き終わると同時に、枕元に置かれていたタブレットが起動した。


『メインシステムを起動しますか?』


 真っ黒な画面には、白文字でそう書かれていた。その横には、

 ……Y/N

 YESを選択する。


『serial experiments Epiphyllum ver.Mを起動します』


 文字が消えると同時に、夢で見た電車内と酷似した画面に切り替わった。

 それからややあって、画面外からぴょこっと、小学生くらいの可愛らしい黒髪の女の子が現れた。


「はじめまして? ですよね?」

 女の子は画面の中から私に向かってそう言った。

「私の名前はセリアです。よろしくお願いします!」


 ニコニコ笑顔でそう自己紹介した彼女だったが、私が黙っていると心配そうな表情へと変わった。


「あれ? 私の声聞こえてますよね? もしもーし?」

「ひょっとして、私に話しかけてる?」

「あっ! そうですそうです! 聞こえてたんなら返事してくださいよ~」

「ご、ごめんね? 君はAIか何かなの?」


「私はベツレヘムの星の管理者です!」

「そうなんだ。セリア、っていったかな?」

「はい!」

「私は、このタブレットのロックを解除したってことで合ってる?」

「そうですよ? 先程パスワードを言ったじゃないですか」


 無意識の内に呟いた言葉がまさかパスワードだとは思わなかった。

 軽く混乱している私をよそに、セリアはこう続けた。


「先程ので声紋登録は済みましたが、指紋認証がまだなのでホームボタンを触ってもらってもいいですか?」


 言われ、ホームボタンに人差し指を置く。


「これでいい?」

「はい! バッチリです! これで次回以降の起動時は、指で触れるだけで起動します!」

「え、と……ベツレヘムの星っていったっけ?」

「はい! それがこの端末の名前です!」

「これはどういったものなの?」

「マスターのお仕事をお手伝いするものです!」


 満面の笑みでそう言われるが、いまいち要領を得ない。それに、いつの間にかマスターとなっているのも気になった。


「マスターってのは置いといて、君は何ができるの?」

「大体なんでもできますよ?」

「そっかあ……」


 なんでもと言われてしまうと返す言葉がない。

 言い方は悪いが、所詮は管理AIということだろう。難しい概念は理解できないのかもしれない。

 これがオーパーツとは、昔の人間は何を思って作ったのだろうか。現時点では、とてもではないが用途がわからなかった。


「困ったことがあればなんでも聞いてください!」

「機会があればそうさせてもらうよ」


 と、そこで寝室の扉がノックされた。


「行政官、起きていらっしゃいますか」

「起きてるよー」

「失礼します」


 声と同時に入室してきたカンナは、制服に着替えて朝の準備をバッチリと終えていた。

 今からでも仕事に向かえる様子で、寝癖をつけた私とは対照的だった。


「おはよう、カンナ」

「おはようございます。朝食の準備ができましたので呼びにきました」

「朝ごはん作ってくれたんだ。ありがとう」

「いえ、簡単なものですから」


「というか、材料なんてあった?」

「下のコンビニで調達してきました」

「なるほどね。顔を洗ってくるから、戻ったら一緒に食べよう」

「はい。お待ちしています」


 洗面所に行き顔を洗い、手早く歯を磨いて寝癖を梳かす。

 そうして最低限の準備を終えて執務室へ行くと、休憩用のテーブルにトーストと目玉焼きが置かれていた


「おー、美味しそうだね」

「その、行政官の好みがわからなかったものですから、こういったものになってしまいましたが、大丈夫でしたか?」

「うん。私は特に好き嫌いはないしね」

 そう言うと、カンナはホっとした様子を見せた。

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」


 トーストをかじり、咀嚼した後に、これまたカンナが淹れてくれたコーヒーに口をつけると、明らかにインスタントとは違う味わいに気づいた。


「ん、さてはこのコーヒーインスタントじゃないね?」

「そうです。わたしはよくコーヒーを飲みますので、私物という扱いでコーヒーマシンを持ち込ませていただきました」

「やっぱり。ということは豆から淹れてるってことだよね?」

「はい。違いに気づいていただけて嬉しいです」


「私もよくコーヒーは飲むからね。といっても、砂糖とミルクですごい甘くしたやつなんだけど」

「ああ、すみません。今ミルクと砂糖をお持ちします」

「いやいや、大丈夫だよ。たまにはブラックもいいものさ」

「そうですか? 次からは砂糖とミルクを用意します」

「うん、ありがとう。ところで、今日の予定は?」


「本日の予定は設備見学のみとなっています。午前中には終わるかと思いますので、それ以降の予定は行政官に組んでいただく流れかと」

「了解。今のところ仕事は入ってないって感じだね。そしたら、街の方を見に行こうかな」

「わかりました」


 幸いにしてお互い荷物の多い方ではなかったので、荷物整理の類は昨晩の内に終えている。

 レドの業務内容から考えて、今日一日は、私がエピフィルムに慣れるための予備日という形で仕事を少なくしてくれているのだろう。

 マリアの厚意にあずかって、今日は昨日できなかった観光でもしようかな。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま。朝食をつくってもらったし、お皿は私が洗ってくるよ」

