第20話

 薄汚れた廃ビルの階段を上る。8階建てのようだったが、なぜだか目的の人物は3階にいると思った。確信じみた考えの元、フロア内の扉の一つを開けると、


「行政官。あなたなら、必ず来ると思っていました」


 スケキヨのような白いゴムマスクを顔につけた男だった。色褪せ、どこかくたびれた白いジャケットを羽織った男が、広いデスクのその奥に堂々と座っている。


「はじめましてのはずだけど?」

「これは失礼。あなたは大変興味深い存在だ。個人的に調べさせていただいていたのですよ」

「ゾッとしないね」

「重ねて失礼を。私は、そうですね、いみとでも名乗っておきましょうか」


「忌火とは、大きく出たね。どうせ偽名なんだろう?」

「私は名を捨てた者故、ご寛恕を。それに、あながち無関係というわけでもありませんので」

「その顔、火に焼かれたのかい」


 そう尋ねると、忌火は白いゴムマスクを深く被り直し、


「お察しの通りです。見せるようなものでもありませんので、このままでの失礼をお許しください」

「まあ、いいさ。拐った学生を返してもらいにきた」

「ええ、ええ。行政官の目的は存じております。しかしその前に、少しお話に付き合っていただきたい」

「はぁ……聞くだけ聞こう」


 断ったところで、この手の類は話しを聞くまでこちらの要求は飲まないだろう。


「お話というのは、行政官に我々の仲間に入っていただきたいのです」

「断る」

「失礼ですが、理由を聞いても?」

「庇護すべき対象の学生を拐っている時点で、あなた達は私の敵だ。そんな相手に与するような真似はできない」

「行政官は誤解をなさっている」

「誤解だって? いったいどんな誤解だっていうんだい」


 どうせくだらない誤解だ。聞き流そう。そう思っていたのだが、


「我々は行政官の言うところの学生達の解放のために活動しているのですよ」

 聞き流すには引っかかりを覚える言葉だった。


「行政官も〝中〟に来られてそれなりに経過していますね。どうやらもう、あまり違和感を抱いていないようですが、ここで暮らすエピフィルム人は歪なのです」

「歪?」

「行政官は〝中〟に来てご自身以外の男性を目にしたことがありますか? 自分以外の大人は? 少女達の両親は? 見たことがないはずです」

「それは……」


 忌火の言う通りだった。最初はたまたま目にしていないだけだと思った。だが日が経つに連れて、違和感はいつしか僅かな引っかかりへと小さくなり、気がつけば今日   ここに至るまでにどうしてか「そういうもの」として自分を納得させてしまっていた。


「お気づきになられたようですね。〝中〟では、エピフィルム人にとっての不都合は違和感のないように消されているのですよ」

「……興味深い話だね。確かに、あなたの言う通りだ」

「エピフィルム人――いえ、彼女達と言いましょう。彼女達は歳を取らない。故に彼女達は、鳥籠の中で終わらない日常を過ごし続けているのです」

「そんな馬鹿な……しかし……」


 思い出すのは、以前ルミカと話したこと。彼女達を籠の中の鳥に例えてその在り方を問うた。少なくともあの時点では、私は〝中〟に疑問を抱いていたはずだった。なのに……。


「思い出されたようですね。女王の支配は、それと気づかない内に意識を変えますが、支配から逃れることそれ自体はそこまで難しいものではない」

「女王の支配?」


 忌火はその問いには答えず、代わりにこう言った。


「私はね、行政官、あなたと同じなのですよ」

「同じ?」

「今のあなたは行政官という役職を与えられ、ここにいる。しかし行政官などというのは名前だけだ。実際の目的は停滞した〝中〟に〝外〟の血を入れるためなのです。私はその目的から逸脱し、結果、排斥を受けた。その代償がこれなのです」


