第29話 魔王軍の残党

 祭りが終わってしばらく経った頃、私とマーヴィさんはバックス様に呼び出された。部屋にはバックス様だけでなく、リィナ様もいらっしゃった。


「二人とも突然呼び出してすまない」


 執務室にあるソファーに座った私たちに、バックス様は開口一番そう仰った。

 その表情には僅かに厳しさを滲ませていた。


「何があったんですか?」


 マーヴィさんが単刀直入に訊ねると、バックス様は懐から一枚の手紙を差し出した。手紙を受け取り、中を読み始めたマーヴィさんの表情が、みるみるうちに険しくなっていく。

 ただ事ならぬ様子に、私は不安を抱きながら恐る恐る訊ねた。


「マーヴィさん、何が書かれていたんですか?」


 彼の黒い瞳がこちらに向けられた。

 きつく結ばれた唇には、手紙の内容を私に伝えるためらいが見えたけど、諦めたように吐き出した息に言葉を乗せた。


「ダグがここに来る」

「えっ? ど、どういうことですか⁉」


 帝都にいるダグが、何で辺境の地であるクレスセル領に⁉


 彼のことだから、帝都のお城で皇女様と豪勢な生活をしていると思っていたのに。


 唇を戦慄かせている私に、バックス様が詳しい説明をしてくださった。


「魔王軍の残党が、帝都に向かっているという報告があったのだ。その討伐のため、勇者殿自らが軍を率いてここクレスセル領へやってくるらしい。魔王軍の残党が帝都に向かうためには、クレスセル領を通らねばならんからな」


 魔王を倒した後、魔王が生み出した魔族の大半は消滅した。しかし一部は生き残っていて、未だにその被害は続いている。


 それが帝都を滅ぼそうと向かってきているらしい。


「ちなみに、魔王軍の残党の規模はどのくらいなのですか?」

「報告では、魔族は一体で、ほとんどが魔獣だと聞いている。大した規模ではないそうだ。まあ、次期皇帝の初陣というところだろう」

「そう……ですか」


 魔族たちをこのまま放置していれば、クレスセル領に甚大な被害をもたらす。そういう意味では、ダグが来てくれることは大変ありがたい。


 ありがたいと思う反面、ダグがこの地にやってくる事実が酷く心を重くした。


 個人的な問題を持ち出している場合じゃないって分かっているのに……


「アウラ、さっきから顔色が悪いわ。大丈夫? 心配しなくてもいいのよ。きっと勇者様があっという間に片付けてくださるから」

「そうだぞ、アウラ殿。勇者殿が求めているのは衣食住等の支援だけで、クレスセルの戦力は必要ないと仰っている。マーヴィ、お前の力もな」


 どうやらお二人は、私が再び戦いにでなければならないことに恐怖を覚えていると勘違いされているみたい。


 バックス様とリィナ様は、私がこの地にやってくることになった本当の理由は知らない。ただマーヴィさんから、魔王討伐の旅で疲れた心身を癒やしたいとだけ伝えてられているはず。


