第13話 桜の木の下で
「私の予想では多分遺書は琵琶そのものです」
「琵琶? どういうことです」
「遺書を紙に書き遺したのではなく、琵琶そのものに書きつけたんです」
琵琶の横の僅かに浮いた継ぎ目を指差す。
「面板と背板を外して中に文字を書きつけて、また閉じたんじゃないかと思ったんです。一度外したような音がします」
「なるほど。言わんとしていることはわかりますが、そこまで手間をかけますか」
暁明が眉を寄せる。曄琳もそう思うが、もう一つ理由があった。
「あとは、
暁明の視線が曄琳の右手の琴頭の装飾に移る。
曄琳は妃と主上二人でよく弾いていたという思い出の品を掌で撫でる。
「我が子の名に纏わる神獣をつけた楽器に遺書を隠してもおかしくはないかなと思いましたが、どうでしょうか」
「主上の御名……ふむ、そうですね」
皇帝の名を口にすることは不敬罪にあたる。暁明は音にせず考え込むように顎をさする。じっと曄琳を見つめた後、髪から簪を抜いた。
「やってみましょう」
「了解です」
曄琳は簪を受け取ると、僅かに開いた隙間に差し込む。梃子を利用して簪を上下に動かすと、思ったよりすんなりと外れた。
曄琳は中を見ないようにして暁明に琵琶を渡した。見てしまったら最後、どんな口封じが待っているかわからない。
曄琳はゆっくりと中を確認する暁明の様子を伺う。
(……あった)
曄琳は暁明の目が琵琶の裏側を滑るように動いているのを見て、ほっと息を吐き出した。
長い文章なのか、しばらく暁明は遺書を読んでいた。
「お手柄です」
暁明が顔を上げたとき、なんとも言えない表情をしていた。安堵、困惑。ようやく見つけた嬉しさよりも戸惑いの方が勝っている様子だ。
(いい内容ではなかった……?)
首を傾げる曄琳を尻目に、暁明が琵琶を閉じて窓の外を見た。
「少し手伝ってもらえますか」
「……?」
そのまま暁明が建物の外に出たので、曄琳もくっついていく。外は太陽が真上から照らす昼日中。薄暗い中で作業をしていたせいで目の奥が明滅する。曄琳は右目を擦りながら、
暁明は
曄琳も暁明の向かいにしゃがみこむ。
「少監は一体何を……」
「妃の遺書に、ここに”あるもの“を隠したとあるんです。一緒に掘ってもらえませんか」
「ほう?」
曄琳も石を手に取るとザクザクと掘ってみた。
女の手で穴を掘って隠す程度ならそこまで深い穴ではないはずだ。すぐに出てくるだろう。
曄琳の見立て通り、掌一個分と少しの深さを掘ったくらいで、何か固いものが出てきた。
暁明が石を投げだし、最後は手で掘り進める。
姿を現したのは、古びた木筒だった。
暁明が土を払い除ける。湿気で既に腐食が始まっているのか、木筒のところどころが欠けていた。そんな中で、木筒の横に書かれた文字があった。
――樱花樹下 我想起你
「櫻の樹の下で、あなたを想う……」
思わず曄琳が呟くと、暁明が目を見開いた。
「あなたは文字が読めるのですか」
はっと我に返った曄琳は、慌てて口を閉じた。
「少しだけです。文字は教坊で習ったんです」
本当は問題なくできるのだが、苦し紛れに誤魔化す。
貧民街暮らしで読み書きができるというのは、自ら訳ありですというようなものだ。
訳あって貧民街に流れ着いた良家の没落者なんぞがいい例である――まさに曄琳のことだ。
暁明が物言いたげな視線を寄越してくるので、曄琳は木筒に意識を向けてもらおうと、手を伸ばす。
「これ、開けないんですか。遺書の続きが入っているのでは?」
暁明が曄琳の手からするりと逃げる。そして立ち上がると、木筒を袖に仕舞ってしまった。
「……開けられません。これは遺書ではありませんから」
開けないではなく、開けられないのか。
曄琳は木筒の文字をじっと見つめる。
――
その字面に曄琳は亡き母を思い出した。
膝をついたままの曄琳が問うよりも先に、暁明の艷やかな笑みが見下ろしてきた。
「あなたの仕事はここまでです。お疲れ様でした」
おお、と曄琳はたじろぐ。
言外に線を引かれている。これ以上は踏み入るな、と。
(思ったより早い終わりだったな。ま、これ以上深入りするとまずそうだし、さっさと退散しよっと)
曄琳はにこりと微笑むと、俊敏に立ち上がった。
「わかりました。少監も報酬の件、お忘れなきよう」
曄琳も要求する。報酬は手切れ金だぞと。
暁明もわかっているのか、鷹揚に頷いた。
曄琳は礼をとると、門へと向かった。今ならまだ食房の時間に間に合う。今日は長丁場になるだろうと夜飯抜きを覚悟していただけに、頬も緩むというもの。
足取り軽く駆けて行く曄琳の背中に、暁明の視線がひたと刺さる。
耳は敏感だが、視線には鈍感な曄琳であった。
◇◇◇
宮妓にしては、品がある。
曄琳の第一印象がそれだった。
暁明は安妃の琵琶を抱えて説明をする曄琳を見下ろす。
宮妓はその生まれに難のある者が多い。
いくら楽人が重宝される
楽に自身があるのなら、女ならば後宮の妃嬪か女官を目指す。あそこは卑賤関係なく、楽でのし上がることができる数少ない場だ。出自に問題がなく多少の教養があれば、誰もがまず女官を目指すものだ。
曄琳も例に漏れず、意図せず宮妓となった者だった。もともと戸籍はなく、宮妓に召し上げられた際に
(貧民街の生まれというには、学がありすぎる。所作に荒い所はあるが、言葉選びにそつがない)
更に彼女は文字まで読めるという。
暁明は疑義の念を抱く。識字は中層階級以上の男か、上層階級に近い女以外にあり得ない。内人まで上り詰めた宮妓ですら、読み書きは難しいという場合すらあるのだ。曄琳が教坊に来てから手習いで読み書きを習ったにしても、上達が早すぎる。
まだ何処ぞの屋敷に奉公していた
(彼女の出自は、一体……?)
曄琳の容姿は眼帯が邪魔をしているが、かなり端麗な部類に入る。肌は日に焼け、手指は楽人らしからぬ傷が多いが、力仕事をして生きてきたような様子はない。ならば、身体を売って生きてきた
しかし、どこをとってもしっくりこない。
暁明はふむと顎を撫でる。
――え、まあ、苦労も多いですけど、親が生んでくれた身体ですから。私は好きですよ。
自身の見た目を好きだと言い切った彼女の言葉を思い出す。暁明は無意識のうちに自身の脚を撫でていた。
得体の知れないものほど気になるもの。それが特異な才能を持つ者なら、尚の事。
これを手放すという選択肢はない。
暁明の口端は知らず持ち上がっていた。
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