第21話
「お会いできて嬉しいですわ、貴方様」
「どうやってここに?」
「貴方様の在るところにわたくしもおりますから」
回答になっていない回答だった。しかし、今はそれにツッコミを入れる気力はない。
「帰りましょう、貴方様」
「……そうだね」
スラム街の入り口には、クレハが乗ってきたらしい自動車があった。てっきり私が運転することになるのかと思ったら、助手席に座らされた。
「運転できたんだ?」
「こういう機会でもない限り、あまり運転は致しません。わたくしは貴方様の運転する車の助手席に座りたいですから」
「今からでも代わろうか?」
「いいえ。せっかくですが、今日はわたくしにお任せください」
「そっか、悪いね」
もうすぐ9時になろうとしている。流石にこの時間になると、まばらに人の姿が見えるようになった。しかし、私の目に映るエピフィルム人は、当然のように女学生しかいない。それは、忌火が語っていたことを証明していることに他ならない。
(そうなると、彼女達の生まれはどうなっているんだ? まさかコウノトリが運んできたわけでもあるまいし、両親がいない状況でどうやって生命が生まれるというんだ)
体外受精の可能性が頭に浮かんだが、それにしたって受精卵の問題がある。それにそもそも、歳を取らないというのは?
絶対に解けない問題を提示された気分だった。思わずため息をつくと、
「あれ? ここ左じゃなかったっけ?」
レドに戻るのであればここを左折するべきだ。右折してしまっては真逆の方向に行くことになってしまう。しかし、
「いいえ、こちらで合っていますよ」
どうやらクレハには目的地が見えているらしい。しっかりと私の言葉を否定したかと思うと、どんどんレドから離れていく。
不思議に思いながら彼女の運転するままにしていると、
「なにか、お話があるように思いましたので」
クレハはそう言って、「わたくしの勘違いでしたら謝罪致します」と付け足した。
「……いや、君の言う通りだよ」
「そうですか」
「何から話そうか……」
そう言ったものの、私は何を言えばいいのか酷く悩んでしまった。
その間無言が響き渡る車内で、クレハは何も言わずに辛抱強く私が話し始めるのを待ってくれていた。その気遣いが、有り難くもあり、申し訳なくもあった。
「学生に気を遣わせるなんて、私は大人として失格だね」
「いいえ。誰しも、そういったことはあるはずです。ですが、そうですね……貴方様から話しづらいのであれば、わたくしが質問をしても?」
「はは、そうだね。そうしてくれると助かるかも」
最早ヤケクソだった。大人としての矜持も何もかもを捨て去って、クレハの優しさに甘えることにする。
「この世界の在り方については聞きましたか?」
「そうだね。鳥籠の中で終わらない日常を過ごし続けているって聞いたよ」
「わたくし達については?」
「歳を取らない。両親がいない、とかかな」
「貴方様は、それを聞いてどう思いましたか?」
「衝撃を受けたよ。文字通り、目が覚めたって感じだった。〝外〟から来たばかりの頃は、エピフィルムの歪さに違和感を持っていたはずなんだ。なのに、クレハ達と日々を過ごす内にどうしてかそれが当たり前だと認識していた。ねえ、聞いてもいいかな?」
「なんなりと」
「クレハは、このことを知っていたの?」
「少なからず、貴方様よりは知っていました」
「そうだったんだね……どう思っていたのか聞いてもいい?」
「寂しかったです。誰もこの世界の異常に気付いていないのですから。わたくしは常に一人ぼっちでした」
信号が赤になり、車が停止して尚、クレハの言葉は止まらなかった。
「わたくし達は歳を取りません。それは、裏を返せば終わらない学生生活を繰り返すしかないのです。何年経ってもわたくしは3回生。そこには、大人になるという当たり前の選択肢すら用意されていないのです」
私達にとってはありふれた、本当にありふれた大人になるという「未来」が彼女達には最初から存在しない。それはきっと……。
「そう、だよね。ごめんね、今まで気付いてあげられなくて。辛いことを話させた」
「いいえ、貴方様は何も悪くありません。それに、今は違いますから」
「違うって?」
「貴方様がいますから。初めて貴方様のお姿を拝した時、わたくしはやっとこの生き地獄から逃れられるという直感を抱きました。そしてその直感は正しかった」
「……そっか……ありがとう。そう言ってもらえると、少しは救われるよ」
そこで、クレハは車を路肩に停めた。
「貴方様には今、2つの選択肢がございます。一つはエピフィルムという安寧の地でわたくし達とその生を全うする道」
酷く甘い誘いだった。今日の出来事を忘れ、私の身体が動かなくなるその時まで、私を慕ってくれる彼女達と安寧に満ちた幸せな日々を過ごす。酷く、酷く魅力的な選択肢だ。
「もう一つは、この世界に抗う道」
それは、背負う必要のない苦痛を、抗う必要のない運命に抗う道だ。
「どちらを選んでも、わたくしは貴方様がわたくしを不要と断じるその時まで付き従います。今すぐに、とは申しません。ですがいずれ、決めなければならない道です」
背負う必要のない苦痛。抗う必要のない運命。果たして本当にそうなのか?
