第12話 思い出の琵琶
早速
「くそ、届かない……」
背伸びをしてなんとか取ろうしていると、横から手が伸びてきた。影が落ち、背後から曄琳より頭ひとつ上背のある
「くそなんて言葉を使わない。はい、どうぞ」
呆れ顔の暁明が曄琳を見下ろす。
女官姿なのに声は男性。身長も高い。なのに、美女。
彼を見ていると視覚と聴覚が一致しなくて頭がおかしくなりそうだ。
曄琳は琵琶を受け取ると、そそくさと暁明から離れた。もとの彼と会話したことがあるせいで、違和感が拭えない。主上はこんな女装した側近で本当に人見知りが緩和されるのだろうか。
失礼なことを考えていた曄琳は、集中集中と手元の琵琶に視線を落とす。
「この琵琶も一通りは調べてるんですよね」
「ええ、私が見た限りでは遺書が隠されているようには思えず。見ていただいてもよろしいですか」
曄琳は琵琶をまんべんなく観察する。
教坊でも馴染みのある重さが掌に掛かる。文字通り琵琶の実のような曲線を描く胴に、艶やかな暗褐色が美しい。
曄琳はコンコンと琵琶を指で叩いてみた。中に何か入ってそうな音はしない。
(素材は
琴頭は調弦する際に動かす琴軸の更に上、琵琶の頭部にあたる部分だ。そこに親指と人差し指で丸を作った程度の大きさの、円形の板を装飾品として嵌め込む。持ち主の趣味嗜好に合わせて意匠を凝らすので、個性が出る部分でもある。楽工房で職人が削り出しているところを、曄琳は何度か見かけたことがあった。貴妃は天翔ける麒麟を選んだようだ。
「どうですか?」
暁明が曄琳の表情を読み取ろうとじっと見てくる。
曄琳は琵琶を何箇所か弾いて確認するが、中から紙の音らしきものは聞こえなかった。
曄琳が首を横に振ると、暁明があからさまに落胆した。
「そうですか。妃の思い出の品なので、もしやと思ったのですが」
そこまで言われると、やっぱり琵琶に遺書があるのではと思えてくる。曄琳はもっと徹底的に調べるかと袖を捲った。
暁明はそんな曄琳の様子に長くなると感じたのか、ふむと顎を撫でていた。
「二手に分かれた方が効率がいい。私は隣の房室を見ていますので、何かあったら声をかけてください」
「わかりました。何か見つけたら呼びます」
暁明の後ろ姿を見送る。
曄琳のことを完全に信用しているわけではないだろうに一人にさせるということは、今の曄琳にどうこうする力がないと踏んでいるのか、または、何かあっても対処できるだけの腕があるのか。
(まあ、科挙を通ったなら、文官であっても一通りの武芸はできるものか)
しかし、だ。
やはりその足音は僅かに引きずっているように聞こえた。
(普通の人には多分何の違和感もなく聞こえるんだろうけど)
曄琳は息を吐き出すと、手元の琵琶を調べようと意識を集中した。
琵琶は四本の弦がある。調弦の基本は一弦から四弦までを六、三、二、六と合わせることが多い。曄琳が爪で一弦を弾くとやや低めの六音が鳴った。
(夏だし今は手入れもされてないから、湿気で弦が緩んだのか。それより――)
もう一度鳴らす。
(微妙に聞いたことのない雑音が交じっているように聞こえるんだけど、なんだろう? どこが原因?)
何度鳴らしても雑音は消えない。曄琳は琵琶を表に返し裏に返しと探ってみる。見た目は普通の琵琶だ。違和感の原因になりそうな場所をくまなく見てみるが、よくわからない。
「何か隙間があいたような音というか、木の軋みというか…………あれ?」
曄琳は琵琶の横の継ぎ目を指で辿って、はたと気づいた。継ぎ目が微妙に合わない。紙一枚にも満たない、ごく僅かな隙間だ。
琵琶の胴体は、表の面板と裏の背板をくっつけて作られる。壊れるなどしない限りこの継ぎ目が開くことはないのだが、安妃の琵琶はこの部分が一部、本当に少しだけ浮いていた。
もう一度弦を弾いて納得した。
(なるほど、ここの隙間が
目視しても絶妙にわかりにくい場所だ。継ぎ目は
(でも……うーん、そんなことある? 緩んだにしてもちょっと妙)
曄琳は琴頭の装飾を撫でる。
天翔ける麒麟――女性の琵琶につけるには
「麒麟。麒麟か……確か主上のお名前って確か――」
――
(ああ、麒麟ってそういうことか)
麒麟の鳴き声は音階と一致しているといわれ、雄の鳴き声は
そこに確信に満ちた何かが降りてきた。
固定観念に囚われていた。
そうだ、遺書は
曄琳が呼ぶと、暁明が隣の房から顔を出した。
「
曄琳が手を差し出すと、暁明が不審そうに近づいてくる。目は曄琳の手元の琵琶に釘付けだ。
「何をするんですか」
「琵琶の解体です」
「解体……まさか」
暁明がすっ飛んでくる。
「遺書を見つけたんですか?」
「見つけたといいますか、推定といいますか」
煮え切らない曄琳に、暁明は結い上げた髪から簪を抜く手を止める。
「話を聞いてからにしましょう。もし違っていた場合、安妃と主上の思い出の品を潰してしまうことになりかねません」
曄琳も頷くと、手元の琵琶をおろした。
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