第19話 燻る気持ち

 マーヴィさんだけでなく、バックス様やリィナ様の厳重な監視のもと、私は体調回復に努めた。


 元気になった後の生活は、今までと特に変わりない。


 リィナ様のお話し相手になったり、バックス様のお願いを受けて神聖魔法を使ったり――一度お願いを受けたら三日間は強制的にお休みさせられたけど――空いている時間には神殿に行き街の人たちの話を聞いたりと、今まで以上にのんびりさせて貰った。


 唯一変わったことと言えば、


「アウラ、今日は神殿で何をしていた?」


 と、いつの間にかマーヴィさんが、自然と私の名前を呼んでくれるようになったこと。


 名前を呼ぶなんて、普通のことだ。

 なのに彼から呼ばれると何だか特別な響きを纏っているように思えて、過敏に反応してしまう自分がいる。


 マーヴィさんにとって、特別な意味はない。

 そして私にも、


(特別な意味があるのではないかと勘ぐる理由は、ない)


 心がズキンと痛んだ。

 

 ◇


 訓練場の傍を通った時、二つの見知った後ろ姿を見つけた。


(あれは、バックス様とマーヴィさんだわ)


 神殿に出かけることを伝えなければならなかったから、丁度良いと思い、二人の方へ歩み寄った。


 しかし、


「あれはなんですか、父さん」


 マーヴィさんらしからぬ問い詰めるような声に、私は思わず足を止め、近くにあった柱の陰に身を寄せた。


 幸いにも、二人は私が近付いていることに気付いてはないようで、会話が続く。


「見てのとおり、招待状だ」

「それは分かります。聞きたいのは、何故あれほど山のように来ているかです」

「まあ、勇者パーティーの盾役が貴族だと発表されたから、御令嬢たちの注目を集めたんだろう。勇者様のほうは、イリス皇女様との婚約が決まっているからな」


 どうやらマーヴィさん宛に、貴族令嬢たちからのお誘いがたくさん来ているらしい。

 

 現実を思い知らされる。


 マーヴィさんが何と言おうと、彼は辺境伯の息子であり、次期当主となる人物だ。平民である私がここにいられるのは、マーヴィさんや彼のご両親のご厚意に過ぎない。


 普通、貴族は平民にとって雲の上の存在なのだから。


 いずれマーヴィさんは、家門に釣り合った貴族令嬢を妻として迎えるだろう。

 その時、私は……


(何だろう……胸が、苦しい……)


 無意識に奥歯を噛みしめていて、唇にも力が入っていた。


 視線の先では、マーヴィさんが返答しようと口を開けようとしていて、私は、彼が言葉を発する前に急いでこの場を立ち去った。


 そして通りすがりの侍女に、神殿に出かけることを伝えると、街に出た。


(私……どうしたんだろう……)


 自分らしからぬ行動に、自分が一番モヤモヤしていた。

 だけど一つだけ、ハッキリしたことがある。


 これ以上、マーヴィさんのお世話になるわけにはいかない。


 魔王討伐に貢献した彼に、たくさんの注目が集まっている。彼の功績をクレスセル家の発展に繋げる大事な機会なのに、貴族が平民を世話をしていると知られれば、心証は良くないだろう。


 だから――


 突然周囲が騒がしくなった。


 人々が人垣を作り、何かを取り囲んでいるのが見える。

 私と目が合った女性が走り寄ってくるなり、泣きそうな表情を浮かべながら、神官衣にしがみ付いてきた。


「あ、アウラ様っ‼ う、うちの人が……大怪我をして帰ってきて……‼」


 私が人垣に近付くと、人垣がサアーっと左右に分かれた。


 そこにいたのは、血で濡れた腹部を押さえてうつ伏せで倒れている一人の男性だった。


 怪我をしながらも、何とか馬に乗って帰ってきたらしく、地面には点々と血の跡が続いていた。傍にいる馬にも、彼の血がべったりと付着している。


 私は傷を診るため、周囲の人たちの手を借りて、男性を仰向けにした。体を動かしたことで傷が痛んだのか、男性の悲痛な叫びが口から漏れた。だけど、それにかまう時間的余裕はない。


 ……かなり酷い傷だ。

 何かに引っ掻かれたのか、鋭い傷が何本も腹部に走っている。


 私は傷の部分に両手をかざすと、癒しの神聖魔法を発動させた。


 手のひらから温かい光が溢れ、自己治癒力で癒やすには大きすぎる傷が、まるで時間が巻き戻っていくかのように塞がっていく。


 周囲の人々から驚きの声があがる中、男性がうっすらと目を開けた。


 何とか一命は取り留めたみたい。

 癒しの魔法の腕を磨いていて本当に良かった……


 だけど、安堵の気持ちは、彼からもたらされた報告によって消えることとなる。


「あ、あう、ら……さま?」

「傷は癒やしましたから、もう大丈夫ですよ! 一体何があったのですか⁉」

「しゅ、襲撃されたの、です! 仲間たちは俺を逃がすために残っていて……は、早く領主様にお伝えを……」

「襲われたって何にですか? 魔獣に襲撃されたのですか⁉」

「違い、ます……まぞっ……」

「え?」

「魔族に、襲われたのです‼」


 私は言葉を失った。


 生み出されたばかりの魔族は、魔王から生命力を与えられているため、魔王が討伐されると同時に消滅した。しかし生み出されてから時間が経った魔族は、魔王の生命力なくとも存在できるため、魔王が討伐された今でも存続し、人々を危険に晒しているのだ。

 その関係は、魔族と魔獣にも継承されている。


 クレスセル領の人々はとても強く、襲ってきた魔獣たちを返り討ちにした話は良く聞いていたけど、魔族相手ともなると話は違ってくる。


 魔族には知能があり、クレスセル領の人々が強いとは言え、討伐には十分な準備と作戦が必要となるからだ。


 この人の話によると、まだ残っている人たちがいる。

 彼らの命が今まさに、危険に晒されている。


 迷いはなかった。


 私は彼から魔族の居場所を聞き出すと、彼が乗ってきた馬に跨がった。


「あ、アウラ様、馬に乗ってどこにいくんだい⁉ まさか――」

「私は先に現場に行き、残った人たちを助けます! 皆さんはどうかこのことを、バックス様に伝えてください!」

「む、無茶だ! 相手は魔族だっ‼ 一人で立ち向かうなんて……」

「後はお願いします!」


 私はそれだけ言い残すと馬を走らせた。後ろから私を呼び止める声がしたけれど、振り返らなかった。


 魔族の前に残された人々を救いたい。

 そして、


(……一人でも戦えるのだと、もう大丈夫なのだと……証明したい!)


 あの人の手を借りずとも、一人で生きていけるのだと――


 私は奥歯を強く噛みしめると、思いっきり馬のお腹を蹴った。

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