第32話 一緒に行こう
ダグが魔族討伐へと発ってから数日が経った。
彼の失礼な態度は最後まで変わらなかった。
だけど初日こそは驚き呆れていたバックス様とリィナ様も、それからは大人の対応をされ、大きなトラブルへと発展することはなかった。
もちろん、私たちも。
すっかり片付き、ガランとなった訓練場を傍で見ながら、大きく息を吐く。
吐き出した息の半分は、もうダグと顔を合わせなくてもいいという安堵。
もう半分は、無事魔族を討伐出来るかという言い様のない不安だ。
ダグは強い。
それは三年間、ともに旅をした中で分かっていることだ。
だけど何だろう、この不安は……
きっかけは分かっている。
再会したとき、マーヴィさんが去り際に言ったことと、それに対するダグの反応がずっと忘れられないから。
ダグは何かを隠している。
隠しているということは……それは人には知られたくないこと。つまり、ダグにとって都合が悪いことに他ならない。
(この戦いに影響がなければいいけれど……)
そう願いつつ、ダグたちが発つ際に交わしたやりとりを思い出した。
彼のことは許せないけれど、戦いとは関係のないことだから、せめて兵士たちに守護の神聖魔法をかけたいと申し出たのだ。
しかしダグは私の申し出を、小馬鹿にするように鼻で笑って断った。
「お前以上に優秀な神官を数人、大神殿から派遣して貰ったんだ。お前程度の魔法なんて必要ない」
そう言われれば、私から言えることは何も無い。
少なくとも、大神殿が選んだ優秀な神官たちがいるのなら、私なんかが出しゃばるわけにはいかないわけで。
敵は魔族一体。
それに対し、勇者たるダグ、優秀な神官たち、大勢の兵士たちが迎え撃つ。
心配なんてしなくていいはずなのに……
私の足は、いつの間にか城のエントランスに向かっていた。部屋に戻ろうと階段を上がろうとしたとき、階段の踊り場に見知った人の後ろ姿が見えた。
マーヴィさんだ。
彼は何故か、自分の両手をジッと見つめていた。けれどダランと両手を下ろすと、今度は飾られた聖女の大盾を見上げた。
どうしたのだろう?
「マーヴィさん、何をしているんですか?」
「……あっ、ああ……あんたか」
そういうマーヴィさんの瞳は、少しだけ赤かった。彼らしからぬ不調に、私は眉を潜めると、下からクマさん顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか? 何だかすごく疲れた顔してますけど……」
「い、いや、大丈夫だ。本当に……」
マーヴィさんは私から視線を逸らしながら、一歩後退った。その表情は何故か困惑していて、いつもの落ち着いた様子とはかけ離れた反応だ。
何か隠している気がする。
もしかすると、体調が悪いのに無理をしているのかもしれない。
「大丈夫じゃないですよ! ほらっ、目だけじゃなくて顔も赤いですし! あっ、も、もしかすると熱があるのかも! ちょっと熱計っていいですか?」
「いや、ない! ないからっ! 体調に問題はない‼ ただ眠れなかっただけで……」
「眠れなかった⁉ な、何か悩み事ですか⁉ 神官として私が話を聞きますけど‼」
マーヴィさんが眠れなくなるほどの悩み事って、一大事では⁉
熱があるよりも、そっちの方がよっぽど心配なんだけど。
なのにマーヴィさんはさっきから、いや、とか、違う、とか、曖昧なことしか言わない。
やっぱり私じゃ役に立たないのかな。
……ううん、マーヴィさんには今までたくさん励まして貰った。たとえ解決への直接的な役には立たなくても、話を聞いて少しでも気持ちを楽にしたい。
そのくらいのことは、私にだってできるはず。
今度は私が彼の助けになる番だ、と息巻いていると、大きな足音を立ててバックス様が下りてこられた。
「マーヴィ、アウラ殿、話がある」
バックス様の表情は険しく、何か重大なことが起こったのだと一目見て分かった。さっきまで顔を赤くしながら困惑していたマーヴィさんの表情が、一瞬にして真剣なものへと切り替わる。
「……ダグが行った魔族討伐の件で何かあったんですね」
「ああ、そうだ」
「ど、どういうことですか⁉」
まるで全てを見透かしていたかのようなマーヴィさんとバックス様の会話に、私は無理矢理割り込んだ。
二人の瞳がこちらを向く。
