第6話
「君は……」
まず目に入ったのは鮮やかな装飾が施された狐の面。
それから、艶やかな黒髪と赤い瞳、それから大きな狐耳が印象的な少女だった。スラリと伸びた手足に、程よい筋肉と脂肪で構成された身体は、どこか野性的な匂いを感じさせた。
「お初にお目にかかります、行政官。わたくしはレイレード独立中央学園所属の狐井クレハと申します。以後、お見知りおきを」
そう言ってたおやかに腰を折るクレハ。しかし、その所作のどこにも隙は見当たらず、こちらを警戒しているのは明白だった。
「私のことを知っているんだね」
「当然です。連邦生徒会長がわざわざ〝外〟から招聘した人間ですもの。ずっと遠くから見ていたのですよ?」
「それはちょっと恥ずかしいな。私、変なこととかしてなかったよね?」
「変なこと、というと……綿貫カンナとラクトゥスをしたことなど、でしょうかね?」
「うん?」
ラクトゥスは変なことに含まれないと思うのだけど、いかんせん狐の面をしているせいで彼女の表情が読み取れず、どういう意図で発言したのかはわからなかった。
「正直、嫉妬で狂いそうになりました。貴方様の初めてはわたくしがいただくはずでしたのに。それをどこの馬の骨とも知れぬメス犬に盗られるとは思ってもみません」
「えーと……ラクトゥスの話、をしてるんだよね?」
「それ以外になにか?」
「うん、そうだったね」
ますます話がわからない。ひょっとして私が知らないだけで、彼女たちにとってラクトゥスは戦力強化以外に何か重大な意味を持つものだったりするのだろうか。
「ところで君は、連邦生徒会が所持している過去の文献とオーパーツを要求しているって話だったけど、私とお話ししていていいのかい?」
「構いませんよ。それは第二目標ですので。どちらかというと、誰の邪魔も入らない場所で、貴方様とお話しをするために事を起こしたようなものですから」
コツコツと、ブーツを鳴らしながらこちらに近づいてきたクレハは、私の顔の前に人差し指を立ててこう続ける。
「端的に、今の連邦生徒会は深刻な人手不足にあります。そんな中、お一人では身の安全が保証できない貴方様をお守りするために綿貫カンナを出向させました。そこに、カラード各地で騒動を起こせば、深刻な人手不足である連邦生徒会が彼女を呼び戻すのは見えていました」
コツコツと音を鳴らしながら私の身体の隅々を舐め回すように見ながら、クレハは続ける。
「しかし、貴方様は連邦生徒会長がわざわざ〝外〟から招聘するほどの重要人物。貴方様の安全も当然確保する必要があります。そうなれば、レドの地下深く、頑丈なセキュリティに守られたここに身を隠す、と。簡単な予想です」
「なるほどね。クレハはそこまで予想してここに張っていた、ってことか」
「そうです。ここであれば、連邦生徒会が秘匿するオーパーツも目にすることができますし、貴方様と秘密のお話をすることもできる。まさに一石二鳥」
「そうまでして目にしたオーパーツの感想はどうかな? 一応、クラフトデバイスっていうみたいだけど」
クレハはその問いには答えず、代わりに、
「連邦生徒会長は貴方様に大きな隠し事をしています」
と、私の耳元で小さく囁いた。
「……彼女も責任ある立場の子だ。ある程度はしょうがないんじゃないかな?」
「世の中には、しょうがないで済まされない事もございますよ」
「それはそうだね。けど、私はマリアを信じるよ」
「……理由をお伺いしても?」
「私は大人だからね。子供のことは信じることにしているんだ」
「……ふふふ……あはははははっ! 貴方様はお優しいのですね。わたくしの見込んだ通りのお方です。ですが貴方様。今の状況はもしわたくしに害意があれば、貴方様のお命は簡単に消し飛んでしまうことは理解されていますか?」
「そんなことは起きないさ」
「それはなぜ?」
「だって、クレハのことを信用しているから」
そう答えると、彼女はゾクゾクと身震いさせたかと思うと、その腕で自らの身体をかき抱いて、
「ええ、ええ……! 貴方様はそういうお方ですものね……!」
喜んでくれたようで何よりだ。そう思っていると、私のスマホが震えた。
見ると、カンナからの連絡だった。
「もしもしカンナ? どうしたの?」
『いえ、わたしが担当している現場の鎮圧が完了しましたので、今レドに向かっているのですが、何事もないかと思い連絡しました』
「うん、大丈夫だよ。カンナも疲れてると思うから、到着はゆっくりでいいからね」
『わかりました。それでは、後ほど』
「今の聞こえてた?」
「ええ、しっかりと」
「なら話は早い。カンナと鉢合わせるのはマズイよね? 私はここから出られないから、急いでエレベーターに乗って脱出するんだ」
