第七幕 柳楽我楽多店の日常
ぼくの「柳楽我楽多店」──柳楽祀の巣、なんて呼ばれたりもしているらしい——は繁華街の隅にあるテナントだ。九時半には店に入り、掃除と換気をして、今日のケーキとポップの支度を整えて。午前十時ちょうどに店のドアを開放する。
客の入りはまちまち。中東から西洋まで、様々な雑貨を扱うこの店の客層は様々だった。オープンして五年、業績は静かに右肩上がりなのが救い。
ありがたい事だ。さまざまな偶然に感謝して生きている。
ビジネスマンをしていた頃の自分が、今の自分を見たらどう思うだろう。きっと大層悔しがるに違いない。それほどまでに今の生活は心地良く、天職である実感があった。
開店から三十分、最初のお客様が来た。この方は定年を迎えた紳士、大の珈琲好きで、よく昼前に来店する。カップのコレクターでもある、素敵なお客様だ。
「今日は年金支給日だから、あの子をお迎えしようと思って!」
そう嬉しそうに言う姿に、こちらも笑みが溢れる。
「ちゃあんと、いい子で待っていましたよ」
取り出したるは翡翠色の美しい、耐熱ガラスのマグカップ。ヴィンテージの傷なし、素晴らしい一品だ。最初に来店された時、一目惚れなさったとか。
以来、半ば取り置きの形で取っておいてあった。
「状態のチェックをお願いします」
そう言って品物を両の手に渡す。彼はそっとカップを撫でて、くるりとひっくり返したり、眼鏡を持ち上げて縁を確認したりと、入念にチェックしてくれた。「うん、申し分ない」
ゴーサインが出た。
「では、お包みしますね」
そう言うと、彼は微笑んでカップを返す。割れないよう、慎重に紙を巻き、段ボールで補強した。
「耐久性が高いのが魅力ですが、流石にガラスではありますので扱いにはご注意くださいねぇ。明日からのコーヒータイムに、どうぞ使ってやってください」
そう伝えると、うんうんと頷いていた。こうした幸せそうなお客様を見ると、こちらまで嬉しくなる。ぼくはやはり接客向きだなぁ。
「コーヒーもいかがですか?」
と尋ねれば、
「コーヒーと、いつもの」
と返事が返ってきた。いつもの、とはシナモン風味のカラメルビスケットである。彼の好物だ。元々お茶請けとして二枚無料で出していたのだが、「お金払うから十枚にして!」との提案で特盛り、二百円もらっている。
珈琲を淹れていると、二人目の来店。これはこれは見慣れた顔。
「こんにちは祀さん」
笑美ちゃんだ。今日はオフらしく、いつものミニスカではなくパンツスタイルだった。
「今日のケーキなぁに?」
彼女はぼくのケーキが好きらしく、よく食べに来てくれる。
「今日はガトーショコラだよ」
と言えば、小さくガッツポーズをした。
「じゃあケーキとコーヒーで!」
珈琲を二人分、先に出す。各々楽しみだした。一口含んだ時の幸せそうな顔がぼくの頬も緩めてくれる。そしてケーキを冷蔵庫から出し、ホイップを絞って提供。笑美ちゃんは「あたしこれ大好きなのよ!」とニコニコしている。
「作った甲斐があったよ」そう答えると、「毎日でもいい……」と噛み締めるように言った。
「器用なんだねえ」
とカップコレクターの彼が言った。
「いえいえ、まだまだですよ」
謙遜したが、彼は感心したように眺めている。……照れるなぁ。
「メニュー増やしたいとは思っているんだよねぇ、何か好きなお菓子ありませんか」
尋ねれば、
「アップルパイかなぁ……」
と返ってきた。やっぱシナモン好きなんだな彼。
「今度やってみますか……シナモンたっぷりのをね」
ウインクすると、口元が綻ぶ。「楽しみだな」と笑ってくれた。
「シナモン系ならシナモンロールもいいんじゃない?」
と笑美ちゃん。なるほど? パンもいいかもしれない。「試作のリストに入れとくね」と返すと「やったー」と歓声をあげた。
思い思いに時を過ごして、二人は帰って行った。カップや皿を洗って、ぼくも珈琲タイム。時刻は十二時を回ろうと言うところ。試作のリストに目を通す。アップルパイ(シナモン多め)とシナモンロールを書き加えておいた。
ぼくは断然アナログ派で、メモはなかなかデジタルに移行できない。そのため、レシピを書いたノートやら、珈琲チケットのメモやら、店には至る所に紙がある。ボヤだけは気をつけなくちゃ……と常々思っている。スマホでアップルパイのレシピを探しながら珈琲を啜っていると、暖簾の向こうに人影が見えた。
「いらっしゃい、空いてますよぉ」
声をかけると、身体を縮こめた青年の顔が暖簾を覗いた。
「佐々木くん、いらっしゃい」
今日は馴染みがよく来る日だ。
「今日は外回り?」
尋ねると、「はい……」とはにかんだ笑顔が返ってくる。笑ったら好青年なんだけどな。いつも彼はどこか、おどおどビクビクしている。
「今日って軽食、ありますか?」
ちょうどお昼時だもんね。
「サンドイッチなら作れるよ。お任せでいいかい?」
「はい、それで。あとアイスコーヒーを」
小さめの声で答えて、微笑む。
「具は目玉焼きとベーコンとレタスなんだけど、嫌いなものある?」
聞けば、ブンブンと首を振った。アイスコーヒーを出して、調理に取り掛かる。佐々木くんはぼくの手元をチラチラ見つつ、コーヒーを啜っていた。
