第8話 クレスセル辺境伯

 領民たちと別れた私たちは、マーヴィさんとご両親が暮らすクレスセル城へと向かった。


 クレスセル城はとても大きかった。とはいえ、私たちが旅をしてきたときに訪れた貴族の城のように洗練された雰囲気はない。


 正門をくぐると、手入れされた素晴らしい庭園……ではなく、畑が広がっていた。魔王汚染で使える土地が少なくなったため、少しでも食糧を増やすため城の土地も畑にしたのだと、マーヴィさんが教えてくれた。


 さらに奥へと進むと訓練場があり、大勢の兵士たちが模造刀で打ち合っているのが見えた。至る所に、魔族や魔獣との戦いに使うための武器や防具が転がっていて、物々しい雰囲気だ。


 領民たちの明るさの裏に隠された苦労を見た気がして、胸の奥が苦しくなった。


(領地を守るために皆一生懸命なんだわ)


 だからこそクレスセル領は、最後まで魔族たちの侵攻を食い止めることが出来たのだろう。


 旅の途中、色んな街や村が滅ぼされてきたのを見てきたから、その凄さが分かる。


 訓練場を抜けた先に城の入り口が見えた。


 マーヴィさんの帰還はもうすでに伝えられているようで、正面玄関に続く道の両端には、ここで働いているである使用人たちがずらっと並んでいて、その先頭には、大きな体格の男性と、艶やかな黒髪を高くまとめた女性が待っていた。


 マーヴィさんのご両親――領主であるバックス・クレスセル様と、夫人であるリィナ・クレスセル様だと一目見て分かった。


 バックス様は、力をこめれば服が破れるんじゃないかと思う程、鍛えられた体をしている。

 マーヴィさんと同じ、茶色の髪は短く、顎髭が生えている。だけど黒く大きな瞳は生き生きとしていて、年齢よりもずっと若く見えた。


 リィナ様も、実際の年齢よりもずっと若々しく見えた。私よりもスラッと引き締まった体で、立ち姿が美しい。マーヴィさんの話では、リィナ様は女性でありながら剣術を嗜まれており、かなりの腕前だと聞いている。

 マーヴィさんの細い目は、リィナ様似みたい。


 こちらに走り寄ってこられたリィナ様はマーヴィさんを抱きしめ、後からやってきたバックス様が横から二人まとめて抱きしめた。


「やっと……やっと戻ってきたか、マーヴィ!」

「戻ってくるのが遅すぎますよ、マーヴィ……あなたたちの噂が途切れる度に、私たちがどれだけ心配したか……」


 そう仰るバックス様の声は上ずっていて、リィナ様の赤い瞳には涙が光っていた。


 マーヴィさんはとても大きな人だけれど、黙ってご両親に抱きしめられる姿は、小さな子どものように見えた。

 

