第十二幕 ドレスコード

 青年は洗いざらい陽に晒したカウンターで、藍色の溜息をついた。今日は平日、月曜日ともなれば客入りは少ない。昨日の疲れが取れておらず、昼休憩の後ともなれば重くなる瞼に効果はてきめんだった。

「なんや、醒ヶ井クンまた男漁りしよったんか」

 無慈悲に響くのは店長の井上の声だ。しかし怒ってはいない、揶揄うような声である。

「昨日は女すよ……」

 ぐったりと声を出す。井上は「若いなぁ」と言ったきり、在庫のチェックにしみ始めた。スマホを取り出し、予定を確認する。今日は遅番だから、お相手にありつけるかちょっと分からんな。その時、アラームが控えめに鳴った。目に飛び込んできたのは「柳楽さん来店」の文字。

 そうだ! そこからの動きは早かった。控え室に飛び込んで髪を直し、表に出て陳列してあるラックをチェック。そして通りを行く人に目を光らせる。

 人混みの中、頭ひとつ飛び出た長髪の姿を見つけて笑顔になった。


 時は遡り、前日夜。醒ヶ井と柳楽はそれぞれ一発事を済ませ、いつものバーで和やかに会話していた。

「柳楽さんっていつもかっちりジレ着てますよね」

「これねぇ、ぼく服に詳しくないから……いつも同じ形のもの着てるんだよねぇ」

 柳楽は服にこだわりがないそうで、いつものスタイルが楽だからそうしている、と知ったのだ。醒ヶ井は小さく抗議の声を上げる。

「もったいないすよ! せっかくスタイルいいのに」

「あはは、ありがとう。醒ヶ井くんはいつもオシャレだもんねぇ」

 その日の格好はくすみカラーのロングシャツにとろみのあるドルマンカーディガン、青のボトムを合わせ、足元はエイトホール。

 対して柳楽は、いつもの黒いジレに赤いカッターシャツ、ネクタイ代わりにオフホワイトのスカーフを合わせている。

 黒いスラックス。靴はお馴染みのストレートチップ、髪型もいつものハーフアップ。いや、それでも十分カッコいいんだけど。たまには違う服装も見てみたくなるのは、服屋の性である。

「柳楽さん、明日休みでしょ? 俺の店古着屋なんすけど来てくださいよ! 名刺とフライヤーあるんで。コーディネートしますよ!」

 そう言うと柳楽が笑う。

「えーおじさんでも着れる服あるかい?」

「ありますって!  俺十二時から入ってるんでいつでもいいすよ」

 そう聞いて、柳楽はスラックスのポケットから小さいダイアリーを取り出す。毎回の夜の予定が記してある大事な手帳だ。

「じゃあお願いしようかな……明日か。十三時くらいならお邪魔できるかな」

「やった! 予定入れときますね」

 その結果が今日なのだ。


「こんにちは、醒ヶ井くん」

「ようこそ! 柳楽さん」

 挨拶を交わし、店内へと案内する。どっさり並んだ服の隙間から、店長がのんびり「いらっしゃいーー」と挨拶した。醒ヶ井が棚の間をスイスイと歩いていく。

「好みとかあります?」

「特にないかなぁ。今持ってる服と合わせやすいと助かるかも」

「んじゃ俺、適当に選んでみますね」

 そうは言いつつも、醒ヶ井の表情は真剣そのものだ。ものの十分も経たない内に、満タンのカゴを持って戻ってきた。柳楽自身も数着選んで持ってきたので、それも合わせて迷いなくコーディネートを組み立て、流れるように試着室に案内する。

「流石プロだねぇ……」

 感心したように柳楽が溢す。それに対して醒ヶ井は笑顔で応えた。


「まずはこれを」

 と渡したのは、白いジャケットと黒いレザーパンツ、柄物のシャツを三枚。柳楽が試着すると丈はピッタリだった。パンツは少し長いが、タイトなのでそのまま履いても違和感のない程度。

「……派手すぎない?」

 そう言って試着室を出てきた柳楽を見る。瞬間、ニヤニヤが止まらない……最高だ。ボタン二つ開けの胸元は青緑を基調とした大柄シャツが彩り、シルエットの硬いジャケットの白に引き締められていた。無駄のない身体に寄り添う薄めのレザーパンツ。

「最高に似合ってますよ……これなら他の二枚やスタンドカラー、昨日の赤いシャツなんか合わせても違和感ないすよ」

「そうだねぇ……これは買うよぉ」

「じゃあ次!」


 そこからああでもないこうでもないとコーディネートと試着を繰り返し、終わったのは十六時頃。柳楽は最初のコーデ一式と、丈の長い黒地ジャケット、光沢のある紫のシャツを購入してくれた。

「ありがとうございます!」

 醒ヶ井は心の底から歓喜していた。素敵な人と、素敵な服が出逢うのはなんて美しい事なのだろう。柳楽もホクホクした顔で喜んでくれている。こうした歓びは伝播し、自分たちは「愛おしさ」の伝道師となる。この仕事が心から好きだ、そう思った。

「今度、その服で会ってくださいよ」

 会計が済んだあと、そう言っておねだりをする。柳楽はニヤリと笑い、あの手帳を取り出した。

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