 だけど……このタイミングでお伝えしておくべきかもしれない。


 決意を固めてマーヴィさんを見ると、彼は不安そうにこちらを見つめ返していた。本当に話して良いのかと物語る黒い瞳に、私は強く頷き返す。


 膝の上に置いた両手を強く握ると、震えそうになる唇に力をこめた。


「ご心配をお掛けしてすみません。魔王軍の残党が来ることが怖いんじゃないんです。実は……お二人に黙っていたことがあるんです」

「黙っていたこと? アウラ殿、それは一体……」

「私と勇者様――ダグとの関係についてです」


 私の様子を心配していたバックス様とリィナ様の表情が、緊迫したものへと変わった。ピリッとした緊張感が、部屋に満ちる。


「私とダグは……全ての戦いが終わったら一緒になろうと約束をしていたんです」

「一緒になるってアウラ殿、それはまさか……」

「彼は私の婚約者でした……といっても、口約束だったんですけど」


 私はお二人に全てを話した。


 勇者だと認められたダグが魔王討伐の旅に出る前、彼から告白され、結婚の約束をしたことを。

 大好きだった彼の力になりたくて、ダグと一緒に旅立ったことを。


 しかしダグの本当の目的は私の力だけであり、結婚する気などさらさらなかったことを――


「後はご存じの通りです。ダグはイリス皇女様と婚約し、私は……たった一枚の手紙で捨てられました」

「そんな、まさか勇者殿がそんな人物だとは……」


 少し震えたバックス様の呟きを、マーヴィさんが鼻で笑う。


「まあ聞かないだろうな。ダグは、権力者や女にはいい顔をしていたからな。しかし裏では、誰も自分に敵わないことをいいことに、やりたい放題だった」

「ううむ……信じられん」

「アウラに対する態度も、酷いものだった。日頃から、もっと強い魔法を使えと叱責し、何か自分が失敗すると、すぐに彼女のせいだと責め立てていて」

「マーヴィ、まさかあなた、それを黙って見ていたのかしら?」


 リィナ様が半眼になっている。マーヴィさんの返答によっては、斬りかかることも辞さないと、背後から立ち上る殺気が物語っていた。


 私は慌ててお二人の話の間に入った。


「そ、そんなことありません! マーヴィさんは、理不尽に怒られる私を庇ってくれました! 私が落ち込んでいると、黙って話を聞いてくれて……本当に感謝しているんです!」

「それなら……まあいいでしょう。それにしても許せないのは、アウラの気持ちを踏みにじった勇者の非道よ!」

「うむ、あまりに酷い話だ。アウラ殿の好意を利用するなど……」


 リィナ様から、ギリギリと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。バックス様も、太い両腕を組みながら憤っている。

 

 いつもは温厚なお二人の表情に鬼気迫るものがあるけれど、私のために怒ってくれていると思うと怖くは無かった。


 心に温かいものを感じながら、言葉を続ける。


「でも……傷心し帰る場所もない私を、マーヴィさんがここに連れてきてくれたんです。マーヴィさんがこの地に連れてきてくれなければ私、未だに裏切られた過去に囚われ続けていたと思います」

「もう今は大丈夫なの?」


 リィナ様が心配そうに訊ねてこられた。

 彼女の問いに、少しだけ考え、言葉を選びながら返答する。


「大丈夫かと聞かれると……正直分かりません。だけど以前と比べて私、前を向けるようになりました。それは間違いありません」


 自然と背筋が伸びた。


 まだ自分に自信があるわけじゃない。

 ダグの裏切りから完全に立ち直ったわけじゃない。


 でも、

 それでも私は、確実に変わっている。


 この地で出会った人々のお陰で。


 そして、


(マーヴィさんのお陰で――)


 隣にいる彼の気配を感じながら、左手首を飾るブレスレットに触れた。


 心なしか、部屋の空気が軽くなった気がした。恐らく、リィナ様の表情が和らいだからだろう。


 だけど、バックス様が渋い顔をされながら口を開いたことで、再び緊迫した空気へと戻った。


「アウラ殿の事情は分かった。しかし……勇者殿への支援は勅命だ。追い返したいのは山々だが、さすがにそれはできんのだ」

「もちろんです。私の事情を考慮して欲しいだなんて、思っていません。ただ……あのダグが私と再会したとき、何もしてこないとは思えないのです。だから事前にお話をさせて頂いたほうがいいかと……」

「そうだったのね。アウラ、辛い話をさせてしまってごめんなさい。そして、全てを話してくれてありがとう」

「いえ、私の話を最後まで聞いてくださっただけでなく、信じてくださって、ありがとうございます」


 リィナ様の優しいお言葉に、安堵の気持ちが湧き上がった。

 

 ダグは外面が良かったから、私の話を信じて貰えないと不安もあったからだ。

 現に、バックス様も話を聞いた当初は信じられない様子だったし。


「それでアウラ、どうする? 恐らくダグは、あんたがここにいることを知っているはずだ。ダグが帰るまで別の所に隠れておくか?」


 私がここでお世話になっていることは帝都を出る時、大神殿に伝えていている。

 恐らくそこから城に通達が行き、ダグの耳にも入っているだろう。


 マーヴィさんの問いかけに、私は首を横に振った。

 

 ダグとは会いたくない。

 

 でも……おかしいじゃない。

 ダグが堂々としていて、私がコソコソ隠れるなんて。


 だから――


「隠れません。私、逃げたくないんです」


 そう強く言い切った。

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