第十六幕 煙のような

 二人で一晩過ごした翌日。柳楽と醒ヶ井はシーシャ屋へと訪れた。醒ヶ井が勤めている店の店長から、よく行くシーシャ屋の割引チケットをもらったのだ。醒ヶ井は当然のように柳楽におねだりし、昨日の夜から今日までの約束を取り付けたのだった。



「柳楽さんってシーシャの経験あります?」

「あるよぉ、マイシーシャも持ってるし。でも最近はなんだかんだ忙しくて……全然吸えてないな。吸い方忘れてるかもしれないけど、楽しみだなぁ」

 俺はこの人の楽観的なところが好きだ。なんでも気軽にトライする質だから、誘いやすくていい。趣味も、夜のことも。軽い羽のように、どこまでも一緒に漂ってくれるような心地がする。

「んじゃ大丈夫すよ。コツはまた聞けば教えてくれるし……あ、ここです」

「いい匂いがするねぇ」

 店の前までフレーバーが甘く香り、柳楽さんがふんふんと匂いを嗅いでいる。甘いもの好きだもんな。店に入り、適当なソファ席に向かい合って座る。店員がやってきて、メニュー表を渡してくれた。飲み放題とシーシャを二台頼もう。

「さ、フレーバーと飲み物選びましょうか」

 そう言ってメニュー表を渡すと興味深そうに見ている。久々と言っていたし、ここの店は初めてだからだろう。柳楽さんが尋ねてきた。

「おすすめとかってあるのかい?」

「ここのはタバコとか、スパイス風味はちょっと重いかも。まぁ調整してもらえますけど。あとは味の好みっすかね……フルーツ系とかなら大体外れないすよ」

「なるほどねぇ」

 しばらく迷って、俺はチョコとベリー系のミックス、柳楽さんはグレープとシトラスのミックスに決まった。飲み物も併せてオーダーする。

「ここ紙巻きも吸えるんで、待ってる間吸っときます? 灰皿持ってきますよ」

そう言ってレジ横に来た瞬間、入り口から入ってきたのは井上誠哉、俺の上司であり店長だった。


「げーー、店長!」

「なにがげーーや失礼なァ。俺がチケットやったんやろが」

「うす、すません」

 灰皿を持って戻る。店長は俺たちの隣の席に腰を下ろした。やめてくれよ気まずいから。しかもあろうことか気さくに話しかけてくる。まあこの人はいつもそうだけど……。

「お兄さん、こないだウチに来てくれはりましたよね、その節はどうもーー」

「あぁ、あそこの店長さんか! こちらこそ、長い時間お邪魔しちゃってぇ」

 和やかな会話。俺は不貞腐れている。柳楽さんが気付いて声をかけてくれた。

「ははは、やっぱ職場の人と一緒だと気まずいかな?」

「そーすよ、せっかくのデートなのに」

 店長が身を乗り出す。興味津々か?

「え、彼氏になったんかもう」

「違います〜〜俺らはセフレです〜〜」

 店長はなんだぁと笑ってから、ふいと顔を背けて煙草を吸い始めた。この人はいつもそうだから気にしない。さっきまで爆笑していたのに、ふっと表情が消える。柳楽さんも煙草に火を点ける。節くれだった長い指が、か細い煙草を挟み込んでいるのを眺めるのが、俺はお気に入りだった。

「奨くんも吸う?」

「はい」

 火を点けて、吸い込む。一口目、この銘柄特有の甘い香り。喉を温かい煙が滑っていく。副流煙はゆらりと立ち昇り、消失点が不明瞭なまま、消える。煙幕の先には店長の横顔があって、なんだか煙みたいな人だよなぁ、と一人笑った。突然笑ったことで、柳楽さんが反応する。

「ふふ、どうしたの?」

「いや、店長って煙みたいな人だなと思って」

「へぇ。でも、ちょっと分かるかも」

 でしょ、と言葉を返した。シーシャが届けられる。念のため吸い方を教えてもらい、柳楽さんの様子を見ることにした。久しぶりともあって最初は見事にむせたが、数回吸い込めばコツを思い出したようで、こちらは一安心だ。店長は混雑により座席変更をお願いされたようで、惜しみながら反対側の窓際に消えていった。


「店長と会ったの、俺がまだ学生の頃なんですけど、」

 中学生でお洒落に目覚めたものの、金がなかった俺は古着屋を巡るようになった。その時に出会ったのが、井上店長。その店はEUのユーズド中心に扱っていて、値段も手頃だった。そのため、見つけて以来よく利用していたのだ。

「ウチでバイトせえへん?」

 と声をかけられたのが、高校生に上がった時。

「いつも、服単品で見たらジョークかっていうような格好してるんですけど。なぜか似合ってるし、その辺歩いてて浮いてないんですよ」

 どこにでもいるようで、どこにもいない。バイト中もふとしたらいなくなっているし、いないと思っていたら棚の隙間で何かしている。生まれてきた次元を間違えたみたいな感じもあり、誰よりも「ここ」で生きているようでもあり。おまけにいつも飄々としていて、話していても掴みどころがない。

「不思議なんすよね……でもなんか憧れるというか」

「なるほどねぇ」

 柳楽さんが煙を吐いて言った。視線は窓際の井上へ。


「やっぱり、煙みたいな人なんだねぇ」

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