第九幕 白日に曝されて
僕、佐々木陽には秘密がある。セフレ(に幸運にも納まることができた)相手、柳楽祀さんにガチガチの片思い中であることだ。妻と別れた時に誰よりも優しい温度で寄り添ってくれた彼に、ときめきが止まらない。彼以外の男性を特に魅力的に思う事もないので、これはつまり恋なのだ……。
なぜ秘密にせねばならないかと言うと、一つは彼、柳楽さんは固定の相手を作らない主義であること。もう一つは、僕なんかが彼のお眼鏡にかかる相手でないのが分かりきっているからであった。男にしては貧弱な上に弛んだ身体、普通より下の顔。おまけに赤面症で、話し出す度にどもってしまう。
こんな奴フリーでも相手にしたくないだろうに、なんて優しい人なんだろう。「誰でもいい」の範疇にはギリギリ引っかかっている事が嬉しくて、今夜もまたお誘いのメールを打ってしまう。
帰ってきたメッセージは
「今日は朝までが一人予約だから、その前にしようか。何時に来れる?」
というものだった。
「十七時半にはバーに着きます」
と返信をして、待つこと一分。無事予定が決まった。
それにしても一晩に二人も抱けるなんて…どんな体力しているんだろう。服の下を見た感じ、なかなか絞られてはいたけど、同期の徳田ほどガチガチに鍛えている訳でもないのに。……それでも、綺麗に節だった腕や割れた腹筋を思い出して、腰が重くなる。
徳田、徳田なぁ。部署一のイケメン、高身長のマッチョで成績もトップ。この間の、部長の結婚祝いパーティーの幹事は彼だった。それを考えると、彼もここで相手探しをしたりするんだろうか。もしかして、柳楽さんとも……? 二人が並んでいる図を想像したら嫌になるほど良く似合っていて、頭を振って考えを振り払った。いや、そもそもあいつが男イケるのか知らないし。
いけない、約束の時間に遅れてしまう。何とか終わらせた仕事の後片付けをして立ち上がる。急がなくちゃ……いそいそと会社を後にする。
バーに到着したのは十七時二十五分。セーフだ! 中に入ると、いつもの席に柳楽さんがいた。横の席は予約の札がついていた。後ろからそっと近づき、声をかける。
「あ、あの、お疲れ様です」
彼はすぐに振り向き、ふっと目を細めるいつもの笑顔になった。
「こんばんは、佐々木君。席どうぞ」
そう言われて席に着こうとした時。ふと、反対側の隣を見て佐々木は危うく叫びそうになった。徳田が、徳田がいる……!? でもどうしようもない、柳楽さんの隣の「予約席」に座るのだ。ばれてしまうのは避けられない……。
観念して席に着く。それと同時に徳田が振り向く。
「あれ…佐々木……?」
やっぱりだ——。
「とっ徳田……これはその、あの」
何も言葉にならない。頭は真っ白で顔は真っ赤、声と身体は震えている。
「あれ、二人やっぱ知り合いなの?」
柳楽さんの助け舟。と言うか追い討ち。
「この間のパーティーで二人ともいたもんねぇ」
と一人納得している。
「そうなんですよ、会社の同期で」
徳田が爽やかに答えた。
「佐々木ってコッチの人だったんだね。とりあえずなんか頼んだら?」
言われるまま、近寄ってきてくれたマスターに「モヒートください」と言った。
「あの、あの……他の人には内緒にしてください」
徳田に頭を下げて哀願する。帰ってきた返答はあっさりしたものだった。
「もちろん。俺のことも内緒でお願いします」
え、と言えば「俺は男しかいけないので」との返答。や、やっぱり? と言っては失礼かもだが、めちゃくちゃモテるのに誰一人相手にしていない時点で、もう社内で噂は立っていた。赤べこみたいに首を振って了承の意を示すと、彼は笑った。くそっ、本当に好青年だな……。
モヒートが目の前に置かれる。一口含んだそれは、あの秋の日と同じ爽やかさで、喉を潤してくれた。やっと一息つく。そこで柳楽さんが口を開いた。僕にではない、頭一つ越えた、徳田の方に。
「徳田君も、先に誰かとヤる?」
えっ。
「はい、誰かしら探して。マッチングしなかったら、ここでいい子にしてますよ」
爽やかな顔に似合わない言動……やっぱこの二人、ヤってんだ……。絶望でもないがなんだか気持ちがしおしおしてしまう。
「ぼくたちも終わったらこちらに戻ってくるようにするから」
柳楽さんの声が遠く聞こえる。
「大丈夫かい?」
今度は肩に腕を回して、優しく揺さぶられる。
「気分悪いなら、ノンアルに……」
そう言いながら頬に手を当てられた。身体ごと心臓が跳ねる。
「ちっちが……!大丈夫です、緊張してるだけで」
そう言うと笑いながら手を離す。
「無理しないでねぇ」
と優しく言いながら。
緊張のせいか、ドリンクはあっという間に空になった。柳楽さんも合わせて飲んでくれたようで、「さぁ、行こうか」と声がかかる。
バーを出て、いつものホテルへ。道中、柳楽さんは何も言わなかった。優しく見守っているような目つきで、歩調を合わせてゆったり歩いてくれるだけ。この人はどうして僕の欲しいものが分かるんだろう……不思議で仕方ない。人を、本当によく見ているだけなのかもしれないけど。それは一朝一夕で出来ることではない。この人の昔を、歴史を、知りたくなってしまう。
ホテルの部屋で。シャワーを終えてベッド脇に行くと、柳楽さんが座って待っていた。バーでは煙草を吸っていたけど、僕が来るとすぐに消す。この人は非喫煙者と一緒の時は、一本も吸わない人だ。そういうところがモテるんだろうな……。
並んで座ると、優しく声が降ってきた。
「何か、心配事かい」
……違うんです。
「いえ、徳田はカッコいい奴だから。勝手に引け目に感じちゃうだけなんです」
多分最初は徳田が一晩の予約だったんだろう。そこに僕の予定を無理矢理捻じ込んでもらったに違いない。申し訳なさで声が震える。
「二人の邪魔しちゃったなって」
柳楽さんは、「あはは」と笑った。驚いて顔を見る。
「ぼくにとっては二人とも、大事な遊び友達だからね、気にしなくていいんだよ」
そう言ってまた笑う。
「ぼくは固定の相手は作らないと決めているし、それが居心地がいいから。彼や君がどんなに魅力的でも、それ以上にはならないのさ」
そう言って、彼は僕をそっと抱き寄せた。
なんてズルい人なんだ。そんな事を言われたら、もう何も言えなくなる。でも、なら、それでいい。僕は僕で気持ちはあるけれど、お互い心地良い関係で居るのが一番良いと思えた。せめて、自信を持って彼の隣に立てる自分になりたい。
「僕も筋トレしようかな……」
んー? と柳楽さん。
「セックスしてればぼくくらいにはなるよ?」
いや、それは相当やり込んでるからだよ。
「そんななるまでやったら死んじゃいますよ……」
僕がそう呻くと、柳楽さんはちょっと意地悪に笑ってこう言った。
「じゃあ、試してみようか」
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