第10話

「もしもしルミカ?」

『行政官ですか? 今どちらに?』

「ホテルにいるよ。会場の方はどんな感じ?」

『幸いそこまで被害が大きくなかったので、一部区画を侵入不可にして予定通り開催できそーです!』

「それはよかった。明日クレハを連れて設営の手伝いに向かうから、悪いけど今晩はそっちだけでやってもらってもいいかな?」

『ぜんぜんだいじょーぶですよー! それよりクレハ、ちゃん? はだいじょぶなんですか?』


「うん。ちょっとラクトゥスの影響が強く出過ぎちゃっただけだから、私の方でフォローしておいた。明日みんなに受け入れてもらえたら大丈夫だと思うよ」

『わっかりました。あたしの方からもみんなに言っておきますね!』

「悪いね。それで、カンナのことなんだけど……」

『さっきびょーいんに運ばれていきました』

「やっぱり……重ね重ね申し訳ないんだけど、搬送先の病院を教えてもらえるかな?」


『はいはい。そう言われると思ってちゃんと控えておきましたよー。メモの準備はいいですかー?』

「うん、大丈夫だよ」

『病院の名前がですね――』


 カンナが搬送された病院を聞いた私は、一度脱いだコートを再び羽織り、ホテルを後にした。


「全治一週間だって?」


 面会時間はとうに過ぎていたが、レドの権限を使ってカンナが入院している個室へ入室した私は、退屈そうに本を読んでいた彼女にそう言った。


「ちょっと当たりどころが悪かったようです」

「ちょっとで済むのがエピフィルム人らしいというかなんというか……私だったら致命傷になっていたかもしれないね」

「ですね」

「ごめん。私が逃げ遅れたばかりに」

 そう言って私は彼女に頭を下げた。


「……頭を上げてください。わたしはわたしの仕事をしただけです。行政官が気に病む必要はありません」

「とは言ってもね。大人の私が守られて、代わりに学生が傷つくってのは、やっぱり看過できないよ」

「じゃあわたしの代わりに入院でもしてみますか?」

「そんなことになったら入院の間に溜まった書類の山に潰されてしまうだろうね」

「なら、大人しく守られていてください」


 医者に聞いたところ、特段後遺症や一生傷が残るような怪我ではないというのが救いだった。もしそうなれば、私は一生カンナに頭が上がらない。


「りんごでも剥こうか? 来る途中に買ってきたんだ」

「ちょうどお腹が空いていたんです。頼めますか?」

「任せて。うさぎさんの形に切ってあげよう」


 ショリショリとりんごをうさぎの形に切っていると、カンナは言いづらそうにこう切り出した。


「彼女は危険です」

「……彼女っていうのは?」

「わかってて聞いてますよね? 真面目な話しです。ふざけないでください」


 一応とぼけてみたが、無理だった。

 流石に今回は目撃者の数も多すぎる。いかにレドの権限を持ってしても、人の口に戸は立てられない。


「ふぅ……カンナはどうしたいの?」

「矯正局からの脱走、能力の完全開放、公共施設の破壊。挙げればキリがありません。やはり彼女は矯正局に戻すべきです」

「でも、クレハはいい子だ」

「行政官がどう思ってるかは関係ありません。今回は以前のように隠し通せませんよ。どうするおつもりなのですか?」


 カンナは真摯な眼差しで私を見つめてきた。それに対し私は、


「はいカンナ、あーん」

 切り終えたうさぎさんりんごを彼女の口元に差し出した。

「今はそんな――」

「あーん」


 食べないと話しが進まないと思ったのか、カンナは大人しくりんごを口にしてくれた。

 彼女がりんごを咀嚼している間に、私は私の考えを話していく。


「思うに、クレハは寂しがり屋なんだと思うんだ」

 意味がわからないという表情をするカンナを横に、私は話しを続ける。

「クレハだけを必要としてくれる人に今まで出会ってこなかった。だからちょっぴり悪いことをして、みんなの注目を集めようとしているんだと思うんだよねえ」


「同意しかねますが……つまり?」

「司法取引をする。クレハはレドの預かりとして首輪をつける。そうすれば矯正局もうるさいことを言ってこないでしょ」

「そんなことが……! いや、しかし……可能なのか……?」


「レドの権限があれば可能だよ。関連書類を嫌ってほど漁ったからね」

「……まさか、ここ最近の睡眠不足の原因って」

「ギクギク!」

「はぁ……行政官が何をされようと勝手ですが、せめてわたしには何をしようとしているのかくらい事前に説明してください」

「だって言ったらカンナ反対したでしょ」

「当たり前です!」

「じゃあ黙って進めるしかないじゃないか」


「だとしてもです! 説明くらいしていただかないと困ります。レドの当番の業務内容には行政官の健康を維持することも含まれているのですから、コソコソ隠れて作業して睡眠不足になられては困るんです」

