第十四幕 惜しみなく、注ぐ
その日、シュウこと尾形修二は、春風の中を意気揚々と歩いていた。天候は、晴れやかな心を映したように雲一つない晴れ。小さな鯉のぼりも優雅に泳いでいる。向かう先は、大学の友人のバイト先であるアパレル店である。二十一歳の誕生日であるこの日に、デート用の服を見繕ってもらう約束をしたのだ。
店の自動ドアを潜る。約束をした相手、清水宏輝がそこに待ち受けていた。相変わらずモデルみたいなカッコいいやつだ。
「いらっしゃい、早かったじゃん」
「楽しみすぎて……」
素直な言葉に、清水は声を押し殺しながら笑う。
「んじゃまぁ、色々試してみよっか」
そこからは怒涛の二時間。デートの日の天候はどうだとか、時間帯はどうだとか。色々なシチュエーションを考えつつ吟味していく。
「ラフなジレ一つあるといいよ、普通のシャツ着ても様になるし」
「これなら重ね着でも良さそうじゃない?」
「上着黒ならカラーのボトムがいいだろ、好きな色なに?」
ああだこうだと相談し、たっぷり中身の詰まったカゴをレジに持っていく。全部の札を読み取り、会計を済ませようとした時。清水は財布を出そうとしたシュウを制止した。
「これ全部、今日俺が払うから。誕生日プレゼント」
「えっ!」
一方その頃。柳楽は己の店を開けつつ、一人ケーキ作りに励んでいた。店で出すものではない、いつもお世話になっているマスターからの頼まれもの。
「明日、シュウは休みなんだけど、誕生日祝いうちでやってくれるって言うんだ。……この間のチーズケーキ美味そうに食べてたから、また作ってやってくれないかな」
そう頼まれたら否やはない! いつも明るく迎えてくれるシュウくんのためなら。
「喜んで作りますよぉ! 小さい型がないから、レアチーズタルトにしようかな。そっちにフルーツありますよね? ぼく十九時半から入って仕上げします」
話が決まったのが先週。シュウくんたちは二十時から予約らしいから、店を閉めてからでも十分間に合う。楽しみに夜を待った。
約束の二十時。シュウは清水を連れ、バーの入り口に立つ。服は店で買ったものに着替えて、とびきりおしゃれをして。扉を開け、笑顔で出迎えたのは——いつものマスターと柳楽の笑顔だった。
「あれっ柳楽さん!?」
「いらっしゃい、シュウくんとお友達さん。いつもと逆だねぇ。……お祝いだって言うから来ちゃったよぉ」
微笑みながら予約席へ案内される。柳楽はメニューを渡して一度離れた。
シュウはまだびっくりしている。もしかして、自分が休みをとったから柳楽さんに招集がかかったんじゃ……? ぐるぐる考えていると、清水が身体を揺さぶった。
「おい、戻ってこいよマジで」
「あぁあ……ごめん……」
ドリンクと料理を何品か頼み、待っていれば徐々に緊張も解けた。ドリンクが届けられ、清水と向かい合って乾杯する。
「シュウ誕生日おめでとう! 乾杯」
「今日もありがとね本当! 乾杯」
グラスを合わせると同時に、店内がざわめいた。常連達が声を上げる。
「おいシュウーーー誕生日なら早く言えよ!」
「今日は財布出させねえぞ!」
馴染みの客がゾロゾロと、マスターと柳楽が大笑いしているカウンターまでやってきた。そして皆それぞれ、思い思いの金額をマスターへ手渡してゆく。
「ダメですよ皆さん! マスター! 止めて!」
シュウの制止も叶わず、そこそこな金額が集まってしまった……清水も爆笑している。常連達は一人オロオロしているシュウの頭を撫でていったり、肩をポンポン叩いたりしてから席へ戻って行った。
「まぁまぁ、いいじゃないのぉ年に一回くらいさ」
こともなげに柳楽が言う。
「皆さん、本当にありがとうございます!」
声を張り上げ、清水と柳楽も一緒に、店内の客に頭を下げる。賑やかな拍手に包まれた。ひょっとしたら、生まれた家ほどに温かいこの場所。これからも大事にしていきたい。シュウはそう強く思った。
ひとしきり騒ぎが収まったところで、二人で料理を食べ進めていると、ふと清水が言った。
「ケーキ、買わなくてよかったのか? まぁ甘いもんそんな得意じゃねえか」
「迷ったんだけどね……宏輝は好きだしやっぱ買えばよかったかな。でもここ、最近ケーキ置いてるんだよ」
そう話していた時。突然、バースデーソングが流れ出した。客達の手拍子の中躍り出た柳楽とマスターの手には、それぞれフルーツをてんこ盛りにしたレアチーズタルトのプレート。それを二人の前に置き、改めて言った。
「『シュウくん、誕生日おめでとう!』」
尊敬する雇い主と元先輩に祝福されたシュウは、もうダメだった。笑っているのに涙が溢れてくる。もしも心が機械なら、とうに過負荷で壊れているだろう。胸がいっぱいで、何も言葉に出来ない……。二人に抱きついて、声にならない礼を言った。
「祀の作ったケーキだから、美味しく食べられると思うよ」
「甘さ控えめで頑張ったからねぇ! 料理がなくなったら食べちゃいな、珈琲もあげるから」
マスターと柳楽が優しく囁く。こくこくと頷きながら、再度礼を言った。皆がだんだんと、各々の場所へ戻る。今度こそ、バーは元の静けさを取り戻した。
清水は一連の流れを見て、未知の感覚を覚えていた。自分がここで働いていた頃にはもう居なかった人、柳楽さん……。彼は不思議な感じがする。表向きは柔らかく、けれど自分の内側には立ち入らせないような雰囲気があった。それなのに、他人に溢れんばかりに愛を注ぐ人。きっと極度のお人好しなのだろうが……ただ、その全てがやけに魅力的に映って、なんだか妙な気分になった。
何かが繋がった気がして、清水はシュウに問いかける。
「なぁシュウ。デート相手って……」
なおもグスグズしていたシュウが、目元を拭って照れたように微笑んだ。
「柳楽さん。……一日だけだけどね」
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