第16話 悪夢の終わり

 ダグとイリス皇女様が手を取り合っている。

 それを私は黙って見ていた。


(ダグ……)


 いつもの夢だ。

 ここで何か言い返そうとしても、声が出ずにいつも目覚めてしまう。


 ダグに利用されたことが悔しい。

 だけどそれ以上に、利用されて捨てられてもなお、この男に縛られ続けている自分が悔しい。


(今日こそ……今日こそ言い返さなきゃ……)


 焦燥感だけが募り、いつものように声が出ない。

 

 その時、急に右手が温かくなった気がした。

 遠くから声も聞こえる。


『アウラ――』


 私の名だ。


 途端にフワッと心が温かくなり、今まで何に焦っていたのだろうと不思議に思うくらい、心が凪いだ。


 ダグの夢を見るたびに、何か言い返さないとと焦っていた。

 言い返せないたびに、そんな自分を責め続けた。


 だけどあの人は、自分を責めなくていいと言ってくれて。

 笑ってやればいいと言ってくれて。


 私にはその資格があるのだと、言ってくれて――


 今まで縮こまっていた心に力が漲っていく。

 その力は全身に行き渡り、背中が自然と伸びる。


 見たくないと目を背けてきたダグと皇女様の姿を、真っ直ぐ見据える。


 一時も目を逸らさずに。


 皇女様と見つめ合っていたダグが、私の方を見た。

 形の良い唇が嘲笑で歪む。


『お前はもう用無しだ』


 だけどその言葉に、今まで私を苦しめてきた鋭さはない。

 痛みもない。


 そう思った瞬間、私の口から驚くほどスッと言葉が出ていた。

 その声は笑っていた。


「私も、あなたなんてもういらない」


 ……言ってやった。言い返してやった‼


 飛び上がって勝利宣言しようと思った次の瞬間、私の意識は現実に戻っていた。


 視線の先には、私が使わせて頂いている部屋の天井が広がっている。顔を横に向けると、暗くなりつつある窓の外が見えた。


 ゆっくりと身を起こすと額から何かが落ちた。見ると濡れたタオルだった。どうやら額に乗せられていたみたい。


 それを見て、ついさっきまでマーヴィさんと一緒にいた自分が、何故ベッドの上にいるのかを思い出した。


(そうだわ……私、突然眩暈がしたかと思ったら、そのまま気を失ってしまって……)


 体が熱かったのは体調不良によるものだったみたい。

 マーヴィさんとの会話をしているときに興奮してしまって、倒れてしまったのだろう。


 突然、ドアが開いた。

 入って来たのは桶を持ったマーヴィさんだった。

 

 彼はベッドの上で体を起こしている私を見て、細い瞳を大きく見開いた。勢いよく立ち止まったせいか、桶の中の水がパシャッと跳ね、床に零れた。


「あ、マーヴィさん、水が零れて――」

「大丈夫か、アウラ!」


 大股でこちらに寄ってくるから、そのたびに桶の中から水が零れた。だけどマーヴィさんは構うこと無くベッド脇に桶を音を立てて置くと、傍にあった椅子を引き寄せて座った。


 随分心配をかけてしまったみたいで、食い入るように私を見てくる。


「すみません……日頃からマーヴィさんに、体調を気遣って頂いていたのに……」


 私が頭を下げると、マーヴィさんは私からハッと顔を離し、椅子の背にもたれかかった。黒い瞳を伏せ、ゆっくりと首を横に振る。


「いや……俺こそ気付かなくてすまなかった。気分はどうだ?」

「もう大丈夫そうです。今思えば、昼頃から何だか体が熱いなとは思ってて……でも私、随分眠っていたんですね。もう夕方だなんて……」

「まあ、倒れてから一日半ちかく経っているからな」

「……え? 一日半⁉」


 思わず体が、マーヴィさんの方に乗り出してしまった。頭の中で、昨日の予定がグルグルと回る。


「うそ……あ、じゃあバックス様とのお約束が……」

「そんなことを言っている場合じゃないだろ。父には事情を話し了承済みだ。今はゆっくり休むことだ。もちろん神聖魔法を使うことも禁止だ」

「……す、すみません……」

「謝らなくていい。ただ皆が心配しているし、無理をさせてたんじゃないかと後悔している。だから元気になった姿を早く皆に見せてやってくれ」

「うっ……わ、分かりました……お言葉に甘えます……」

「よろしい」


 そう頷くマーヴィさんの表情に安堵が見えた。

 私が素直に休むと言ったので、安心したのだろう。


 しかしすぐさま彼の表情が曇り、どこかこちらの様子を伺うように声を潜めた。


「……ところでうなされていたようだが……その、大丈夫か?」

「えっ? 私、うなされていましたか?」

「あ、ああ……」

 