フライパンでベーコンを焼き目がつくまで焼き、パンを切ってレタスを散らす。その上にマヨネーズとマスタード、ベーコンを乗せたら、フライパンに残った油で卵を焼いていく。スーツにこぼしたらまずいから、固めに焼いておこう。焼き上がったら上に乗せて、パンで挟んだら食べやすい大きさにカット。
「はい、お待たせ」
渡すといそいそと食べ始める。身長が百七十センチない位なのも相まって、なんだか小動物感があるねぇ。ふふ、と低く笑ったぼくを、彼は不思議そうに見つめた。
「かわいいね」
そう言うと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。赤面症、と言ったか。最近は反射的に逃げる事はなくなったあたり、彼も慣れてきてはいるんだろうな。
ひとしきり堪能した後、彼は立ち上がった。
「ありがとうございます、これで……午後も頑張れます」
良い事だ。
「うん、頑張ってねえ。またバーで会おう」
そう言うとはにかんで支払いをして出て行った。帰りは少し、背筋が伸びていたかな。
時刻は過ぎて、十五時ちょうど。ふらっと訪れたお客様、たまに新商品がないか見に来てくれるお客様。入れ替わり立ち替わり色んな人が来てくれた。今日のケーキは完売御礼だ。
閉店まであと四時間。これからの時間帯は学生さんや帰りがけのサラリーマンが多くなる。暇つぶしにクッキーでも焼くか。
クッキーの焼ける良い香りが満ちてきた頃、そっと暖簾をくぐってきたのは女の子、見たところ学生さん。
「いらっしゃいませ、ゆっくり見てってねぇ」
と言うと、恐々こちらに寄ってきた。聞けば、最近エスニックに凝っている友達へ、プレゼントを買いに来たのだという。
「私は詳しくないから、何を選んだらいいか分からなくて」と。
「相手の子は、服装もエスニック?」
ぼくがそう尋ねるとはい、と返ってきた。服装、小物に至るまで統一しているらしい。
「予算は?」
ここは大事なポイントだ。エスニック系というのはなんだかんだ輸入だから、ちょっと値段が張る。
「五千円までで」
うん、なら十分かな。お友達の好きな色は緑だという。店内を見回した。ああ、これはどうだろう。いくつか品を出してみる。緑のタイダイ染めのレギンス、ミックスカラーのアームカバー。これからの季節肌を出すだろうし、アベンチュリンが嵌まったアンクレット。ざっくり織られたニットのバッグ。
出したものをカウンターに並べ、彼女と向かい合う。
「お友達は五月誕生日なのかな?」
こくん、と頷く。
「予算を考えるとこんな感じかな、全部値札ついてるからね。緑っぽいものを集めてみたよ」
と、そうぼくは勧めてみた。
「手にとって確認してみて。ぼくは他になんかなかったか見てみるからねぇ」
そう言って彼女をカウンターに残し、ぼくはまた店内を見て回る。女の子はバッグのサイズや開け閉めのしやすさ、レギンスのサイズや厚みなど、バッチリとチェックしているようだ。
追加でミックスウッドのネックレスや定番のカットソーなどを抱えて戻ると、彼女はアンクレットをじっと見ていた。
「これって、他の色の石もありますか」
なるほど。
「あるよ、たとえば?」
「赤い色の、とか」
オーケーだとも。微笑んで、カーネリアンが嵌まったものと、ピンクのトルマリンが嵌まったものを持ってくる。
「こっちはカーネリアン。こっちはピンクっぽくなっちゃうけど、トルマリンがついてるねぇ」
彼女に手渡すと、輝きを確かめるように見ていたが、やがて心が決まったようだった。
「このピンクのと、緑の両方。緑のと、このレギンスをプレゼント用でお願いします!」
「友達とお揃いにするんだね?」
そう尋ねると、にっこり笑った。よっぽど仲良しなのだろう。
「よーし、じゃあアンクレットはそれぞれ二百円引いちゃおう! サンダルに合わせて、ガンガン使ってねぇ」
出血大サービスだ。驚きつつも、わーいと手を叩いて喜んでくれた。
値札を切って、プレゼント用に包装していく。女の子が控えめに尋ねてきた。
「ここって、喫茶店もやってるんですか?」
「そうだよぉ、飲み物メインで、日替わりケーキもあります」
そう言ってメニューを指差すと、わぁ、と興味深げに見つめている。お店のフライヤーと二つの包みを大事に持って、女の子は帰っていった。また来てくれるといいな。
そうこうしていたら十八時だ。粗熱のとれたクッキーを容器にしまって、次の日のケーキ作りに取り掛かる。明日は……パウンドケーキにするか。チョコレートと熟したバナナがあるし。
材料を出して、ボウルで混ぜ合わせる。大きいから量があって、中々大変な作業だ。生地を型に流し込んで、予熱をしておいたオーブンで焼く。焼き上がりを待つ間に、洗い物と掃除、商品の補充をする。焼き上がったら、粗熱をとって冷蔵庫へ。終わる頃には閉店時間になっていた。
さぁ、これからはお楽しみの時間だ。身体をシートで拭き、身なりを整えて店を出た。香水を吹き付けるのも忘れない。
今日は誰と遊ぼう? どんな風に夜を楽しもう? 頭はそんな事でいっぱいで、バーへ進む足取りは軽い。朝の顔よ、また明日。
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