柳楽我楽多店
柳楽やぎお
第零幕 柳楽我楽多店 序章
ビジネス街との境、繁華街の端、ビルの一階のテナント。そこに「柳楽我楽多店」はひっそりとある。
周囲には、同じビルの一軒隣に少し広めの煙草屋、向かいのビルにはカラオケ店や居酒屋。少し中心よりに行けばバーやキャバクラ、ラブホテルなんかもある。どこにでもある繁華街の景色だ。まだ昼間のためか空気は澄み、どことなく街全体が静かな瞬間だろう。
午前九時半、店主がやってきて店内の掃除や換気など準備を始める。軽快な革靴の足が、狭い店内を駆け回る音。はたきが窓越しに忙しなく動き、ややあって掃除機の音がする。九時五十分には店頭に出て掃き掃除。十時には引き戸を開け放って、開店だ。
客の出入りはまちまちで、日にもよるが、なんだかんだ客足は途切れない。年齢層も性別も様々だ。時たま近所の猫すら入り込んでいる。その度、困り笑顔の店主が抱えて出て来ているが。
昼近くになると、軽食を求めて一気に客足が増えるようだ。開け放しの扉からはコーヒーや軽食の良い香りが漂い、食欲を刺激する。席が空くのを待つのに、一軒隣の煙草屋は重宝するらしい。時折喫煙所から頭を覗かせては、店内を伺う姿がいくつか見える。
店内から出てくる客は、みな満足気な顔をしていた。店に走り込んで、紙袋を持ってまた走り去って行くビジネスマンもいる。狭い店なのでひどく出入りが激しく、朝とは打って変わって賑やかだ。
十五時には客足も落ち着いてくるようで、どうやら店主はお菓子作りを始めたらしい。オーブンで焼ける菓子の甘い香りが、鼻をくすぐる。何を作っているのだろうか。好奇心に誘われるまま、店の入り口に掛かっている暖簾を潜った。
店主、柳楽祀は奥のカウンター内にいた。
横の窓から入るかすかな陽射しが、少し薄い色の長い黒髪と長めの睫毛を柔らかく照らしている。伏せた目は手元の帳簿に注がれていて、柔らかい笑顔が絶やされることはないようだ。個人経営のわりにしっかりとネクタイを締めてベストを着ていて、ワイシャツの袖は水仕事のためか捲られている。
こちらの足音に気づいた彼が、そっと面を上げた。すらりと音がするような心地ですぐに姿勢を正し、穏やかな声で言った。
「いらっしゃいませ、柳楽我楽多店へ」
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