第2章 望まない繋がり

第10話 亡き安妃




 

 まさかまたここに戻ってくることになるとは思っていなかった。

 

 曄琳イェリンかんぬきの掛かる大きな門扉を見上げる。


「開けるので下がってください」


 曄琳の前には鍵を手にした暁明シャオメイ、もとい女装姿の暁明がいた。


「こんな昼日中に後宮へ来て大丈夫ですか?その……見破られたりとか」

「平気です。何度私がこの格好でここに来ていると思っているんです」


 不敵に断言する暁明は、その自信に違わずどこからどう見ても楚々とした女人であった。細い腰に白い項、化粧を施した陶器のような肌。女にしては長身だが、すらりとした体躯に緋色の裾子スカートがよく映える。


(女の私よりも女らしいってどういうこと?)


 曄琳は複雑な気持ちで閂を抜く暁明を見る。鎖骨から胸元を出す今風の女官の着こなしと違い、交領でしっかりと胸元を隠しているあたりが少し目立つが、貞淑な女官だと思えば言及されることはないだろう。しっかりと胸に詰め物までして挑んだ徹底的な造り込みに、半ば感心すらする。


「そんなに見ても何も出ませんよ」


 曄琳の不躾な視線に暁明が冷ややかな目をする。

 別に変態なわけではない。単純に気になっただけなのだ。

 先を行く暁明の後に続き、曄琳も門を潜る。この門の先には、亡きアン妃の住まい――安礼宮あんれいきゅうがある。


 目的はひとつ、安妃の遺書探しだ。




 ◇◇◇



 

「これより先は他言無用。いいですね」


 そう前置きをして、暁明は切り出した。先立って人払いも済んでいるのか、外に人の気配はなく物音もなかった。


「探して欲しいのは、亡き安貴妃の遺書です」 


 暁明は桂花糕グェイファガオの壺に蓋をすると、重く息を吐き出した。


「安妃のことはどこまでご存知ですか?」

「あまり詳しくはありません」


 お偉方の動向は宮中のいい酒の肴だ。どこで知ったと言いたくなるような内容も赤裸々に流れてくる。曄琳は極力後宮に近づかないようにしていたこともあり、そのあたりの情報には疎かった。

 暁明は清廉な双眸が一度閉じられ、ゆっくりと開いた。


「妃はある日突然、胸が痛いとお倒れになり、そのまま回復することなく亡くなられました。妃に持病もなく原因不明とのことで先帝も大層気を揉まれ、病床の折には太医署たいいしょから侍医を後宮へ派遣させてまで治療したのですが、その甲斐なく……」


 暁明は過去を思い出すように遠い目をする。

 

「安貴妃は大変穏やかな方でした。見舞いで枕辺に寄る主上をご覧になるたび、動けず床に伏せたままでいることによく涙しているほど」


 幽鬼と噂された貴妃とは異なる姿が語られる。

 ようやく喋り、駆け回るようになった可愛い我が子を前に床に伏せたままというのは、母としてどんなに辛かったろう。その様子が克明に想像できて、曄琳は唇を噛んだ。

 

「そして……これからが問題なのです」


 暁明がため息をついた。

 

「半月ほど前、ようやく遺品整理も終わるとなったときに主上がこうおっしゃりだしたのです。『母の遺書がある』と」

「遺書?」

「ええ。なんでも、貴妃が伏せってらしたときに『遺書があるから探してほしい』と言われたというんです。しかし、遺品整理の際にそれらしきものはありませんでした」

「それは……」

「どこまで本当の話なのかはわかりませんが、あの方があるとおっしゃるのならば、探す他になく」


 皇帝陛下の言葉は何よりも重い。

 それが例え五歳児の言うことであってもだ。

 複雑な面持ちの暁明に、曄琳も言葉を選ぶ。


「主上は当時四歳、ですよね。信憑性は低いのではないでしょうか」

「普通ならそうでしょう。しかし、主上はとても聡くていらっしゃる。幼子らしく人見知りもしますが、全て嘘だとは言い切れないのです」


 なんてややこしい。

 なら可能性はもうひとつ。

 

「探しても見つからないということは、誰かに持ち去られた可能性はありませんか?」

「ありません。安妃宮は貴妃が亡くなると同時に閉鎖し、遺品の整理も当時私の信頼のおける部下数名だけで片づけました。鍵も、特例でこうして私の手に」

 

 暁明が懐から鍵束を出す。

 本来、後宮女官が管理せねばならない鍵をこうして暁明が直接管理している。


(貴妃の遺書の探し方といい、何か仄暗い事情を感じるんだけど)


 暁明の女装理由の二つ目。女装した日――主上とともに後宮へ入った日は、ついでに夜、安礼宮で密かに遺書探しをしていたということだ。


 事情を深く聞いてはいけない。

 曄琳は好奇心に蓋をし、なんとか捜索参加を拒否できないかを模索することにした。 

 

「事情はわかりましたけど、そんな幻の遺書探しに私が協力できるとは思えません。私は物探しの達人ではありません。ただ人より耳が良いだけです」


 曄琳の耳は普通の人と同じ。音を聞く耳であって、全てを見通す力を持つ耳ではない。そこを勘違いしてもらっては困る。曄琳の真っ当な反論に、暁明も食い下がる。


「安礼宮内の遺品の数は、点数だけ見ると非常に多い。いちいちひっくり返し、解体して探していては日が暮れる。できる限り早く見つけるには、あなたの耳が適任だと思ったのです」

「私の耳は便利道具でもないのですが」


 人手と時間削減のために駆り出された最終兵器といったところか。


「便利道具などと思ってはいませんよ。今回捜索に参加していただければ、次回も呼ぶなどということはしません。見つかっても見つからなくても、今回のみです。お時間をいただけませんか?」

「そこまでして――」


 そこまでして手に入れたい安妃の遺書に、何が書かれているのか。暁明の必死さからして、内容に思い当たる節があるのだろうと曄琳は推測する。

 そもそも、遺書は隠すものではない。読んでもらわなければ書いた意味がないからだ。それなのに隠したということは、安妃に遺書の内容を公にしたくない理由があったのだ。


(あああ……厄介なことに巻き込まれてしまった……)


 転げ回りたい気分だ。

 自身の秘密もあるのに、他人の秘密を探る余裕などあろうはずもない。


「遺書探しは明日行う予定です。掖庭宮で人と出会したのは予定外でしたが、相手があなただったのは僥倖です。穏便に、人目を忍んで遺書を回収したいのです。協力をお願いできますか」


 お願いできますか、なんて丁寧な言葉を使っているが、これは脅しだ。曄琳は項垂れた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る