「まあまあ。カンナが治ったら事務員を探しにいこうよ。そうすれば現状の問題の大半は解決するんだしさ」

「面接にはわたしも必ず同席できるようにしてください。行政官の手にかかったら誰でもいい子になってしまいますから」


「しょうがない。それで手を打とう」

「当たり前です! まったく、病人に大声出させないでください」

「ごめんごめん。まあ、ここ最近忙しかったからその分の休暇だと思ってゆっくり休んでよ」

「治ったら覚悟してくださいね? 行政官には貸しがあるんですから」

「ちゃんと覚えてるよ。埋め合わせは必ずするから。それじゃ、あんまり長居するわけにもいかないからそろそろ行くよ。ちゃんと寝て治すんだよ?」


 カンナの病室を後にし、病院のロビーに行くと、電気が落とされ薄暗くなったそこにルミカが一人座っていた。


「ルミカ、来てたんだ?」

「あ、行政官。カンナちゃんのお見舞いに行ってたんですよね? 様子、どうでした?」

「元気そうだったよ」

「そっかあ、よかった。あたしの依頼で怪我しちゃったみたいなものなので、心配で」


「退院したら声をかけてあげるとカンナも喜ぶんじゃないかな。それより、お祭りの準備は大丈夫なの?」

「はい! 会場の安全さえ確保できれば後は備品を運ぶだけみたいなものなので。行政官こそ、あたしが来なかったらどーやってホテルに戻るつもりだったんですか?」

「ここから泊まってるホテルは近いし、私一人でも大丈夫かなって」


「人通りが多いとはいえ、シャドウはいるんですから、きちんと護衛をつけなきゃダメですよ? あたしがホテルまで送ってあげます」

「迷惑かけるね、ありがとう」


 ホテルまでの道すがら、ネオンの輝きが目立つ街並みを見てふとこんな疑問を抱いた。


「ルミカは〝外〟に行ったことはあるのかい?」

「あたしですか? ないですよ。興味がないといえば嘘になりますが、〝中〟から〝外〟に行くには相当面倒な手続きが必要ですからねえ。あたし達はここで生まれて、ここで死んでいくんです」


 それはきっと、彼女達にとっては当然ともいえる事実なのだ。だからこそ、その言葉には僅かばかりの悲壮感も含まれていない。だけど、


「籠の中の鳥はいつか外に向かって羽ばたくべきだとは思わない?」

「行政官は意外に詩的なひょーげんをするんですねえ」

「ちょっとカッコつけすぎたかな?」


「いえいえ。それでいくと、籠の中の鳥は外の世界を知らないけれど、その分安全な籠の中でまったりとした一生を過ごすわけですよね? それはそれで選択肢の一つとして用意されて然るべきだとあたしは思います」

「なるほどね。確かに〝外〟に安寧を求めるのは間違いだ」

「行政官は〝外〟の出身ですもんね。実際のところ、〝外〟と〝中〟のどっちが過ごしやすいですか?」


「私は〝中〟に来てまだ日が浅いからなんともだけど、一つだけ確かなのは、ゆったり過ごしたいなら〝中〟がいいんじゃないかあ」

「シャドウがそこら中にうじゃうじゃいてもですか?」

「そうだねえ。少なくともここは、明日食べるものには困らなさそうだからね」

「〝外〟ってそんなに過酷なんですか?」


「まあね。あそこと比べればここは文字通り楽園みたいなものだよ」

「なんだ、残念。フロンティアみないなのを期待したんですけどねー」

「変なこと聞いて悪かったね。ホテルはここだから、もう大丈夫だよ」

「いえいえ、哲学的なお話は嫌いじゃないのでウェルカムです!」

「それじゃ、また明日。夜道に気をつけるんだよ?」

「はいですー」


 ホテルの自室に戻った私は、スマホからマリアの連絡先を見つけて彼女に電話をかけた。

 目的はクレハの処分を保留してもらうためだ。


 本当はもう少し資料を用意してから交渉に望む予定だったが、今日の事件はすでに連邦生徒会の知るところとなってしまったようで、先程マリア直々に連絡が入っていたのだ。

 流石に大丈夫だとは思うが、拘束部隊の派遣を検討しているのであれば、レドの権限を使って阻止しなければならない。


「もしもしマリア? 連絡が遅くなってごめんね」

『いえ。お久しぶりです、行政官。お仕事、頑張っているみたいですね』

「まあ、ほどほどにね。なんとなく要件はわかってるけど、一応聞いても?」

『狐井クレハの処遇についてです』

「そうだと思ったよ。こっちの希望としては、クレハはレドの預かりにしたいんだけど、いいかな?」

『構いませんよ。後日、必要書類をレドに送っておきますね』

「ずいぶん簡単に認めてくれるんだね」


 やけに素直に許可してくれたものだと思っていたら、マリアは「その代わり」と言った。

 予想はしていたが、どちらかというとそっちが本命の要件だったのだろう。


『お願いが一つあります』

「それは連邦生徒会からの正式な依頼ってことでいいかな?」

『そう受け取っていただいて結構ですよ』

「内容は?」

『その前に、一つ聞かせてください。狐井クレハから何か言われていませんか?』

「何かっていうと?」


 私の問いかけにしかし、電話口の向こうのマリアは黙りこくったままだった。


『いえ、失礼しました。忘れてください。それで、依頼内容ですが――』


 言いかけて、マリアは「ちょっと待っててください」と言って電話を保留にした。

 しばらく待っていると、


『すみません、お待たせしました。申し訳ありませんが、依頼内容については後日、狐井クレハに関する書類をお送りする際に同封しますので、そちらで確認してください』

「忙しそうだね」

『すみません。最近揉め事が多くて……そういうことですので、よろしくお願いします』

「わかったよ。それじゃ」

『はい。おやすみなさい、行政官』


 レドのコートを脱ぎ捨て、ベッドに横になる。


「連邦生徒会直々とは、何をお願いされることやら……」


 気は進まないが、クレハのためにも依頼はこなす必要がある。

 簡単な依頼だったらいいのだが。そんなことを思いながら、私は疲れた身体が命令するままに意識を手放した。

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