第22話 本当の理由

 マーヴィさんの体が、私の上に覆い被さっている。


「マーヴィ……さん?」


 私は彼の体を揺すりながら声をかけた。


 しかしマーヴィさんは動かない。いつも優しく私を見つめてくれる瞳は閉じられ、ぐったりとしている。


 マーヴィさんは何かに気付いて、咄嗟に私を庇ったということは分かったけれど、一体何が……


 彼の体の下敷きになった私の体を何とか抜くと、動かない体をさらに揺った。掛ける声をどんどん大きくしているのに、何の反応もしてくれない。


 ギギギッ。


 何かが擦れる音がした。音の方を見て、私は喉元まででかかった悲鳴を飲み込んだ。


 視線の先にあったのは、先ほど倒したはずの魔族の頭だった。だけど首から下の部分はなく、頭だけがごろんと地面に転がっていたのだ。恐らく他の部分は消滅したんだろう。


 それはいい。

 問題は、別の場所で転がっていた魔族の頭部が、何故ここにあるのかということ。


 そして、マーヴィさんの後頭部にぶつかった、黒い何か。


(もしかして……魔族の頭が私に目がけて飛んできたの? それをマーヴィさんが気付き、庇ってくれたってこと?)


 ギギギッという奇妙な音は、魔族の頭部から発されていた。

 三つの瞳が私を捉えると、ニィッと細められた。謎の音がさらに激しくなる。細められた瞳と激しくなる擦れた音が、人間のある行動と一致する。


(笑ってる。この魔族、倒れたマーヴィさんと私を見て笑ってるんだわ……)


 そいつは最後まで笑っていた。

 笑って――完全に消滅した。


 チリ一つ残らなかった。


 倒したはずの魔族が、何故動くことができたのかは分からない。

 でも今はそんなこと、気にしてる場合じゃ無い。


「マーヴィさん……マーヴィさんっ‼」


 彼の名を呼びかける私の声が震えている。


 心から溢れんばかりに満たされている感情は、恐怖。

 私の全身から体温が失われ、目の前の情報以外、頭の中に何も入ってこない。


 魔族がマーヴィさんにぶつかったときの音はかなり大きかった。それにあの彼が倒れるくらいなのだから、かなりの衝撃だったはず。


 ぶつかった場所は後頭部。

 万が一のことがあっても……おかしくない。


(万が一って……)


 思い浮かぶ最悪の事態に、全身の血が凍り付く。彼の体を揺する手が、今までにないくらい震えている。

 倒れたままのマーヴィさんを見ていると、恐怖と後悔で頭の中がおかしくなりそう。


(そ、そうだ、癒やしの魔法を!)


 何故今の今まで思いつかなかったのだろう。


 私は急いで癒しの魔法を発動させた。


 魔獣にやられた大怪我だって、癒やせたのだ。だからきっとマーヴィさんの怪我だって、問題なく癒やせるは――


「う、そ……なん、で……」


 神力がマーヴィさんに流れない。

 何度、癒しの魔法を発動させようと意識を集中させても、結果は同じだった。


 神力が流れない理由は、二つ。


 癒やす傷がないか、もしくは、


 相手がもう亡くなっているか――


 全身から力が抜ける。

 目の前の光景が現実だと思えない。


「い、いや……」


 口が勝手に拒絶の言葉を発した。

 何に対する拒絶なのかは、分かってる。


 魔王討伐の旅の間、私を気にかけてくれていたのは、自分自身を大切にするように怒ってくれたのは、マーヴィさんだけだった。


 ダグに捨てられて傷心していた私に手を差し伸べてくれたのも、マーヴィさん。素敵な街に連れてきてくれて、バックス様やリィナ様などのたくさんの良き人々に引き合わせてくれたのも、マーヴィさん。


 私の力が凄いのだと認めてくれたのも、力を使おうとすると一番に体調を心配してくれたのも、自分に自信を持とうとするきっかけをくれたのも、全部全部……


 広い背中が思い出された。

 目の前の景色が涙でぼやけていく。


 あなたがもし死んでしまったら私は――


「嫌っ……マーヴィさん、死んじゃ嫌ぁっ‼︎」

「……俺はまだ死んでないぞ」


 突然、大きな体がムクリと起き上がった。

 てっきり最悪な状態だと思って私の瞳に溢れていた涙が、ピタリと止まる。


「ま、マーヴィさん、生きている……んですよね? 夢じゃ……ないですよね?」

「もちろん現実だ。それにどこにも痛みはない。衝撃が大きかったから一瞬意識が飛んでしまったが、大したことなかったようだな」


 大したこと、ない……?

 あれだけ大きな衝撃を受けて、倒れたというのに⁉


「そんなの嘘です! 後頭部を強打したんですよ⁉︎」

「いや、嘘と言われても本当のことだからな……たんこぶ一つ出来てないぞ」


 マーヴィは困った表情を浮かべながら手を後頭部に当て、怪我がないか探っていたけど、 結局何も無かったようで、解せない顔をしつつも手を下ろした。


 無傷だなんて信じられなかった。

 だけど、


「……さっき、倒れたマーヴィさんに癒しの魔法をかけようとしたんです。でも、神力が流れなくて……」

「確か癒やすべき傷がないと、神力は流れないんだったな。ということはやはり、怪我はないようだな」

「そのようです。信じられませんが……」


 こうなったら認めるしかない。

 マーヴィさんが奇跡的に無傷だったことを。


 無傷だった理由なんてもうどうでもいい。

 今はただ、あなたが目覚めてくれたことだけが――


 全身から力が抜け、今度は私が倒れそうになる。

 安堵感から、涙が溢れて止まらなくなる。

 

「あ、アウラ? 何で泣いて――」

「良かった……本当に良かった……私を庇ったせいでマーヴィさんが死んでしまったんじゃないかって……」

「俺は大丈夫だから、もう泣くな」

「うっ、うぅっ……」

「……泣くなと言ったそばから、また泣き出して。あんたときたら……」

「だって……だってぇ……」


 そう言われても涙の止め方が分からない。


 涙が止まらなくて困っていると、私の体がふわっと温かくなった。どんな敵にも一歩も引かない力強い両腕が、私を抱きしめていた。


 なのにこの身を抱きしめる力は、とても柔らかくて。

 

「……分かった。それであんたの気持ちが落ち着くなら、好きなだけ泣け。心配させて悪かった」

「ま、マーヴィさんは、わるくは……わたしを、助けてっ、あり、ありがとうござ……」

「分かった。分かったから」


 触れ合う体から伝わってくる温もりと鼓動は、彼が生きている証。


 それが嬉しくて、また涙が溢れ出す。彼のシャツを濡らしてしまうことも構わず、顔を強く押しつけた。


 包まれる温もりの中で、スティアの街を出ようと思った本当の理由に気付く。


(私……見たくなかった。いずれマーヴィさんが妻として迎える女性の存在を……)


 私は、彼の妻となる女性に、まだ存在すらない架空の女性に、嫉妬していたのだ。


 だから街から出ようと思った。

 全てが腑に落ちた気がした。




 この気持ちを抱くということは、


 わたし、は――

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