第12話 魔王汚染

 朝食をとったあと、マーヴィさんは数人の兵士と領民たち、そして私を連れて、街の外に出た。

 領地について詳しい者を先頭に、私たちを乗せた馬が駆けていく。


 やがて私たちは、魔王汚染が一望できる高台までやってきた。


「ここら一帯が汚染されていている土地です。元は、クレスセル領内で一番広い農業地帯だったのですが、魔王汚染後は作物が全く育たない土地となり、領内の食料も不足するようになってしまったのです」


 私の隣にいた若い兵士が、声色に悔しさを滲ませながら教えてくれた。


 彼の言う通り、見渡す限りの広大な土地が黒く変色している。

 確かに、こんな広い土地で作物を育てていたなら、クレスセル領への打撃はかなりのものだっただろう。


(城の庭園を壊して畑にするほどに……)


 魔王汚染に影響を受けるのは作物だけとされているけれど、こんな土地に住みたいと思う人間はおらず、汚染された土地に住む人々は非難を余儀なくされた。


 そのせいで、たくさんの村や街が無くなってしまったと言われている。


 領民たちから一通り話を聞き終えたマーヴィさんが、ため息交じりに呟いた。


「とはいえ……俺が旅立ってから三年間。魔王汚染の広がりがこの程度で留まったのは、不幸中の幸いと言うべきか……」

「まあ、贅沢は言ってらんないだろ。せっかくアウラ様やマー坊たちが命をかけて、魔王を倒してくれたんだ。もう汚染されないだけありがたい話だ」

「土地だって、ずっとこのままってわけでもないって話だしな。百年も経てば、自然と浄化されてまた作物が育つ土地に戻るって言うし、まあ気長に待とうや」


 前向きな発言のように聞こえたけれど、皆の声色には諦めが滲んでいた。どうしようもない、という皆の心の声がこの場を暗い雰囲気へと変えてしまう。


 魔王を倒したから終わりじゃない。

 人々の戦いは、苦しみは、まだ続いているのだ。


 私はお腹にぐっと力をこめた。

 暗い雰囲気を吹き飛ばすように、努めて明るい声を出す。


「じゃあ、さっさと魔王汚染を浄化して、またここにたくさん作物を作りましょう!」

「はっ?」


 ここにいる皆の視線が一斉に私の方へ向いた。

 マーヴィさんを除く人たち目を丸くし、中には口を半開きにしながら私を見ている。


 魔王汚染の浄化の話をしても、


「そんな話、聞いたことあるか?」

「いや……俺は知らないけど……」

「いくらアウラ様の話でも、さすがにそれは……」


 と信じられない様子だ。


(まあ実際、自分たちの目で見れば信じて貰えるでしょう)


 そう思い直すと、私はマーヴィさんにお願いして、汚染されているの土地の近くまで案内して貰った。


 高台から黒く見えた土地へ近付くに連れて、黒い靄のようなものが立ち上るのが見えてきた。


 魔王討伐の旅の途中、山ほど見てきた光景だ。

 これのせいで、どれだけの人が避難を余儀なくされ、作物が育たなくて飢えに苦しんだのか分からない。


 魔族や魔獣も脅威だが、この魔王汚染が一番人を殺したと言っても過言ではない。


 私は馬から降りると、黒靄が立ち上る土地の前に立った。マーヴィさんも馬から降りると、私の隣にやってくる。

 マーヴィさんが滅茶苦茶心配そうな顔で私を見るので、安心させるために笑ってみせた。


「大丈夫ですよ、マーヴィさん。見ててくださいね?」


 私は自分の中に意識を集中した。


 心の中で創造の女神に祈りを捧げながら、両手を前に突き出す。毒を浄化するときと同じように、土地を汚染する邪悪な力が光に包まれて消えていくのをイメージすると、黒く靄のかかっていた土地が輝き出した。

 そして光が消える頃には、正常な土の色が目の前に広がっていた。


 浄化出来るとは思っていたけれど、予想以上に広範囲を一度に浄化出来ている。クレスセル領内にある魔王汚染が、どの範囲まで広がっているか分からないけれど、これならあまり時間をかけずに全て浄化出来そう。


 ホッと胸を撫で下ろす私の傍では、領民や兵士たちが、


「う、嘘……だろ?」

「お、俺たちは、夢を見ているのか?」


 と、声を上ずらせている。

 

