第四幕 遭遇――空知笑美
花曇る夜。裏路地を進むのは一人の女だった。治安は最悪とはいかないまでも良くはない場所だが、彼女──空知笑美にとっては勝手知ったる道だ、堂々と歩く。今日は古い馴染みと久々に落ち合うのだ。
ドアベルのクラシックな音、少し重いドアを踏ん張って開け、隙間から中に滑り込む。
「笑美ちゃんー」
カウンター端のいつもの席で、ひらひらと手を振る姿が見えた。求めていた人、柳楽祀がそこにいる。
「結構飲んでない? ちゃんと勃つんでしょうね」
隣に座りつつ、ちょろりと釘を刺す。数ヶ月ぶりの夜の逢瀬だ。甘く楽しい夜にしたいのだから!
相手は目をいやらしく細め、「今日はノンアルコールだよ」とグラスを振って見せた。この男、よく出来ている。
「ぼくだって楽しみにしてたんだよ? 久々だし……」
追撃される。夜はあんなに激しいのに、普段纏う空気は温厚そのもの、そしてちょっとだけミステリアスな人。思えば、出会った時からこんな感じだっけ。笑美は、懐かしい過去の記憶に思いを馳せた。
──十年ほど前か。初めて出会ったのは。
私は大学生で、学費を払うためにキャバクラで働いていた。そこに会社の二次会で訪れたのがこの柳楽おじさんだった。
第一印象は朗らかないい人。こちらの話題に程よく食いつき、盛り上げる事も忘れない。上司の長々とした自慢話にも嫌な顔もせずうんうんと合槌を打ち、それとなく嬢のドリンクも催促してくれる。皆こんな客だったら本当に楽なのになぁと思ったものだ。
楽しい接客は何事もなく終わった後日、一悶着が起きた。ベロベロに酔った彼の上司とアドレス交換をしていたのだが、その上司が店外で会えないかとしつこく粘るようになったのだ。それ自体はまぁ、慣れているから別になんともない。適当にいなしてきたのだが、ある日の帰り道、店の近くに待ち伏せされているのに気づいてしまった。
走って逃げるも、ハイヒールで疲れた足ではそう速くも走れない。あっという間に捕まり、物陰に連れ込まれそうになった。もういいや、一発ヤらせれば落ち着くだろう……と腹を括った瞬間、その上司が道の向こうに吹っ飛んだ。
「笑美さん、逃げて!」
響いたのはあの柳楽さんの声。彼はそのまま上司に組みかかり、「逃げて!」と繰り返した。揉み合いの音、殴られたらしき肌のぶつかる音がする──。
私は靴を振り捨てて店に逃げ帰り、黒服達に事情を話した。彼らはすぐに駆けつけてくれ、無事上司は捕縛されたのだった。柳楽さんはかなり殴られていたけど軽症だったようで、病院で軽く手当を受けただけだと後日来店した時に話してくれた。
聞けば、上司が今度待ち伏せしてやると息巻いていたのを聞いて説き伏せようとしたが全く聞きやしなかった。そのため事件になるよりはと、こっそり跡をつけていたらしい。
上司の代わりにと、絆創膏やガーゼだらけで深々と頭を下げる姿にときめいてしまった。男ってのも悪くないなと初めて思えた。その場で連絡先を交換し、個人的に会うようになったのが大学を卒業する頃。
以来、歳の離れた友人として、たまに会って楽しむセフレとして、のんびりと交友を楽しんでいる。柳楽さんの喫茶店で、手作りの日替わりケーキとコーヒーを楽しむのが最近の楽しみだ。
……昔を振り返って話をしていたら、不意に柳楽から手を重ねられた。
「それでこんな風に仲良くなれるんだもの、殴られ損にならなくてよかったよぉ」
それはズルいでしょ、と笑美が返せば、相手は朗らかに笑う。
もう一度、どちらからともなく乾杯をして、グラスを干した。さぁ、いつものホテルで熱い夜が始まる。
『いつものホテル』は、このバーの裏手、穴場のラブホテル。フロントとももう長い付き合いなので、鍵と一緒にヘアアイロンを受け取って部屋に向かう。
入ると同時にドリンクを注文し、小休憩。この時間が一番心が満たされる。気取らず、でもお互い甘やかな気分を高める時間。ソファに並んで座り、肩にもたれかかりながら煙草を吸う。
静かに見つめ合い、視線を絡めて時折微笑み合う。彼の紫の瞳がキラキラ、ギラギラとシャンデリアを反射し、煌めく。夜の空気みたいに清々しくて、計り知れなくて、魅力的な人。段々手を繋ぎ、指を絡め、唇を合わせる。
いいムードになったところで、相手の頬に軽いくちづけ。
「シャワー浴びてくるわね」
今夜も楽しくなりそう……。
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