第2話

 エレベーターに揺られること数十秒。やがて入り口とは反対側の窓から見える景色に色がついた。


 そこには大小様々な建物が立ち並んでいて、徐々に青空へと近づいていく過程でそれぞれの発する彩りが目に飛び込んできた。


「エピフィルムへようこそ、行政官。エピフィルムは数千の学園が集まってできた学園都市です。ここが、今日からあなたが働く場所です」

「すごいね。驚いたよ」


「エピフィルムの外ではあまりこういった光景は見られないらしいですね。最初は外との違いに慣れないこともあるかと思いますが、行政官なら大丈夫だと思います」

「そう言ってくれると頑張れそうな気がするよ」

「あそこが、行政官のために用意したオフィスです。見えますか?」


 彼女が指差す先には、周囲の建物と比べても立派な高層ビルがあった。


「まさかとは思うけど、あのビル全部?」

「ええ、そうです。敷地内にコンビニ、カフェ、トレーニングジムなどの福利厚生設備もご用意しました。適宜ご利用ください」

「参ったな……至れり尽くせりじゃないか」

「それだけ、業務内容が多岐に渡るということでもあります。さ、着きました」


 ティン、という電子音が鳴り、エレベーターが停止する。階を示す表示には30と書かれていた。


「ここが私のオフィス、つまり、生徒会室です」


 生徒会室では、マリアと同じ、白を基調とした青のアクセントの入った制服を着た学生達が慌ただしく動いていた。


「大変そうだね」

「ここにはエピフィルムの騒動の大半が回ってきますから、いつも人手不足なんです。奥に私の部屋がありますので、そちらで話しましょう」


 確かに、ここでは落ち着いて話せそうになかった。


 案内されて入った部屋は、防音対策がされているのか、外の喧騒が嘘のように静かだった。


「どうぞ、おかけください」


 来客用と思われる、黒光りしたソファに座る。これまた、体重の全てを支えているんじゃないかってくらい身体が沈み込んでどうにもソワソワする。


 そんな私の落ち着きのなさを察してか、マリアはクスリと笑って、お茶とお茶菓子を出してくれた。


「さて、先程の続きをご説明しますね。レドとは、連邦生徒会の直属の下部組織。連邦生徒会と限りなく同等の権力を持ちながら、限りなく自由な行動を許されています」

「なるほど?」


「これだけではわからないですよね。図で説明します」

 そう言ってマリアが差し出した図には、エピフィルムの組織図が書かれていた。


 パッと見たところ目についたのは、「E・P・D」、「フェリス連合学園」、「アウスレーゼトレードスクール」、「レイレード独立中央学園」などだろうか。それら全ての組織の頂点に、連邦生徒会があった。


「レドをこの図に配置するとするなら、ここ、ということになりますね」

 マリアが指した位置は、連邦生徒会の真横からほんの少しだけ下の場所だった。


「そんなに上になるの?」

「正確には、状況次第ではレドは連邦生徒会の命令も無視できるように設定しているので、一概に連邦生徒会の下というわけではないですが、概ねその認識で問題ありません」


「随分重たい役だね」

「行政官なら大丈夫だと判断してのことです」


 初対面の「人間」相手に随分と信頼を寄せるな、という軽い違和感を覚えたものの、そういうものかと流して続きを待つ。


「具体的な業務内容としましては、エピフィルムで起こる問題の解決になります。軽いものですと、ペットの捜索なども回ってくる可能性はありますね」

「重たいものだと?」

「学園間の揉め事の折衝。それから、『シャドウ』関連ですね」


 シャドウに関する事柄こそ、私がここに呼ばれた理由だ。だが、現時点ではマリアは詳細を話すつもりはないようだった。なので、


「レドの人員は?」

「当面の間は連邦生徒会の直下組織、E・P・Dから綿貫わたぬきカンナを出向させます。それ以外の人員につきましては、行政官の判断で適宜スカウトしていただければと思います」


「カンナっていう子にはこの後会えるんだよね?」

「もちろんです。行政官に夜の街を一人歩かせるわけにはいきませんからね。その他、詳しいことは資料にまとめてお渡ししますので、暇を見て目を通していただければと思います」