 マーヴィさんが浄化された土地に入った。その場でしゃがみ込むと、手に土を乗せ、手のひらの上で転がしたり指で摘まんで擦ったり、匂いを嗅いだりしている。


 そして手のひらの土を払うと、私たちの方に向き直った。


「土地が浄化されてる。この土なら、問題なく作物が育ちそうだ」

「うぉぉぉぉっ‼ す、すっげぇっ‼」

「ありがとうございます! 本当にありがとうございます、アウラ様っ‼」


 街の男性たちと兵士たちが文字通り飛び上がると、私の傍に駆け寄ってきた。

 握った私の手をブンブン振りながら、何度も何度も頭を下げている。地面に座り込み、涙を流しながら祈りを捧げている男性もいた。


 神官として役立てたことが、とても嬉しかった。


 だけど皆が喜んでいる中、マーヴィさんだけ表情が険しい。


(あれ? マーヴィさん、嬉しくないのかな? 私……何か余計なことをした?)


 不安が過る。


 理由を聞こうと口を開こうとしたとき、彼の手が私の両肩を掴んだ。私の視界が、彼の心配そうな顔でいっぱいになる。


「大丈夫か? どこか具合が悪いとかはないか⁉」

「えっ? あ、あのっ、別に何ともないですけど……どうかしましたか?」


 そう言いながら、念の為に自分の体を見たけど、どこも問題なさそう。


 だけどマーヴィさんは、真剣な表情で私の体を色んな方向から確認すると、最後にはぁっと肩を落とし、私の両肩からダランと手を下げた。


「……いや、魔王に汚染された土地を浄化したんだ。それもあれだけの広範囲を。体に不調が出てもおかしくないと思ってな」

「使った神聖魔法は解毒ですよ? 解毒は神聖魔法の中でも初歩中の初歩の魔法ですし、体に負担が出るような魔法ではないです。ほら、その証拠に私、全然疲れてませんし!」


 心配性のマーヴィさんを安心させるため、私は両腕を曲げて力こぶを作って見せると、彼はどこか呆れた様子で深いため息をついた。


「体調に問題がないならいいんだが……」

「はい! 全然問題ありませんから、もう少し浄化ましょう」


 私はまだやれる。

 まだまだやれる。


(この調子なら、クレスセル領内にある全ての魔王汚染の浄化だって――)


「……駄目だ。今日はここまでだ」

「⁉ 何でですか!」


 突然の終了宣言に、今度は私が瞳を見開く番だった。


 固まってしまった私の頬に何かが触れた。


 マーヴィさんの手だ。

 肌を伝って、彼の温もりが伝わってくる。


「凄く冷えてるし顔色も悪い。それに……焦って無理をしようとしていないか?」


 心臓が跳ね上がった。


 見透かされた気がしたからだ。


 夢の中ですらダグに言い返せなかったという事実を、何かに没頭することで忘れたい気持ちがあることを――

 

「そうだぞ、アウラ様。無理して倒れたら元も子もない」

「魔王汚染が浄化出来ると知れただけで、十分過ぎるぐらいだ」


 他の人々もマーヴィさんの言葉に賛同し、声をかけてくれた。私の体調を気遣ってくれている気持ちが伝わってくる。


 体調は本当に悪くない。

 ただ体が冷えただけ。


 浄化を続行したい気持ちの方が強い。

 だけど――


「こら、マー坊! いつまで女性の肌に触れてるんだ!」

「えっ、あっ、す、すまないっ‼」


 男性にどやされ、マーヴィさんはもの凄く慌てた様子で私の頬から手を離した。

 今になって、異性から頬に触れられていたという事実を認識し、全身の血が激しく駆け巡る。


「い、いえっ! だ、だだ、大丈夫ですから! ほ、ほら、体調を看てくださっただけですしっ‼ わ、私こそ、体調の管理も出来て無くてすみません! 足で纏いにならないって言ったのに、足で纏いになっちゃって本当にすみません‼」


 あまりにもマーヴィさんが慌てているので、私も必死に謝った。

 お互いペコペコと頭を下げていると、目が合った。ほぼ同時に、互いの唇から笑いが洩れる。


 そして、


「魔王に汚染されたこの地を浄化してくれて感謝する」

「少しでもお役に立てたのなら幸いです」


 マーヴィさんの御礼の言葉に、私は笑顔で返した。


 役に立てたことはとても嬉しい。

 嬉しいのだけれど、それよりも――


(マーヴィさん、私の体調を一番に気遣ってくれた……)


 土地が浄化されて皆が喜ぶ中、マーヴィさんだけは真っ先に私の体調を気にしてくれていたことを思い出すと、何だか恥ずかしくて、胸の奥がざわざわと落ち着かなかった。

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