 私の故郷は魔族に滅ぼされて守れなかった。けれど、マーヴィさんだけでもご両親と再会できて本当に良かった。


 私もつられてウルっとなりそう。


 感動的な親子の再会を見守っていると、ひとしきり息子の安否を確認した辺境伯夫妻の視線が、私の方へ向けられた。


 私を視界に入れるや否や、バックス様は大きな瞳を更に大きく見開き、リィナ様は口元に手を当てながら、おやまあまあと呟かれた。


 お二人の体がマーヴィさんから離れ、私の方に近付き――


「まぁ、可愛らしいお嬢さんだこと! お名前は? ご年齢は? ご出身はどちらかしら⁉」

「ちょっと待て! この女性が、お前と一緒に魔王討伐の旅をしたという神官殿か⁉ それにしては、ほ、細すぎないか? ちゃんと食べてるのか? 好き嫌いはいかんぞ!」


 という感じで、しんみりした雰囲気はどこへやら。


 リィナ様は、私をペタペタ触りながら興奮した様子で質問を矢継ぎ早に浴びせ、バックス様はまるで食が細い子どもを前にしたように、私の細さを心配している。


 お二人の豹変に理解がついていかず、されるがままになっていると、ご夫婦と私の距離が突然遠くなった。


 マーヴィさんがご両親の首根っこを掴んで、私から引き剥がしたのだ。


 親に向けるとは思えないほど視線を鋭くしながら、唸るような低い声を発する。


「領民たちといい領主といい……少しは周囲の反応や相手の気持ちを考えてください。突然初対面の相手から詰め寄られたら嫌でしょう」

「『お、やんのか?』とわしは思うがな」

「私の魅力のせいかしら? って思うわ」

「……どうかお願いですから、その感覚がおかしいのだと早く気づいてください……」

「そう言われても、これで五十年以上来てるからなあ……」

「私は誰かさんのせいで、こういう性格になってしまったものねぇ……」

「ま、誰も何も言わないからな。問題ない」

「それが通用しているのは、クレスセル領内だけです」


 怒るマーヴィさんとは正反対に、バックス様とリィナ様は、ねー? とお互いの顔を見合わせて首を傾げた。


 親と子の温度差が凄い。


「とにかく、彼女はここの領民じゃないんですから、同じようなノリで接しないでください。迷惑です。俺まで同じだと思われたら、たまったもんじゃない」

「まあっ! 戦いにしか興味のなかったあなたが誰かを気遣うなんて……成長したのですね」

「……もう母さんは黙っててくれ」


 げんなりした様子で、マーヴィさんがリィナ様を睨みつけたけれど、リィナ様には全く効いていないみたい。


 ほとほと呆れた様子で、マーヴィさんのいかつい肩から力が抜けるのが見えた。


 確かに、お会いした当初はご夫妻の態度に驚いたけれど、マーヴィさんが領民たちと接していたときに感じた温かさが、ここにもあった。


 確かに、クレスセル辺境伯ご夫婦は、他の貴族たちとは違う。


 ――私にとって、良い意味で。


「あら彼女、笑ったわ」


 リィナ様が嬉しそうに仰った。

 親子のやり取りを見て、知らず知らずのうちに、自然と笑顔になっていたみたい。


 リィナ様は私に近付くと、気品溢れた微笑みを浮かべながら、私の顔を覗き込まれた。


「あなた、お名前は?」

「あっ、ご、ご挨拶が遅れて申し訳ございません! アウラと申します」

「アウラですか。とても良い名前ですね」

「ありがとうございます……」


 名前を褒められ、胸の奥が少しくすぐったくなった。

 恥ずかしさも相まって、顔を伏せてしまう。


 だけど次にリィナ様が仰った言葉によって、私の頭はまた働かなくなった。


「ではアウラ、どうか私のことは、りぃちゃんって呼んでくださいね?」


 え?

 り、りぃちゃん?


「リィナ、抜け駆けはずるいぞ! ならわしのことは、バッくんと呼んでもらいたい」


 ばっ、ばっくん?


 さあ早く呼べ、と言わんばかりに待ち構える領主夫妻の姿が、再び遠くなった。

 

 そうしたのはもちろん、マーヴィさん。


「いい加減にしてください! そんな風に呼ばれる歳でもないでしょうっ‼」


 そう言ってお二人の首根っこを引っ張って私から引き離すと、少し離れたところでご両親に説教をし、終わって戻ってきた時には、額に大量の汗をかいていた。


「す、すまない……領民たちに続いて両親まであんたに迷惑を……」

「いいえ、とっても楽しくて素敵なご両親だと思います」


 先ほどのやりとりを思い出しながら、そう返した。


 賑やかな領民たちや、朗らかなご両親。

 彼らに囲まれ、呆れたり怒ったりしながらも、楽しそうにしているマーヴィさん。


 魔王を倒さなければ、見られなかった温かな光景だ。


「故郷に戻ってこられて本当に良かったですね、マーヴィさん」 


 彼らの笑顔に、私がほんの少しでも貢献できたのなら――とても素敵なことだと思った。


 マーヴィさんは僅か目を見開き、そしてフッと息を吐き出すと、


「……そうだな」


 と優しく微笑んだ。

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