第14話

 今日は退院したカンナとクレハを伴ってレドへと帰還する日だった。

 行きの列車ではカンナと二人だったので、帰りは賑やかになるかなと思っていたのだが、


「わたしの目の前で行政官とベタベタするのはやめていただきたい。はっきり言って、不愉快です」

「あら、メス犬が何か言っているようですが、人間様には聞こえません。ね、貴方様?」

「いちいち癇に障る……! 何が貴方様ですか。あなたの方が行政官に媚びているメス猫では?」


 どうやらこの二人はすこぶる相性が悪いらしい。出会ってからというもの、ずっとこの調子だ。


「ふ、二人共落ち着いて……」

「いいえ! この際だから言わせてもらいますが、わたしは彼女の司法取引なんて認めていませんからね?」

「貴方が何を言おうと、旦那様の決定は絶対です」


「言うに事欠いて旦那様? 勘違いもここまでくるとお笑いだ。いつ、誰が行政官と結婚したのかお聞きしたいものですね」

「貴方の知らないところでわたくしと旦那様はそれはもう濃密な時間を過ごしたのですよ」


「はっ! 残念だが、行政官の初ラクトゥスはわたしだ。お前など所詮は二番目に過ぎん」

「くっ! だからと言って、正妻の地位はわたくしであることに変わりはありません!」

「何が正妻だ。状況証拠的に第一夫人は私に決まってる」


 とてつもない既視感だった。二人は出会ってからずっとこの調子だが、最終的にどっちが先にラクトゥスをしたかでカンナがマウントを取り、悔しがるクレハが私に助けを求める。


