第23話 聖剣の重み(別視点)

 ダグは皇女イリスと庭園を散歩していた。

 くっつかず、でも離れずという微妙な距離を保ちながら、二人はたわいもない会話をしていた。


「ダグ様、顔色が優れませんが……お疲れだったでしょうか?」


 イリスがふと立ち止まり、ダグの顔を覗き込んだ。


 金色の睫毛で縁取られた紫の瞳が、心配そうにダグを見つめている。瞳だけでなく、下がった眉尻や真一文字に結ばれていた艶やかな唇も、皇女の心配を現していた。

 

 だが彼女は帝国一の美姫。

 曇った顔も、結い上げた金色の髪を彩る髪飾りや耳飾りなどが霞んで見えるほど美しい。


 僅かに朱に染まる滑らかな頬に手を伸ばすのを堪えながら、ダグは微笑んで見せた。


「いいえ、大丈夫です。申し訳ありません、あなたに心配をかけてしまって……」

「何を仰るんですか。ダグ様は私の夫となる御方。心配など当然です」

「ありがとうございます、イリス様」


 一国の皇女が、ダグの体調を心配している。

 優越感に浸りつつも、ダグは爽やかな笑顔を浮かべながら礼を言った。


 心の中で、別のことを考えながら――


(くっそ……朝から座学座学って、俺を机に縛り付けやがって……)


 次期皇帝として城に残ったダグを待っていたのは、皇族としての過酷な教育だった。


 勇者とはいえ、ダグは小さな村出身の平民。

 いくらこの国が実力主義だといっても、流石に次期皇帝が無教養であるわけにはいかないのだ。


 ダグにはたくさんの教師が付けられ、一日中講義を聞かされる日々が続いていた。


(礼儀作法なんて、いざとなれば出来るって言ってるのに、何度も何度もしつこく言いやがって……別にいいだろ、どんな食い方をしても……) 


 自由もなく、毎日のように座学を受けつづける日々に、ダグは飽き飽きしていた。


 その疲れが顔に出てしまい、イリスに指摘されたというのが真実だった。


 だがその不満も、綺麗な花が咲いていると無邪気に笑う婚約者を前にすれば、綺麗サッパリ消えてしまう。

 国一の美姫がいずれ自分のものになると思うと、唇が緩むのを抑えられない。


 とりあえず、イリスとの結婚まで我慢だと結論づけると、先を行く婚約者の後を追った。


 二人がやって来たのは、城内にある聖堂だった。


 広い空間の中央にあるのは、岩に突き刺さった一振りの剣。

 聖剣だ。


 聖剣は非常に重い。しかし勇者の力を持つ者であるなら、片手で扱えるほど軽いのだ。

 この剣を振ることができるということは、その者が勇者であるという証拠。


 聖剣の歴史は非常に古く、一体どのような経緯で勇者に与えられたかは記録に残っていない。ただ巷では、女神から初代勇者への賜り物だと言われており、代々の皇帝は大神殿から聖剣の管理を任させている。


 ダグがもつ力を聞きつけた皇帝の使者に連れられ帝都に来たとき、この剣を抜かされた。

 軽々と引き抜いたダグを見た人々の驚いた表情が、昨日のことのように思い出せる。


 平民、さらに孤児だからとムシケラのように扱われてきた自分に向かって、王や貴族たちがひれ伏し、勇者だと讃える姿はひれふす姿は痛快ともいえた。


 ダグが勇者だと証明されると、聖剣は彼の手に渡った。

 勇者の力だけでも充分戦えるほど強かったが、聖剣はダグにそれ以上の力を与えた。


 魔王を打ち倒すほどの力を――


 思い出から現実に思考を戻すと、イリスが聖剣に近付き、柄を握りしめているのが見えた。聖剣を持ち上げようとしているのだろうが、びくともしない。

 真剣な表情をしながら、何度も持ち上げようと力をこめる美姫に、ダグが笑いかけた。


「イリス様お一人では無理ですよ」


 聖剣は、城の兵士が数人がかりでやっと持ち上げられるくらいの重さがあるのだ。あの細腕では、動かすことすらできないだろう。

 ダグに言われ、イリスは大きく息を吐き出しながら柄から手を離した。


「本当に凄いです、ダグ様。こんな重い物を片手で扱うことができるなんて。私、ダグ様が聖剣を構えるお姿を見たいです」

「お安いご用ですよ」


 美しい婚約者の称賛とおねだりに気をよくしたダグは、自信満々に聖剣の方へ近付くと、柄を握った。


 だが、


「えっ?」


 ダグの口から声が洩れた。

 半分ほど岩から抜いたところで、彼の手から聖剣が落ち、元の場所に刺さってしまったからだ。


「ダグ様?」


 突然聖剣を手放したダグを、イリスが不思議そうに見ている。何故ダグが聖剣を放してしまったのか、全く分かっていない様子だ。


 そんな皇女から視線を逸らすと、ダグは取り繕うように笑った。


「聖剣がここに刺さっている姿こそ、平和の象徴。戯れで抜くのはよくないと思ったのです、申し訳ない」

「まあっ!」


 イリスの瞳には、ダグへと称賛が溢れていた。そして恥ずかしそうに両頬に手を当てながら、僅かに俯く。


「仰るとおりです。それなのに私ったらとんだ我が儘を……さすがダグ様です」


 婚約者の称賛に礼をいいつつも、ダグの視線と心は聖剣に向けられていた。


 彼の心を満たしているのは、疑問と不安。


(聖剣って……こんなに重かったか?)


 聖剣を持ち上げようとしたとき、ずしっと腕に重みがかかり、思わず落としてしまったのだ。ダグが初めて聖剣を抜いたときは、まるで薄い板を持ち上げたような、そんな軽さだったというのに。


 だが心の中で不安を振り払う。


(……たまたまだ。そうだ、座学ばかりだったから、筋力が落ちてしまったんだ。そうだ、そうに違いない……)


 安心するために何度も心の中で呟くダグに、聖剣が鈍い光を投げかけていた。

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