第13話

 クレハの手を取り、人の流れから外れた公園のベンチに座った。そこで、自販機で飲み物を2つ買い、1本を彼女に渡す。


「なんだか、昨日の焼き直しのようですね」

「そうだね。さて、何から話したものか……」

「ゆっくりで構いません。話せる範囲で、お話しください」


 缶コーヒーのプルタブを開け、ブラックコーヒーを流し込む。それを見て、クレハも狐の面を外し、私が渡したお茶をコクリと飲んだ。


「私が〝外〟の生まれだっていうのは知ってるよね?」

「ええ」

「クレハ達には想像もつかないだろうけど、〝外〟はここほど物がないんだ。本にせよ、おもちゃにせよ、食べものにせよ、ね」

「そうなのですね」


「私はその中でも一等酷い場所の生まれなんだ。明日の保証なんてない、今日食べるものを必死に探す必要がある、そんな場所だ。そこでは生きるためになんでもする必要があった。略奪なんて可愛いものさ。誘拐、密輸、クスリの売買、それから……殺人」

「貴方様もそれを……?」

 私はその問いに、頷くでも否定するでもなく、ただ、

「幻滅したかい?」

「そんなことは……!」


「私にとって生きるとは、文字通り息をして、生命活動を維持するための行動だった。ここの子達みたいに、人生を楽しむっていう概念がなかったんだ。あの時までは、ね」

「あの時、というのは?」

「彼女がね、私のことを見つけてくれたんだ」


 私は生涯あの時のことを忘れることはないだろう。

 生きることに疲れ、生を放棄しようとしたあの時、


「――何か用? 見てわからないかな? 俺《・》今から飛び降りようとしてるんだけど」

 彼女は私の言葉を聞いてか聞かずか、私の横に立った。

「見世物になるつもりはない。消えてくれないかな」

 この時になって、私は初めて「彼女」の方を振り返った。

「……?」


 どういうわけか、彼女の顔は子供がクレヨンで落書きをしたかのように黒く塗りつぶされており、その顔が見えなかった。


「あなたには選択肢が2つあります」

 そんなことを言ったにもかかわらず、彼女は今まさに私が飛び降りようとしている屋上から下を覗き込んで、「高いですねえ」なんて呑気に言ってみせた。

「君は誰なんだ?」


 自分でも馬鹿げていると思った。死のうとしている時に、都合よく、それも顔が認識できない少女が現れるなど、死神以外に何があるというのか。


「秘密です」


 彼女は微笑んだ……ように思う。それがまた、馬鹿にされたような気がして、私はムッとした。


「何をしにきたんだ? 俺を笑いにきたのか?」

「言いましたよね、あなたには選択肢があるって」

「なんの選択肢だ」

「一つは、ここで自ら命を断つ道。もう一つは、生きて私達を導く道」


 意味がわからなかった。自慢じゃないが、私は誰かを導けるような生き方などしてこなかった。そんな私が誰を導けるというのか。


「どちらを選んでも私はあなたの選択を尊重します。どちらを選びますか?」


 結局、私は後者の選択をした。

 彼女は「魔法をかけますね」と言って、私の手を握った。

 途端、私の意識は落ち、次に気がついた時には〝中〟へのチケットと、各種資料が入ったカバンが傍に落ちていた。


 今にして思えば、それから私は例の夢を見るようになったのだと思う。たぶんだけど、夢の中の彼女と私がビルの屋上で出会った少女は同一人物だ。


「……そういえば、最近夢を見ていないな」

「貴方様……?」

「ああ、ごめん。ちょっと昔を思い出しててね」


 クレハからすれば、急に黙りこくってしまった上に、唐突にそんなことを呟けばどうしたのかと心配にもなるだろう。


「まあ、いずれにせよ私はそういう人間だから。実はあまりクレハ達に偉そうなことは言えないんだよねえ」

「いいえ、少しだけですが、貴方様の過去を知れたこと、嬉しく思います」

「そうかな? なんか湿っぽい空気にしちゃって申し訳ないね」


 レドに着任してから、あの時出会った少女が誰だったのか折りを見て調べているが、最も可能性が高いと思っていた連邦生徒会の所属学生一覧には彼女らしき存在はいなかった。


 最初はマリアだったのではないかと思ったが、彼女には初対面の際にはっきり違うと否定されている。


 では一体、誰が私を〝中〟に呼んだのか。


 あの時手にした〝中〟行きのチケットはおいそれと偽造などができないよう厳重な審査の上で発行されるものだ。


 例外として連邦生徒会長が行政権を使い発行することができるらしいが、記録上ではマリアが〝中〟行きのチケットを発行した形跡はなかった。


 このエピフィルムにおいて、私という存在は酷く歪だ。にもかかわらず、住民の大半が私の存在を受け入れている。何か見えない力でも働いているのでは、とすら思う。


「あ、花火……」


 再び思考の海に潜りかけた時、ドンッドンッという火薬の爆ぜる音が私を現実に引き戻した。


「綺麗だね」


 いつの間にか、フェス1日目の締めくくりである花火大会の時間になっていたようだ。

 やや遠目ではあるが、十分大輪の花がよく見えた。


「花火には、悪いものを祓う効果があるようですよ?」

「そうなんだ? 知らなかったよ」

「人は色んな失敗をして大人になっていくのですよね? 貴方様の過去をなかったものにすることはできませんが、今をどう生きるか、それこそが大事なことだと愚考いたします」

「参ったな、今度は私が言われる番になっちゃったか」

「わたくしは、貴方様の言葉に救われましたから」


「私のは失敗っていうにはちょっと大き過ぎる気がしないでもないけど、そうだね。少なくとも、私は自分で選択して今ここにいる。なんとかクレハ達に格好良いと思ってもらえる大人を演じるよ」

「わたくしの前では、演じる必要はございませんよ?」


 そう言ってしなだれかかるクレハの頭を優しく撫で、


「ダメだよ。みんなに平等に接しないといけないからね。クレハだけ特別扱いするわけにはいかないさ。ほんとはさっきの話だってするつもりはなかったんだ。今日は特別」

「ではその特別、しっかりと記憶に焼きつけますね」

「花火みたいにパッと消えてほしいなあ、その記憶」

「無理です♡ もう覚えてしまいましたから」

「そっかあ」

「はい」


 私達は二人、ベンチに座って花火が終わるまで眺め続けていた。

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