私が死んでしまったら彼女達はどうなる?
少なからずクレハは再びこの世界で一人ぼっちになってしまう。そんな見えきった選択肢を、「大人」の私が選んでいいのか?
否だ。大人の私は、いや、「私」が救える可能性があるのなら、その可能性を放棄してはいけない。
「私は、抗う道を選ぶよ」
クレハはジッと私の目を見つめて、
「本当に、後悔なさらないですか?」
「しない」
「辛い道ですよ?」
「わかりきったことだ」
「どんな苦難が待っているかもわからないのですよ?」
「きっと乗り越えてみせる」
「でも……」
「大丈夫。私の隣にはクレハがいてくれるから。そうでしょ?」
「それは、そうですが……」
彼女の美しい金色の瞳が不安に揺れる。
「大丈夫さ。私がここにきたのは、きっとそれが理由だと思うから」
そう言って頭を撫でると、クレハの艶やな黒髪が私の指を慰めた。
「……貴方様」
「クレハを一人ぼっちにさせたくないんだ」
「っ! わかり、ました。わたくしは、貴方様に付き従います」
「ありがとう」
「……でしたら、本当に、ええ、本当に業腹ではありますが、彼女にもお話ししてやってください。そこの公園にいますから」
「カンナも来てたのか……わかった。行ってくるから、ちょっと待ってて」
車を出て、カンナが待っているらしい公園に向かった。
目的の人物は、一人寂しくブランコに乗っていた。
普段はピンと立っている大型犬を思わせる大きなケモノ耳が、心なしかしゅんと萎れているように見えた。
「行政官……」
捨て犬のような瞳だった。どこか怯え、何かに恐怖しているような、そんな印象を思わせる。常のカンナからは考えられない瞳の弱さだった。
「……その様子だと、クレハから色々聞いたのかな?」
彼女の隣のブランコに腰を下ろし、そう切り出した。
「わたしが信じてきたものとは、一体なんだったのでしょうか……?」
「辛いよね。私も、自分自身を信じられなくなったよ」
「なぜ今まで、気が付かなかったのでしょうか。この世界は、異常です」
「そうだね。私もそう思う」
「クレハは、今までずっとこれに耐えてきたのですね……わたしにはもう、彼女を批難する資格などない……」
「そんなことはないと思うよ。今までは、これが普通だったんだから」
キイ、キイ、と錆びたブランコが鳴らす音が虚しく響いた。
「生徒会長は、このことを知っているのでしょうか」
「どうなんだろうね。けど、知っていたとしても不思議ではないね」
「そう、ですよね」
再び、キイ、キイ、と錆びたブランコが鳴らす音が響く。
「行政官は、どうするおつもりなのですか」
「私は抗うつもりだよ。終わらない学生生活という鳥籠から、君達を解放したいと思ってる。だけど、無理にカンナを付き合わせるつもりはさらさらない」
「どうして、と聞いても……?」
「私のエゴだよ。歳を取らないというのは、正直難しいところではあるけど、いたずらに学生達が持っているはずの輝かしい未来が奪われるのは見過ごせない」
「未来、ですか」
「うん。私にはなかったものだからね。せめてカンナ達には経験してほしいんだ」
「どういうことですか?」
「カンナには話してなかったね。私はここに来る直前、自殺しようと思っていたんだ」
「じさ――」
「けど、ある少女に止められてね。その時に、私達を導いてって言われたんだ。きっとあの言葉の意味は、こういうことだったんだと思う」
「……そんなことがあったんですね」
「私はね、カンナ。最低な人間なんだよ。生きるためにはなんだってやってきた。これは、そんな私に与えられた贖罪のチャンスだと思うんだ。だから、私は抗う」
「行政官は、強いですね」
「そんなことはないよ。私もここに来るまでずっと悩んでた。だけどクレハと話す内にね、私が死んじゃったらクレハが一人ぼっちになっちゃうって思ってさ。それがきっかけなんだ。色々それっぽいことを言ったけど、結局はそこに尽きるんだよ」
「羨ましいな……わたしも、あなたにそこまで強く思われてみたい」
「カンナのことだって大切に思ってるさ。だから、私の選択に付き合わせるつもりはない。君は君の選択をしてほしいと思ってる。私は、それを尊重する」
カンナはひと時の沈黙の後、ブランコを漕ぎ出した。一回、二回と、ぐんぐんとその高度を上げていった。
そうして全身で風を感じた後、バッとブランコから飛び降りて着地したかと思うと、
「決めました。わたしも、あなたと一緒にこの世界に抗ってみます」
さっぱりとした顔つきでそう言い放った。
「本当にそれでいいのかい?」
「もう決めたことですから。その代わりといってはなんですが……」
「うん?」
「その、あなたのことを……名前で呼ばせてほしいんです」
「名前で? 別にいいけど。そんなことでいいの?」
「いいんです。わたしにとっては、特別なことですから」
「そう? 私の名前は知ってたよね?」
「はい。じゃあ、その……」
彼女はひとしきりモジモジした後、やがて覚悟を決めたように顔を上げて、
「ユウ、さん」
そう、私の名を呼んだ。
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