第34話 魔王の再来
「ま、魔王……?」
私の背中に冷や汗が流れた。
ありえなかった。
だって魔王は、私たちが倒したはず。
魔王の断末魔も、あの醜悪な巨体が崩れて消滅していく様子も、記憶に残ってる。
それに魔王が倒されたことによって、奴と生命力が繋がっていた魔族たちが消滅した。次の日、念のため現場の確認だってした。
それなのに……勘違いだと否定出来ないのは……
「俺たちが倒した魔王も、声ではなく、頭の中に直接話しかけてきた。その特徴と一致している」
「で、でもっ、声自体が勘違いだった可能性も‼」
分かってる。
あれだけの人数が同時に幻聴を聞いたなんてありえない。
それでも勘違いだと言って欲しかった。
でないと――
『殺せ、人間を殺せ! あの男を……勇者を血祭りに上げろっ‼』
私の不安を現実にするひび割れた声が、頭に中に響き渡った。
血の気が引き、肌が粟立った。心臓が冷たい手で握られたように、恐怖で心が縮こまる。
私を一瞬にして恐怖で一杯にした声は、私たちが魔王と対峙したときに聞いたものと同じだった。
間違いない。
両膝から力が抜けて倒れそうになった私の肩を、マーヴィさんが抱き寄せる形で支えてくれた。私を支えながら、副官に鋭く問う。
「ダグはこのことを知っているのか?」
「伝えました。しかし自分は聞いていない、私たちの幻聴だとの一点張りで……」
「そのくせ、自分は戦いに出ずに安全な場所に引きこもっているというわけか」
マーヴィさんが眉間に皺を寄せながら鼻を鳴らした。
間違いなくダグにも聞こえているはず。
そして気付いたはず。
声の主が、私たちが倒した魔王であることを――
そのとき、一人の兵士が副官の前に飛び込んできた。
「ほっ、報告いたします! 魔族の数が……増えましたっ‼」
「な、何だとっ⁉」
副官が声を荒げ、私たちも目を見開きながら報告に来た兵士を見た。
兵士の報告によると、一体だった魔族の数が増えているらしい。
それも一体、二体の話ではなく、何十体も……
魔族が増える。
それはつまり、
「あれが魔王であることが、証明されたな」
マーヴィさんが固い口調で呟いた。
もうここまで来たら、認めるしかない。
だけど一つ引っかかることがある。
「報告ではずっと魔族だと言われていました。私たちが倒した魔王とは、また違う形態なのでしょうか?」
「分からない。結局俺たちは魔王を倒していなかったのか、それとも倒した魔王が復活したのか、声が同じなだけで別の存在なのか……どちらにしても、ここで考えていても埒が明かない」
マーヴィさんはすぐに考えることをやめると、担いでいた大盾を下ろした。それを合図に、兵士たちが鎧を運んできて、それをマーヴィさんが身につけ始める。
防具を身につける彼の姿を見て、嫌な予感がした。
訊ねようと開いた唇が、僅かに震える。
「……何をやってるんですか、マーヴィさん。まさか……」
「俺が魔王を倒す」
全く迷いのない真っ直ぐな声が、私の心を突き刺した。
それは強い衝撃となって、私の思考を酷く揺らす。
マーヴィさんは盾役なのだ。
たった一人で、あれだけの魔獣や魔族を倒せるほどの力があるわけじゃない。
そんな無茶ができるのは、女神に選ばれた勇者たるダグだけなのだから。
「マーヴィさん、危険すぎます! やっぱりダグを説得して出撃させましょう! そして三人で魔王を迎え撃つべきです!」
「今のダグには無理だ。やはり俺の予想は正しかった」
「なら、マーヴィさんはもっと無理じゃないですかっ‼︎ 大盾の加護があるとはいえ、あなたは普通の人間なんですよ⁉︎ せめて、バックス様が来られるまで待つべきです!」
「……もうこれ以上、領民を犠牲にしたくはない」
私だって同じ気持ちだ。
温かく私を迎え入れてくれた皆さんが、戦いで再び傷つき苦しむ姿なんて見たくない。
だけどいくらマーヴィさんに、魔族を一刀両断出来る力があるといっても、あれだけの数を相手になんて出来るわけが……
彼に考え直して欲しくて鎧を叩いていた私の手を、マーヴィさんが優しくとった。
迷いのない、まっすぐな言葉が耳の奥に届く。
「俺を信じて欲しい、アウラ」
「マーヴィ……さん……」
何をもって彼がそう言っているのかは、分からない。
でもマーヴィさんは、いい加減な理由でこんなことを言う人じゃない。
それなら私にできることは――
「分かり……ました。何が考えがあるのですね。それなら……信じてます。信じてますから……無茶はしないで……」
「ありがとう」
そう答えるマーヴィさんは、嬉しそうだった。
戦場の中を照らす希望のような笑顔に、心が強く揺さぶられる。
次の瞬間、鎧に身を包んだ体が馬上に舞い、弾かれたように戦場に駆け出していった。
私が防御魔法をかける暇もなかった。
(大丈夫……かな)
こみあげた不安を、ぐっと喉の奥に飲み込んだ。
魔王軍の残党――いえ、魔王軍が目視出来るところまでやって来ている。
真っ黒な塊みたい。
あんなものが通り過ぎた後には、何も残らないだろう。
(なら……私に出来る精一杯をしなければ)
私は残された副官と、いつの間にかやってきていた女性神官たちに声をかけた。
「私はこれから結界を重ねがけします。怪我人がいるこの場所だけは絶対に守ります」
「結界を重ねがけ⁉ そんなこと出来るわけ――」
「私にだってそのくらいは出来ます! ここには一体たりとも、魔族も魔獣も踏み込ませません‼」
意識を集中させた次の瞬間、神聖魔法が発動し、先ほどと同じ結界がいくつもの層となって重なった。
マーヴィさんが頑丈だと褒めてくれた結界だ。これだけ重ねれば、魔族と魔獣の大軍とはいえ、そう簡単には破れないはず。
いいえ、違う。
決して破らせない。
(ここは……私が守る。マーヴィさんが安心して戦えるように)
あの人の背中を守るのは、
――私だ。
後ろから土を踏む音がし振り返ると、ダグがテントから出てきたところだった。マーヴィさんの姿がないこと、そしてこの場の空気から全てを察したのだろう。
「おい、マーヴィのやつ、一人で突っ込んでいったのか? 馬鹿か? あれじゃ死ぬな。いい気味だ」
ダグが私を見ながら意地悪く笑う。
きっと私の心を傷つけるために言ったのだろう。
だけど、
「……死なないわ」
「はぁ?」
「マーヴィさんは死なないって言ってるの!」
口だけで何も行動しないダグの言葉なんて、なにも響かない。
私の心には、僅かな傷もつかない。
「私は信じてる。マーヴィさんが無事に魔族を、いえ――魔王を討伐して帰ってくることを!」
私を守ってくれた広い背中を思い出す。
信じると言って私に向けてくれた彼の笑顔を思い出す。
信じてる。
だからどうか、
(無事に、帰ってきて……お願い……)
そして帰ってきたら、伝えるの。
この気持ちを。
私の心を救い、前を向かせてくれたあなたへの想いを――
「……えっ?」
不意に、胸の奥に温かい何かを感じた。
不思議に思い、胸元を手で押さえた瞬間、手の隙間から虹色の光が漏れ出し、私の体を包み込んだ。
虹色の光は私の体から更に広がっていき、結界の中を一杯にしたとき、戦場から天に向かって放たれた一筋の光が見えた。
まるで私から発される光と共鳴しているかのように――
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