「了解」

「それから、こちらを」


 マリアは先程から持っていたジュラルミンケースをこちらに渡してきた。


 言及していなかったが、会った時から今に至るまで、彼女の左手首には手錠がかけられていたのだ。手錠の反対側には、ジュラルミンケースが繋がれており、厳重に管理されている。


「ずっと気になってたんだけど、それ私向けのものだったんだね」

「ええ、重要なものですので」

「ロックは?」

「行政官の人差し指の指紋で開くようになっているはずです」


 それらしき場所に人差し指をつけると、カチャリ、という錠の開く音がした。

 中には、7インチ程度のサイズのタブレットが入っていた。


「これは?」

「すみません、私にもそれがどういったものなのかはわかりません」

 彼女はそう言って謝罪した後「ただ」、と続ける。

「行政官になら起動できるはずです」


 半信半疑でタブレットのホームボタンを押すと、当然のようにパスワードを求められた。


「パスワードを求められたけど?」

「わかりませんか?」

「残念ながら」


「そうですか……それはお渡ししますので、何かそれらしいものが思いついたら入力してみてください。一応、オーパーツになりますので、紛失はしないようお願いしますね」

「わかったよ」


 支給されたジャケットの内ポケットにちょうど入るサイズだったのでしまっておいた。


「それでは、私はこの後も業務がありますので、申し訳ありませんが続きは彼女に」


 言われて振り返ると、いつの間に入室していたのか背後に仏頂面をした美人さんが立っていた。


「うわ! いつの間に」

「驚かせてしまい、申し訳ありません。先程入室してきたところです」

「いやいや、気づかなかった私が悪いよ。君がカンナ?」

「はい。綿貫カンナです。よろしくお願いいたします」


 言葉終わりと同時に、カンナは軽く腰を折った。美しい金の長髪がはらりと垂れる。それと同時に、エピフィルムの〝外〟では見慣れないケモノの耳――彼女の場合だと大型犬、だろうか? も、ペタリと折れた。


「よろしく」

「早速ではありますが、そろそろ月が上る時間です。行政官の護衛をさせていただければと」


「ああ、もうそんな時間か。それじゃ、レドのあるビルまで散歩がてら護衛をお願いしようかな?」

「了解しました」


 マリアに別れの挨拶をして、連邦生徒会のビルを後にした。


 夜の街は思いの外喧騒に溢れていた。待ち行く学生達は、めいめいに夜の街を楽しんでいるように見える。まさに、青春の1ページだ。

 ただそこに、シャドウがいなければ。


「流石に〝中〟だね。私がいたところとは比べるのが馬鹿らしいほどにシャドウの数が多い」


 右を見ても、左を見ても、どこかしらにシャドウの姿がある。そんな光景に軽い驚きを覚えた私は、そう、隣を歩くカンナに零した。


 彼女にとっては見慣れた光景なのだろう、むしろ私の発言に驚いたような素振りを見せた後、「ああ」と言って、


「行政官は〝外〟から来られたのでしたね」

「そうだね」

「わたし達にとってシャドウは日常と言っても差し支えありません。であればこそ、エピフィルムでは武器の所持が認められているわけです」


「なるほどね」

「行政官はシャドウ対策でここに呼ばれたのでは?」

「だと思うよ」

「思う、とは?」


「〝外〟から〝中〟に来るような酔狂な人間は私くらいだからね。書類なんかには明記されてないんだよ。上手いことはぐらかされてるのさ。誰も好き好んで猛獣の檻には入りたくないだろう?」

「なるほど。ですが、行政官はご存知かもしれませんが、時折わたし達だけでは対処できないシャドウが出現します」


「そうだね。そういう時のために私がいるってことさ」

「頼りにしています」

「そんな時は来ないに越したことはないけどね」


 学生達の揉め事を解決する折衝役。それで済むのが一番いい。


「そうだ、せっかくだから軽く街を案内してよ」

「今からですか? しかし、夜は行政官にとって危険が――」

「ダメかな?」

「ダメです」


「お願いしても?」

「ダメなものはダメです」

「そんなあ」


「わたしの任務は行政官の護衛です。わたし自ら行政官を危険に晒すわけにはいきません」

「ケチ」

「なんと言ってもダメです」


 せっかくエピフィルムに来たのだから観光でも、と思ったのだけど、護衛役がこれではどうにもならなそうだ。


 諦めてレドまでの道のりを歩いていると、耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきた。

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