 マーヴィさんは私から視線を逸らすと、躊躇いがちに言った。


「……ダグの名を、呼んでいた」


 それを聞いた瞬間、身体中の血液が顔に集中した。夢の中では声が出なかったのに、現実では声が出ていたらしい。


 よりにもよって、マーヴィさんがいる前で……


(は、恥ずかしすぎる!)


 火照った顔を両手で覆う私を見て、マーヴィさんが慌てて言葉を続けた。

 驚くほど早口だ。


「い、いや、あんたとダグは長い付き合いだ! あんなことがあったからと言って、今までの思い出をそう簡単に忘れられるとは思っていない! 辛いときに、ゆ、夢に出て来ても仕方ないというか……」


 いや、え?

 ええ?


「ちょ、ちょっと待ってください! マーヴィさん、その言い方だとまるで私が、ダグのことが恋しくて夢に見たみたいじゃないですか⁉」

「え、違う、のか?」


 早口でまくし立てていたマーヴィさんの言葉が、一気にゆっくりになった。

 ポカンとするマーヴィさんの表情がおかしくて、私は思わず吹きだしてしまった。

 

「違いますよ。実は私……ここに来てからよくダグの夢を見ていたんです。ダグが皇女様と手を取り合ってて、私に対し『お前はもう用無しだ』と言ってくる悪夢を……だから、マーヴィさんが思っているような気持ちで夢を見ていたわけじゃないです」


 途端にマーヴィさんの表情が、厳しいものへと変わった。


 怒ってくれている……のだろうか。


 何故か嬉しく思ってしまう心に慌てて蓋をすると、手元に視線を落としながら話を続ける。


「私、夢の中でダグに言い返してやりたかったのに、どうしても声が出なくて……ずっと悔しかったんです。ああ、私って夢の中ですらダグに言い返せないんだって。だけど――」


 口元に自然と笑みが浮かぶ。


「今日の夢は少しだけいつもと違ってて……私の名前を呼ぶ声がしたんです」

「……声? 誰の?」

「え? ちょっとそこまでは分かりませんけど……」


 突然誰の声か問われ、私は戸惑った。


 言われてみれば、誰の声だったんだろ。今はぼんやりしている。


 だけど……私の焦りを一瞬にして消し去ってくれるような、温かく優しい声だった。

 それは、間違いない。


「その声を聞いたら、何だかダグに言い返せなかった焦りとかが急に消えて……そしたら私、ダグに言い返せたんです。『私も、あなたなんてもういらない』って!」

「そ、そうか」

「はい! 少しずつですけど私、立ち直ることが出来てるみたいです。これも全部……マーヴィさんのお陰です」

「えっ? い、いや、さっき誰の声か分からないって……」

「ん? 何のことですか? あなたが私をこの地に連れてきてくださったお陰で、少しずつ心の傷が癒えているってことですよ?」


 私を歓迎してくださったバックス様やリィナ様、領民の皆さんの顔が浮かんで消えていった。


 私が少しずつ前を向けているのは、

 自信をもつことが出来ているのは、


 皆さんと、そして――


(マーヴィさんのお陰だ)


 心の奥が、ギューッと苦しくなる。


「本当にありがとうございます」


 私が頭を下げると、マーヴィさんはボソッと、そっちか……と呟いた。何と間違えたのは気になるけれど、それを訊ねる前にドアがノックされた。


 マーヴィさんがドアを開くと同時に飛び込んできたのは、


「アウラ殿! 大丈夫か⁉」

「アウラ、どこかまだ辛いとかないですか⁉」


 血相を変えられたバックス様とリィナ様だった。

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