第36話 失われた力

 まばゆい光が戦場を覆った瞬間、頭の中に魔王の断末魔が響き渡った。

 耳を塞いでも響くそれに、頭が割れそうになる。


 だけどそれもすぐに止まった。

 前を見ると、黒い塊となってこちらに向かっていた魔族や魔獣たちの姿も消えていた。


 恐ろしいほどの静寂が場を満たす。

 まるで何も無かったかのような静けさだけど、戦場で倒れている可哀想な兵士達の死体が、この地であった戦いの激しさを物語っていた。


 皆が言葉を失う中、向こうでゆらりと影が動いた。

 あの姿は……マーヴィさんだ。


 聖女の大盾を担ぎ戻ってくる姿が大きくなってくると、いてもたってもいられなくなった私は結界の外に飛び出した。


「マーヴィさん! 怪我は⁉︎」


 彼の前に立ち止まるや否や、私はマーヴィさんの全身に視線を走らせた。彼の周りを何度も行き来し、怪我がないか入念にチェックをする私に、マーヴィさんが笑いを滲ませながら答える。


「いや、ないと思う」

「そんなことあるわけないじゃないですか‼ あれだけの大軍と戦ったんですよ⁉ すぐに癒しの魔法をかけます……って、嘘ぉぉぉ⁉︎」


 癒しの魔法を使ったのに神力が全く流れず、あまりの衝撃に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。


 何度も魔法を使っても、結果は同じだった。

 つまり、癒すべき傷がないことを示している。


(あのときと同じだ。マーヴィさんが、飛んできた魔族の頭部に襲われたときと……)


 愕然としている私に、マーヴィさんは笑いかけた。


「あんたが、俺を守ってくれたからな」

「えっ?」


 どういうことだろう?

 私はあなたに、防御魔法すらかけることができなかったのに……


 今の発言の真意を訊ねようとした時、マーヴィさんの右手に握られた聖剣に気付き、驚きのあまり息が止まりそうになった。


 マーヴィさんが魔王軍に向かって行ったとき、聖剣ではなく普通の剣を持っていたはず。

 いえ、そもそも聖剣はダグにしか扱えない物。普通の人は聖剣を持ち上げることすらできないはずなのに。


 一体どこから……いえ、どうして盾役であるマーヴィさんが聖剣を持てているの⁉


 そのとき、


「どういうことだっ‼」


 私の後ろから怒声が飛んできた。


 振り返った先にいたのは、怒りの形相のダグ。彼のすぐ後ろには、彼を追いかけてきたであろう副官と、ダグを癒やしていた女性神官の姿もあった。


「マーヴィ……なんでお前が聖剣を持っているんだ‼ それは確か、馬車の中に置いていたはずだ。盗みやがったのか‼」

「マーヴィさんが盗むわけないじゃないっ‼ 私は見てたわ! マーヴィさんが戦いに出る際、聖剣は持っていなかった!」

「うるせえっ‼ アウラ、お前は黙ってろ!」


 私の言葉は、ダグの怒鳴り声によって一蹴されてしまった。怒り心頭のダグに、今は何を言っても信じて貰えそうにない。


 どうしようかとマーヴィさんをチラッと一瞥すると、彼はただジッとダグを見つめていた。ダグの言葉に反論もせず無言のままだ。

 そんなマーヴィさんの反応が気に食わなかったのか、ダグがさらに怒声を大きくする。


「それにそいつは俺にしか扱えないはず! 俺以外の人間には、持ち上げることもできないはずだっ‼ なのに何でお前如きが……」

「なら、お前に返そう」


 そう言ってマーヴィさんは、聖剣を地面に突き立てた。

 マーヴィさんの行動に虚を衝かれたのか、ダグは聖剣を凝視しながら固まってしまった。


 しかし黙って成り行きを見守る私たちからの視線をプレッシャーに思ったのか、ダグはゆっくりと聖剣に近付くと柄を握った。

 

 聖剣を持ち上げようとするダグが、歯を食いしばっている。右腕にも明らかに過剰な力がこめられているようで、プルプルと震えていた。


 いつもなら、まるで木の棒を持っているかのように、いとも簡単に引き抜いていたのに。


 額に汗をかきながら、聖剣を抜こうと頑張っていたダグだったが、マーヴィさんの手が伸び、片手で軽々と聖剣を引き抜いたことで動きが止まった。


 聖剣を抜けなかった自分の手を見つめて呆然としているダグに、マーヴィさんが憐れみを向ける。


「やはり……勇者の力を失っていたんだな、ダグ」


 ダグの両肩が震え、表情が固まった。

 しかしもう誤魔化しきれないと悟ったのか、力なくうなだれた。


 それが答えだった。


(まさかダグが勇者の力を失っていたなんて……)


 信じられなかったけれど、ダグの今までの行動を思い出すと不思議と納得がいった。


 マーヴィさんに聖剣を持っていないことを指摘されたとき挙動不審だったのも、訓練だと称して兵士達に戦わせ、自分は戦いに出なかったことも、勇者の力を失っていたから。


 ダグの身勝手な理由で亡くなったたくさんの兵士たちを思うと、やるせない気持ちで一杯になった。

 もし彼が正直に勇者の力を失っていると告白していれば、失われなかった命がたくさんあったかもしれないのに。


 副官を見ると、彼は下唇を噛みしめながら俯いていた。

 ダグに軍を任せたことでたくさんの兵士が亡くなったことを怒り、後悔している様子が、震える拳から読み取れた。


 私たちが来るまで、迷いながらも勇者であるダグを信じていたんだろう。

 この戦いを引き起こしたのは魔王だけど……たくさんの兵士達を殺したのは、ダグだと言えるのかもしれない。


「でも、どうして? ダグは女神様に選ばれた勇者だったのに……」


 亡くなった人々を気の毒に思いつつ、私はマーヴィさんに疑問をぶつけてみた。

 私の問いに、彼は肩をすくめる。


「それは少し違うな。ダグは女神に選ばれたんじゃない。あんたがダグを勇者に選んだんだ」

「……えっ?」


 私が……選んだ?


 言葉を失う私に向かって、マーヴィさんは優しくも畏怖を湛えた瞳を向けながら、こう言った。


「聖女アウラ」


 と――

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