 そう言って忌火は自らの顔を指した。


「……目的から逸脱っていうのは、何をしたんだい?」

「簡単な話です。先程も言ったように、彼女達を救おうとしたのですよ」


 気づけば私は、忌火の話す言葉を真剣に聞いていた。彼の言葉は一見荒唐無稽にも思えるが、エピフィルムで過ごした毎日が彼の言葉に真実味を増していた。


「今あなたは、二人の学生とラクトゥスをされた。そうですね?」

「そうだね」

「ラクトゥスは、こちらから契約を切らない限り不可逆の絆契約です。それは、女王の支配からも逃れうる唯一にして最大の手段だ。そして――」

「そして?」

「私はユイナを拐ったわけではありません」

「まさか……!」


 その言葉が意味するところはたった一つだ。


「蔵白ユイナの契約者はあなたなのか……」

「察しがよく、助かります」


 忌火の発言を補足するかのように、部屋の奥から女学生がやってきて忌火にしなだれかかった。そして、


「先生は発言が婉曲過ぎるんだよ。あたしを拐ったわけじゃないって、最初に言えばこの人だってもうちょっと警戒を解いて話を聞いてくれたはずだよ?」

「そうだね。行政官、重ね重ねの失礼をお許しください」

「いや、それはいいんだ。君が蔵白ユイナ?」

「先生以外の人にはさん付けしてほしいんだけど?」

「ああ、ごめんね。それで――」

「そうだよ。あたしが蔵白ユイナ。なんかそっちでは面白いことになってるらしいじゃん?」


「そうだね。君が作ったメイドちゃんがサドルにブロッコリーを描いてね、ちょっとした騒動になってるんだ」

「やっぱ書き置きの一つでも残しとけばよかったか。まあでも、そーいうことだから、あたしはそっちに関わるつもりはないよ。せっかくもう一度先生に会えたんだから、もう、二度と離れるつもりはない」


 そう言う彼女の瞳には強い意志を感じた。二人の過去に何があったのかはわからないが、少なくとも聞いて楽しいことではないのはわかる。


「メイドちゃんはどうするつもりなんだい?」

「うーん……そだ、あなたにあげるよ。元々、先生がいなくなっちゃった寂しさを埋めるために作ったやつだし。はいこれ、管理者権限を移せるマスターチップ」


 彼女はそう言って、ケースに入った一枚のSDカードを投げて寄越した。


「あげるって……せめて直接会って一言くれたりは――」

「くどいよ。あたしは先生以外どうでもいいんだ。こうしてあなたと話してるのだって、先生がそうしてって言ったから。ただそれだけの理由」

「ユイナ。先生に失礼だよ」

「だってこの人、何もわかってないって顔してるよ。せっかく先生が色々教えてあげてるのに。もう〝中〟のぬるま湯にどっぷり浸かっちゃってる」

「ユイナ」


 一言。たった一言、忌火が強めに彼女の名前を呼ぶと、彼女は急に顔面蒼白になって忌火に抱きついた。


「ご、ごめんなさい! 悪気はなかったの! 先生のためを思って……だから許して! ね? ね?」


 今にも泣きそうな顔をしながら彼女は忌火に向かって必死に弁明をした。

 あまりに不安定だ。プロフィールで見た時は、精神的に成熟しているように思ったし、彼女が作成したアンドロイドちゃんもそう言っていた。しかし、今のこの様子からはとてもそうは思えなかった。


「もちろんだよ。私のことを思ってくれたのは嬉しい。だけど、初対面の人に失礼な態度を取っちゃいけないよ。ユイナならわかるだろう?」

「うん……うん……ごめんなさい、先生ぇ……」


 忌火は遂に泣き出してしまった彼女をひとしきり慰めると、私に向かってこう言った。


「お恥ずかしい場面をお見せしております」

「構わないよ。きっと、君達の過去が関係しているんだろう?」

「そう言っていただけるとこちらとしても助かります」


 彼は抱きついているユイナさんの頭を撫でながら、空いた手で懐から一枚の名刺を取り出し、テーブルに置いた。


「見ての通りですので、この状態で失礼を。今すぐに、とは言いません。あなた自身の目でこの世界をひとしきり見る必要もおありでしょう。その後で構いません。私達と轡を並べる気になりましたら、ご連絡を」


 置かれた名刺を手に取り見ると、忌火の連絡先と、彼らの組織名だろう『クニノミヤツコ』という単語が書かれていた。

 私はその名刺を受け取り、部屋を後にした。


「ふぅ……」


 ため息にも似た深呼吸が自然と漏れ出た。

 失意、ではない。落胆もまた違う。しかし、身体から力が抜け落ちているのがわかった。階段を下りる一歩一歩の足取りが重たい。


 あんな話を聞かされて、私はどんな顔をして彼女達に会えばいいというのだ。

 今はとにかく一人になりたかった。久しぶりに、煙草も吸いたいな。だというのに、


「クレハ……?」


 外に出ると、今最も顔を見たくない内の一人がいた。

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