バックス様はチラッとマーヴィさんを一瞥すると、事情を話してくださった。
「先ほど早馬が来た。勇者殿の軍にかなりの死傷者が出ており、クレスセル家に増援を送れとな」
「嘘……確かに魔獣はたくさんいるかもしれませんが、魔族自体は一体なんですよね? 魔王ならまだしも魔族一体なら、ダグ一人でも討伐出来るはずです! だって彼は、女神様に選ばれた勇者なんですよ⁉ なのに、増援を願いほど被害を出しているなんて……ありえない!」
同意を求めるようにマーヴィさんを見た。しかしマーヴィさんは難しい顔をしたまま、私の言葉に頷いてくれることはなかった。
代わりにバックス様が口を開く。
「とにかく、勇者殿が負ければ今度はこの地が戦場になる。それだけは避けねばならん。わしはすぐに兵を招集し、準備ができ次第出発する予定だ」
「そんな……」
せっかくこの街に平和が訪れたというのに、また人々を危険な目に遭わせなければならないのかと思うと、申し訳なさと罪悪感で苦しくなった。
しかしバックス様は私の気持ちを察してくださったみたいで優しく仰った。
「アウラ殿が気に病む必要はない。どちらにしても魔族たちはクレスセル領に進軍してきているのだ。勇者殿が来ても来なくても、戦いは避けられなかった」
次の瞬間、パンッという音がエントランスに響く。
バックス様が自身の拳を打ち付けた音だ。その口角は、自信満々に上がっていた。
「久々に骨のある戦いになりそうだな! はははっ、腕が鳴るわっ‼ 二度とこの地に足を踏み入れようと思わぬよう魔族どもに、骨の髄まで恐怖を刻み込んでやるわ‼」
豪快な笑い声が響き渡った。
聞く者の不安を吹き飛ばすような、底抜けの明るさがあった。
バックス様は笑いを止めると、マーヴィさんの肩を叩いた。
「マーヴィ、お前も行くんだろ」
「ああ。先に発つつもりです」
「分かった。では後で会おう」
息子の発言をさも当然とばかりに頷くと、バックス様は大股で階段を下り、そのまま城外に出て行った。
エントランスがシンッと静かになる。
だけど私はバックス様のように、マーヴィさんの発言を流すことは出来なかった。
「待ってください! マーヴィさんも、ダグの元に行くんですか⁉」
叫びに近い私の問いかけにマーヴィさんは頷くと、聖女の大盾を見上げた。
「ああ。俺の予想が正しければ……今のダグでは魔王軍の残党を討伐できない」
思いも寄らぬ発言に、息を呑む。
だけど彼が今の発言をするに至った理由に、心当たりがあった。
「もしかして……先日ダグに、聖剣について訊ねたことと何か関係がありますか?」
「そうだな。だがあくまで俺の想像にすぎず、確証はない」
つまり、まだ私には話せないってことね。
信頼がないのかと落ち込み、自然と視線が下を向く。
そんな私の肩に、マーヴィさんの右手が触れた。顔を僅かに上げると、彼の右手首で輝く銀色のブレスレットが見えた。
それを見つめながら私の左手首にあるブレスレットに触れると、沈んでいく心が落ち着きを取り戻した。
顔を上げて、真っ直ぐマーヴィさんを見つめる。
「もし確証を得たら……私にも教えて頂けますか?」
「もちろんだ」
私の肩に触れる彼の手に力がこもった気がした。
真剣な眼差しが、決して私を蔑ろにしたわけではないのだと物語っていた。
だから――信じる。
「俺は今からダグがいる防衛線に向かう。アウラ、あんたはこの街で待っていてくれ」
「私も行きます。私は戦えませんが、皆さんの支援ができますから」
「危険だ」
「危険? 忘れないでください、マーヴィさん。私だって、魔王討伐パーティの一人だったんですよ? それに――」
胸の前でぎゅっと強く手を握ると、彼の黒い瞳を真っ直ぐ見つめる。
「ダグの役には立てないだろうけど、あなたの役には立てます。そうでしょう?」
以前の私なら、こんな言葉、決して言えなかった。
あなたが、私に自信を持たせてくれたから……
マーヴィさんが目を丸くした。
だけどすぐさま、強い意志を感じさせる視線が返ってくる。
仲間として信頼する気持ちが――
「分かった。一緒に行こう。そしてまた俺を助けてくれ、アウラ」
「もちろんです!」
私たちは頷き合うと、最低限必要なものを用意し、ダグがいる防衛線へ発った。
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