第9話

「名残惜しくはありますが、そろそろ貴方様の敵を倒しに参りましょうか」


 ペアリング工房を出て、外の空気を吸った段になってクレハは言葉通り名残惜しそうにそう言った。


「私が言うのもなんだけど、いいのかい?」


 先程チラッと確認したが、エピトークにはカンナから鬼のように連絡が入っていた。

 きっと今頃会場にはシャドウが出現していて、対応に追われているのだろう。


「ええ、貴方様には立場がおありですから。わたくしのわがままに付き合わせてしまうのも申し訳ありませんしね」

「クレハはいい子だね」

「こう見えて、わたくしは伴侶を立てる方なのです」

「ははは、そっか。それじゃ」

「ええ、お願いいたします」


 これ以上の言葉は不要だった。

 そっと、自らの素性を隠す狐の面を取ったクレハは、私の手を取り恋人繋ぎにすると、


「貴方様、お慕いしております……」


 その可愛らしい顔をゆっくりと私に近づけ、新雪を思わせる柔らかな唇を私のものに優しく押し付けた。


けまくもかしこつきはなの神」


 いつかと同じ祝詞の始まり。それがクレハの口から読み上げられる。


「愛しき彼の者に降りかかりし災厄 愛しき者のために祓う力を賜るようかしこみ恐みももうす」

「私、三納代ユウの名において、このちぎり、確かのものとする」

「ああ……遂にこの時がきたのですね……!」

「どうぞ」

「失礼します、貴方様……」


 儀式の最終段階。最も重要な儀式である吸血を行うため、クレハが私の首元に八重歯を突き立てる。すると、


「あっと……クレハ、ごめん。もう少し手加減してくれると……」


 カンナの時の比でないほどクレハは私の生気をチュウチュウと吸い取っている。

 流石に耐えかねてそう声をあげたが、当のクレハは聞こえているのか聞こえていないのかずっと吸血を行っている。


(これは、耐えるしかなさそうかな……?)