「いえ、そんな! わたしは行政官の補佐なのですから、それくらいわたしがやります!」

「そ、そう? それじゃ、お願いしようかな?」

「はい。すぐ終わらせますので、行政官は着替えなどをなさっていてください」

「わかったよ、ありがとう」


 お堅い雰囲気に反して、カンナは意外と尽くす系なのかもしれない。

 なにはともあれ、せっかく皿洗いまでやってくれているのだから待たせるわけにいかない。


 再び私室へと戻った私は、ビシッと糊の効いたシャツを着て、レドのロングコートに袖を通す。

 これからはこの純白のコートがレドの象徴となるだろう。学生達の手本となるような行動を取らなければならないと思うと、身が引き締まる思いだった。


「おまたせ」

「ちょうど洗い終わったところでした」

「そっか。それじゃ、設備の案内をしてもらおうかな」

「はい。と言っても、主だった設備は館内案内に書かれている通りとなります。特筆してご説明が必要なのは、『クラフトデバイス』でしょうか」

「ひょっとして、またオーパーツ?」


「ご明察です。どういった使用目的の元作成されたのかが不明となっていまして、使用はおろか、起動すら成功した試しのないものです」

「つい最近もどっかで聞いたような説明だなあ。マリアはどうしてそんなものを私に渡したんだろう?」

「生徒会長のお考えはわたしにはわかりかねますが、恐らく、行政官が〝外〟の人間であることが関係しているのではないかと」


「うーん……そういえば、昨日貰ったタブレット今朝起動できたよ?」

「本当ですか?」

「うん。ベツレヘムの星っていうらしいんだけどね、管理AIとちょっとお話したんだ」

「なるほど……であればやはり、クラフトデバイスも行政官であれば起動できるかもしれませんね。見に行ってみましょう」


 エレベーターに乗り、1階まで降りた後、運搬用の大きなエレベーターに乗り換えて地下まで潜る。

 階数表示がなされないので正確な階数はわからないが、体感では地下5階程度だろうか。


 エレベーターが止まると、冷たい無機質の廊下が続いていた。

 その奥には分厚い隔壁があり、扉の横には生体認証デバイスがあった。


「申し訳ありませんが、わたしはこれ以上先には入れない決まりとなっていますので、ここから先は行政官お一人でお願いいたします」

「ずいぶん仰々しいんだね」

「オーパーツですので、特殊取り扱い規定となっています」


 生体認証デバイスは掌紋で認証するタイプだったので、掌をベタっと貼り付けると、空気の抜ける重たい音と同時に隔壁が開いた。

 パ、パ、パっと音を立てて証明が点灯する。

 並の倉庫ほどはありそうな広大な敷地の中央に、円形のリングがついたゲートのような巨大な装置と、その横に設置された操作端末のようなものがあった。

 両方とも、明かりがつきそうな部分はあったが、暗く消灯している。電源がついていないのだろう。


「電源が入ってないんじゃどうにもならないよな」


 軽く触ってみるが、やはり反応がない。クラフトデバイスという名前から推察するに、何かを作成する装置なのだろうが、このままでは確認のしようもなかった。

 諦めてカンナのもとまで戻ろうとしたら、


「お困りのようですね、マスター!」

 懐に入れていたベツレヘムの星から声が聞こえてきた。

「セリア?」

「はい! その装置、起動できますよ?」

「本当に?」

「はい! 起動しますか?」

「うん、起動してもらえる?」

「ちょっと待っててくださいね。このコードをこっちと繋げて……あれ? こっちだったかな? まあいいや……」


 なんだか不安になる言葉が聞こえたような気がしたが、待っていると、ものの数十秒で先程まで完全に沈黙していたクラフトデバイスに火が入った。


「これは……」

「材料を入れていただいて、指定された時間待つと物品が作成される装置のようですね!」

「なるほど?」

「ちょうど近くに材料があるみたいですし、試しに一つ作ってみませんか?」


 材料というと、装置の横に積まれている鋼材のことだろう。


「そうだね。これをゲートの真ん中に置けばいいのかな?」

「はい! 置いていただければ、後はこちら処理します!」

 人の身には少々重すぎる鋼材を何個かゲートの中央に持っていくと、

「うーん、これはこうして、こうかな? えい!」


 セリアの掛け声と同時に、置かれていた鋼材が光の粒子となってゲートに吸収されてしまった。それと同時に、リングがグルグルと回りだした。


「製造完了までの時間は3時間ですね。完成したら指定の場所に転送もできるようですが、どうしますか?」

「とりあえずここに保管で。オーパーツとはいえ、流石にちょっと不思議が過ぎる」

「わかりました!」


「それにしても、実はセリアってすごい子だったりする?」

「そうですよ? 信じてなかったんですか?」

「ごめん。AI特有の会話が成立しないやつかと思ってた」

「酷いです! 私はちょーこーせーのーAIなんですよ? なんでもできるんです!」

「ごめんごめん。今度からしっかり頼らせてもらうから」

「はい! セリアにお任せください!」


 あまりカンナを待たせるのも悪いと思い、急いで彼女のもとまで戻ると、


「どうでしたか?」

「起動できちゃった」

 そう答えると、カンナは少しわかりづらいが嬉しそうな顔を見せた後、

「流石はわたしのパートナーです」

 と言った。


 パートナーとはどういう意味だろう、と思ったが、この時の私はまあいいやと流してしまった。それが後にあんなことになるなんてこの時は思いもしなかったのだ。

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