「貴方様! 正妻はこのクレハであるとこの女に言い返してやってください! わたくし、とても悔しいです!」


 やっぱりだ。この流れはすでに今日3回目だ。もはや天丼と言ってもいい。


「勘違いしてたらいけないから聞きたいんだけど、誰と最初にラクトゥスしたかってそんなに重要なの?」

「「当たり前です!」」


 声を揃えて言う二人の迫力にやや気後れしながらも、私は以前から気になっていた疑問をぶつけることにした。


「どうも、私と君達とではラクトゥスに関する認識が違うみたいなんだけど、ラクトゥスって単純に戦闘能力向上のための手段じゃないの?」


 そう言うと、彼女達は揃って文字通り絶句してしまった。


「あれ……? 私、なんかマズイこと言っちゃった?」

「……貴方様……あんまり、です……」

「ショック、です……まさか行政官が、そんな、簡単にわたしとラクトゥスしていた、なんて……」

「あんまり、です……あんまりです……! うぅ……!」

「行政官が、そんな、女の敵のようなことを言うなんて……信じられません……!」


 泣き出してしまったクレハの身体をカンナが抱きしめ、慰める。


「ご、ごめん!」

 私はといえば、ひたすらに謝ることしかできない。

 泣いてる子と非難がましく私を見つめる子。そしてその状況を作り出してしまった私。

 車内はまさに地獄だった。


 クレハが泣き止んでからも、私達の間に会話はなかった。


「少し、お休みをいただきます」

 レドに帰還したカンナがやっと口を開いてくれたかと思ったら、そんな内容だった。

 答えは当然、

「わ、わかったよ。その……ごめんね?」

「薄っぺらい謝罪をされても困ります。では」


 未だガックリと肩を落とすクレハを伴ってカンナは執務室を出て行ってしまった。

 ポツンと一人残された私は、一人で過ごすには広すぎる執務室をひとしきり眺めた後、


「どこで間違ってしまったんだろうか……」


 一人カリカリと書類作業をしてみるも、やはりどこか捗らなかった。

 合間合間にカンナが淹れてくれていた甘いコーヒーが、今は無性に恋しい。


「気分転換でもするか……」


 幸いにして今はまだ昼過ぎだ。シャドウの影に怯える必要もない。遅い昼食をとるのにもちょうどいい時間帯だ。


「でも、その前に……」


 お守り代わりにレドのコートに入れていた煙草と携帯灰皿を確認した私は、屋上へと向かった。


 どういう使用用途が想定されて設計されたのかはわからないが、屋上には都合がいいことにベンチとちょっとしたテーブルが置かれている。

 そこに持ってきた微糖の缶コーヒーを置いて、煙草に火をつけた。


「ふぅ……年頃の女の子の考えることはわからないなぁ……」


 同居しているカンナが嫌がると思って禁煙していたが、流石に今回の一件は堪えた。禁煙を破ってしまうのも致し方なしというところだろう。


「そもそも、〝中〟と〝外〟では常識が違いすぎるんだよなぁ」


 だとしても、まさか泣かれてしまうとは思わなかったが。


 それに、あの冷静なカンナが私に非難する目を向けてくるほどだ。余程のことを私はしてしまったのだろう。

 レドを預かる身として、再発防止に全力を尽くす必要がある。


「まずは原因の究明だよなあ」


 とりあえず市井の調査ということで、私は本屋に行ってそれらしい少女漫画を購入した。


 一人寂しくレドで読む気にもなれなかったので、純喫茶の趣がある喫茶店に入店し、コーヒーを飲みながら読むことにした。


「いらっしゃいませ~」


 入店すると、出迎えてくれたのは年若い少女だった。てっきりナイスシルバーが出迎えてくれるものだと思っていたので、鼻白む私をよそに、少女はボックス席を案内した。


「今のお時間ですとまだランチやってますのでよかったらどうぞ」

「それじゃ、ランチセットを一つ」

「コーヒーは食後にお持ちしてよろしいですか?」

「それでお願いします」

「かしこまりました~」


 待っている間、一冊目を読み進める。


「……これは、私には早かったかな?」


 半分ほど読み進めて気づいた。この本にはラクトゥスのラの字も描かれていない。なぜならBLがメインの本だからだ。


「お待たせしました~。ランチセットです」


 オムライスにサラダ、それからスープがついていた。

 黙々と食べ進め、食事を終えると、バッチリのタイミングで食後のコーヒーが運ばれてきた。


 コーヒーにジャブジャブと砂糖を入れていると、店員の少女が一向に立ち去る気配がないことに気がついた。


「……何か?」

「お客さん、何か悩み事があるんじゃないですか?」


 てっきりコーヒーに大量の砂糖を入れていることを指摘されるものだとばかり思っていたので、その言葉には驚いた。


「わかります?」

「ええ。悩みがある~ってお顔してますもん。私でよければ話、聞きますよ?」

「実は――」


 私は二人の少女とラクトゥスをしたこと、二人の仲が険悪なこと、ラクトゥスがただの戦闘能力向上のための手段だと思っていたが、どうやら違ったらしいことを話した。すると、


「あちゃ~……それはやっちゃいましたねえ」

 と、店員の少女は顔を手で覆った。


「やっぱり、マズかったのでしょうか……?」

「そもそもだけど、お客さんはラクトゥスを勘違いしてますね。お客さんは〝外〟の人間さんってことで合ってますか?」

「そうですね」


「うーん……ならある程度はしょうがないのか。まず私達〝中〟の人にとってラクトゥスってのはある種憧れの存在なわけなんですよね」

「憧れ、ですか。それはどういう?」


「ラクトゥスは〝外〟の人間さんとしか出来ないわけです。けど、〝外〟から〝中〟に来れる人間なんてのは数が限られてる。だから、ラクトゥス出来ずに一生を終える、なんていうのはありふれた話なわけですよ」

「はあ……?」


「それだけならまだしも、ラクトゥスは契約者と心を通わせるわけなので、私達の認識としては本当に好きな人、この人になら自分の一生を捧げてもいい、と思うような相手としかしたくないわけです」

「それは……本当に言ってます?」

「もちろん」


 なんてことだ。私は散歩にでも行くような気軽さでラクトゥスをしてしまったが、彼女達にしてみれば文字通り身を捧げる覚悟で私とラクトゥスを行ってくれていたのだ。


 思い返せば兆候はあったのだ。お堅い雰囲気のカンナがせっせと毎朝私のことを起こしてくれたり、ご飯を作って尽くしてくれた。


 クレハに至っては私のことを旦那様と呼び、自らを正妻と自称し、そうであるように振る舞っていた。


 それら全て、ラクトゥスをしたからだと思えば納得がいく。


「それから、これが一番重要なんですけど……私達にとってラクトゥスは男女のまぐわいとほぼ同様の意味を持ってたりします」

 私は思わず天を仰いだ。


「彼女達からしたら私はとんだクソ野郎じゃないか」

「まあその、そういうことになってしまいますね……」


 つまり、あれほどカンナがラクトゥスをした順番でマウントを取っていたのは、私の童貞を奪ったのは自分だということを主張していたのだろう。

 今やっと、バラバラだったパズルのピースが嵌まった。


「あーでも! ほぼ、ですから! 完全なイコールではないのでまだ巻き返せますよ!」

「いやー無理でしょう。年頃の女の子が相手なんですよ? 無理ですって」

「大丈夫ですって! 一度ラクトゥスをした子は契約を破棄しない限り生涯に渡って契約相手を支え続けるので!」

「いやそれなんのフォローにもなってないですよ……私はどう責任を取ればいいんだ……」


 そんなことを言われてしまえば、ますます彼女達に対して申し訳ない気持ちが募る。


「なんにせよ、しっかりお二人と話し合って、落とし所を見つけることが大事だと思いますよ?」

「そうですね……ありがとうございました。相談してよかったです」


 喫茶店を後にした私は、すぐさまエピトークを起動し、レドのグループで二人に大事な話があるので戻ってきてほしいと連絡を入れた。

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