 グロッキーになりながら終わるのを待っていると、やっと満足したのかクレハは私の首元から口を離してくれた。

 口元についた血を真っ赤な舌で艶かしく舐め取る様は、年齢に比せず怪しい雰囲気を醸し出しており、思わずドキっとしてしまった。


「あー、クレハ。ちょっと吸われすぎちゃって歩くのも辛いから肩を貸してほしいんだけど……クレハ?」

 返事がないので妙だと思って見ていると、

「……ふふ……ふふふ……あはははははは! これが! これこそがラクトゥス!」

「ダメそうだね」


 資料では知っていたが、どうやらクレハはラクトゥスするとトリップしてしまう側らしい。完全に気分がアガりきってしまっている。


「何物にも変えが得たい多幸感! これがラクトゥスするということなのですね!」

「クレハさーん? 悪いんだけど、肩を貸してくれないかな?」

「ええ、ええ! 貴方様の敵はわたくしが全て撃滅致します!」

「おわっ!」


 話しを聞いていたのかいないのか、クレハは私を横抱きにすると、地上から軽くビル10階分の高さをジャンプした。

 そして、マンションの屋上に着地すると、


「あれこそが貴方様の手を煩わせる敵ですね」


 彼女の視線を追うと、その先にはルミカの話しに出ていたであろう巨大シャドウの姿があった。


「今殺して差し上げます」

「クレハ、ちょま――」


 屋上から屋上へ。ラクトゥスによって身体能力の枷が外れたクレハは文字通り最短距離で巨大シャドウの元まで飛び降りてしまった。


「うおわああああああああ!」

「行政官!?」


 私の悲鳴に気づいたカンナが振り返る。どうやら自警団と協力して巨大シャドウと戦っていたようだ。


「貴方様、少しの間ここでお待ちになっていてください。すぐに殺してみせますので」


 そう言って私を優しく地面に下ろしたクレハだが、この時私は猛烈に嫌な予感が身を支配していた。


「みんな! 今すぐ退避するんだ!」


 鬼気迫る私の叫びにハッとした自警団達は、所持していた武器をそのままに、全力でその場から逃げ出した。ただ一人、カンナだけは私の身を守るために私の元まで走ってくる。


「行政官!」

 それは、カンナが私に覆いかぶさるのと同時だった。

 クレハの能力によって生み出された巨大な血の刀が地面丸ごと巨大シャドウを一刀両断したのだ。

 言葉にするのも億劫になるほどのその威力は、シャドウを真っ二つにして尚その威力は怯まず、アスファルトを砕き、その破片がまるで散弾銃のように周囲に散らばった。


「ぐぅ!」

「カンナ!」


 その内の一部がカンナの背中にぶつかってしまった。


「くっ……! わたしは大丈夫です。行政官は……?」

「私は大丈夫! カンナこそ、大丈夫なの?」

「エピフィルム人は丈夫ですから、この程度では死にません。それより……」

「あはははははっ!」


 完全にトリップしてしまっているクレハが問題だった。

 すでに巨大シャドウは影も形もなくなっているというのに、執拗にシャドウがいた場所を血の刀で叩いている。


「まずいな、完全にオーバードーズしてる……!」

 やはり与える血の量が多すぎたのだ。沙汰の外へ意識がイってしまっている。

「こんな時、どうすればいいかはおわかりですね?」

 カンナは被弾した背中を抑えながら気丈にもそう言う。


「けど……!」

 見れば服の外に血が滲んできている。こんな状態の彼女を放っておくわけにもいかない。


「わたしは大丈夫です……! それより、彼女を!」

「……っ! わかった、ごめんカンナ!」

「貸し一つ、ですよ?」

「今度デートするってことで」

「ふふ、わたしになんの得があるんですか……いいから、行ってください!」


 ラクトゥスの影響でふらつく身体に鞭打って、未だ破壊活動を続けるクレハに駆け寄る。


「クレハ」

 呼びかけるも、やはり完全にオーバードーズ状態となってしまっている今の彼女に言葉は通じないようだった。ならば、

「しょうがない、か。あまり強い言霊は使いたくないんだけど……『止まれ』」

 私がそう言うと、クレハは先程までの様子が嘘のようにピタリと動きを止めた。


「貴方様? どうして……?」

「クレハ、私がわかるかい?」

「ええ、ええ! このクレハ、貴方様のことを見誤るはずがございません!」

「なら、もう攻撃を止めるんだ」

「でも、まだ貴方様の敵が……」

「敵はもう、クレハが倒してしまったんだよ?」

「そんなはずは! だってそこに! まだ敵がいます!」


 クレハは今、オーバードーズの影響で見えない敵と戦ってしまっているのだろう。


「いないよ? 敵はもう、クレハが倒したんだ」

「ダメです! 貴方様の敵はわたくしが殺さなきゃ! だってそうしないと貴方様に褒めてもらえない……!」

「もう、いいんだ。私の敵はいないんだよ」

「ダメなんです! わたくしはもっと! もっと貴方様に褒めてもらわなきゃ……!」

「クレハ」


 少し強めに名前を呼ぶと、彼女はビクッとした。そして、捨てられた子犬のような目を私に向けてきた。


「あまり聞き分けがないと、君との契を解消しないといけないよ?」

 そう言うと、それまでの態度が嘘のようにクレハはサアっと顔を青くして私に泣き縋ってきた。


「ご、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」

「ううん、わかってくれたらそれでいいんだ。ちょっと血を吸いすぎちゃったね」


 尚も私にすがりながら「ごめんなさい」と言い続ける彼女の身体を優しく抱き、私はさり気なくクレハをこの場から引き離した。

 クレハは悪くないとはいえ、破壊活動をしてしまった張本人が現場にいては、収まるものも収まらないだろう。


 片手で彼女の背中をポンポンと叩きつつ、空いている手でルミカに事態の収集をエピトークでお願いする。

 そうして「ごめんなさい」を連呼しながら泣き続ける彼女をあやしつつ、私は人気のない公園へと移動することに成功していた。


 ベンチに腰掛け、クレハが泣き止むの待つこと10数分。ようやく泣き止んだのを確認した私は、涙でぐしゃぐしゃになってしまった彼女の顔をティッシュで拭ってあげた。


「喉乾かない? そこの自販機で何か買ってこようか?」


 小さくコクリと頷いたのを確認し、立ち上がると、いじらしくもクレハは私の服の裾をちょんとつまんでいた。どうやら離れたくないらしい。

 仕方がないのでその状態のクレハを伴って自販機でお茶を2本を買ってベンチに戻る。


 しばらく無言で二人でお茶飲んでいると、ふと、夜空に浮かぶ満月が目に映った。


「月が綺麗だね」

「……っ!」

 隣でクレハが息を呑むが聞こえた。

 はて、何かあっただろうかと彼女に振り返ると、


「……申し訳、ありませんでした……」

「ちょっと失敗しちゃったね」

「知識としては知っておりましたが、ああも自分を見失うとは露ほども思っておりませんでした……」


 客観的に自己を振り返ることができている。ラクトゥスの影響が抜けてきたのだろう。


「貴方様の伴侶として失格です……」

 伴侶になることを認めた覚えはないのだが、と苦笑しつつ、

「そこまでわかっているのなら、どうすればいいかわかるよね?」

「はい……」


「みんなにごめんなさいして、お祭りの設営の手伝いをしよっか。私も一緒に頭を下げるからさ」

「いえ! 貴方様は何も――」

「クレハがこうなっちゃったのは私の責任だよ。明らかに過剰に血を吸われていることに気づいていながら、するがままにしていた。私が悪い」


「そんなことは……!」

「次からは気をつけようね?」

「次の機会をいただけるのですか……?」


「もちろん。学生の内はこうやって色んな失敗をして、色んな経験を積んで大人になっていくものだと思っているからね。だから、クレハが大人になった時は、学生が失敗をしても許してあげられる子になってほしいかな」

「ありがとう、ございます」

「うん。湿っぽい話はこれで終わり。明日一緒にごめんなさいを言いに行って終わりにしよう。お腹空いたし、ラーメンでも食べて帰ろうか」


 その後、共にラーメンを食べてクレハにホテルへと送ってもらった私は、部屋についてすぐルミカへと電話をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る