「ふふ、心配せずとも、そのつもりです。ですがその前に……」
クレハは狐の面を外した。お面の奥に隠されていた顔は、話し方や雰囲気に反して存外可愛らしい顔立ちだった。
ふむ、これはこれでギャップがあっていい。なんて感想を抱いていたら、いきなり抱きつかれた……だけでなくキスまでされてしまった。
「クレハ……?」
「これは今日、ラクトゥスができなかった分の予約です。次お会いするときは、きっとわたくしとラクトゥス致しましょうね?」
「ラクトゥスが必要な状況だったらね?」
「いけずなお方……それでは、わたくしは失礼いたします。また近い内に、必ず……」
そう言ってクレハは闇に紛れていってしまった。
ふと違和感に気づいて左ポケットを確認すると、先程抱きついてきた時に入れたのか、彼女の連絡先が書かれた桜色の可愛らしい名刺が入っていた。ご丁寧に名前のところにハートマーク付きで。
「面白い子だったなあ」
それから十分ほど待っていると、カンナが隔壁の前まで到着した旨のメールを送ってきたので地下室から出た。
「やあカンナ、お疲れ様」
「お待たせして申し訳ありません。ご無事なようでよか――」
言葉の途中で、カンナはスンスンと鼻を鳴らした。
「……行政官、先程までここに誰かいませんでしたか?」
「いや、ずっと一人だったけど?」
「そんなはずは……ちょっと失礼します」
そう言って、カンナは私の身体の匂いを嗅ぎ始めた。とても恥ずかしい。
「やっぱり……他の女の匂いがします」
ずばりついさっきまでクレハと会っていました。なんなら抱きつかれてキスもされました。なんて大人として言えるはずもなく。
「カンナの気のせいじゃない?」
「そんなはずはありません。行政官、わたしに嘘をついていませんか?」
「いやあそんなことは……」
「わたしの目を見て言ってください」
どうやら彼女相手に隠し通すのは無理なようだ。
観念した私は、先程までクレハと会っていたことを話した。もちろん、キスされたこととかは言わなかったけど。
「やはりそうでしたか……何もされなかったですか?」
「うん。いい子だったよ」
「彼女は矯正局を脱獄した囚人です。何が目的か知りませんが、危険極まりないことに変わりはありません。なぜ嘘をついたのですか?」
「だってクレハと会ってたって言ったら、カンナ、上に報告しちゃうでしょ」
「当然です。今回の騒動はイタズラでは済まされません。わたしには上に報告する義務があります」
「ほらあ」
「ほらあ、ではありません。本来であれば行政官だって報告する義務があるのですよ?」
「私にはほら、学生を保護する義務があるから」
「まったく……それで? 彼女と何を話したんですか?」
「悪いけど、それはちょっと言えないかな」
カンナにとってマリアは所属する組織のトップだ。組織のトップが隠し事をしているなんて情報、仮に何かの勘違いだったとしても聞いて気持ちのいいものではないはずだ。
「なぜ、と聞いても教えてはくれませんか?」
「ごめんね」
「……はあ、わかりました。上にはわたしが誤魔化しておきます。行政官はここで騒動が鎮圧されるまで大人しくしていた、そういうことにします」
「ありがとう」
「今回だけですよ? 次からはせめてわたしにだけは連絡を入れてください」
「わかったよ。ところで、カンナは連邦生徒会が所持している過去の文献って見たことがある?」
「いえ、オーパーツ含めて過去の文献はトップシークレットとなっているので、相当上の立場の人間でないと閲覧ができないようになっています」
「そっか……なるほどね」
きっと、立場的には限りなくマリアと近い私でも閲覧はできないようになっているのだろう。確認していないが、私はほぼ確信していた。
そうなると、クレハが言っていたことも信憑性が増すというものだ。マリアを疑うわけではないが、暇を見て探ってみる必要はあるだろう。
「どうかされたのですか?」
「いや、ちょっと気になっただけだよ、大丈夫。明日から忙しくなる。今日はもう休もう。カンナも疲れてるでしょ?」
「そうですね。食事はわたしがつくりますので、夜はレドで食べましょう。何かリクエストはありますか?」
「うーん、焼き魚とお味噌汁が食べたいかな?」
「そんな簡単なものでいいのですか?」
「昼が重たいものだったからね。夜は軽いものが食べたいんだ」
「わかりました。それでは、一緒にスーパーに行きましょう」
「そうしよっか」
相変わらず、エピフィルムの夜はシャドウが多い。しかし今夜は、昨日のようにはならず、無事にスーパーで食材を調達して二人でいただきますができた。
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