第4章 絡まる糸
第35話 碧鈴の失敗
急報を受けて駆けつけた
「失礼いたします。碧鈴様、お加減はいかがでしょうか」
曄琳、
しばし待つと、扉が押し開けられた。
碧鈴は奥の
雪宜が曄琳らに気づいて近づいてきた。
「お三方とも、朝からありがとうございます」
「雪宜様。碧鈴様のご様子は?」
「それが、なんと言いますか……」
雪宜は複雑な面持ちで被子の膨らみを見やる。
「……そんなにお悪いのですか?」
「いえいえ、もうお元気でいらっしゃいますよ」
歯切れの悪い雪宜に、三人は首を傾げる。
曄琳が知らなかっただけで、碧鈴には持病でもあったのだろうか、あるいは――他家に毒でも盛られたか。
「……少し外に出ましょうか」
雪宜に促され、三人は房室を後にした。
十分に碧鈴の宮から距離をとってから、雪宜は言いづらそうに口を開いた。
「実はですね――」
「は!? 隠れて練習をしていて倒れた!?」
「茗さん、声が大きいですよ」
茗が素っ頓狂な声を上げたので、雪宜が唇に指を当てて声を落とすよう促す。そして、どうしたものかと眉を寄せる。
「もともと規則で『
雪宜が腕を組む。日焼けのしていない生っ白い腕が袖から覗く。
「侍女達曰く、碧鈴様より口外するなときつく言われていた、と。規則違反が知れるとその姫は落第となりますから、上に報告することもできず気を揉んでいたと言っています」
(こっそりと練習……まさかあの姫様が)
驚く曄琳の横で、燦雲もあらまあと呟いている。
「彼女が練習をしていた場所というのが、宮女にあてがわれた狭い物置だったようです。窓もない場所です。扉に布を引き、灯火皿を使用して籠もっていたようです。それが……ここですね」
示された房を覗く。箱や道具が詰まったそこは、座るぐらいが精一杯の、およそ姫が入る場所とは思えない場所だった。
「ありゃ、あの子こんな狭い場所で練習してたの?」
「あらあら、それは体調も悪くなるわぁ。この暑さで……しかも締め切って灯りをつけていたんでしょう?」
茗と燦雲が房を覗き込む。置き忘れか、小さな明り取りの皿がぽつんと箱の上に置かれていた。燦雲が皿をつつく。
「これを使うのに窓がないのはダメよ。具合が悪くなってしまうわ」
曄琳も同意する。
こういった灯りは狭いところでずっとつけっぱなしにすると、具合が悪くなるのだ。火鉢も同じく、狭い場所で使ってはいけないと聞く。煙や
茗がやれやれといった感じで肩をすくめる。
「侍女あたりは自分らで油の補給をするし、こんな狭い場所で使っちゃいけないって常識として知ってると思うんだけどな………………って、あれ?もしかして、そういう?」
茗が顔を引き攣らせて雪宜を仰ぐと、彼は複雑な顔で頷いた。
「……そうです。侍女らは、こうなる可能性を考慮した上で、あえてやらせていたみたいですね。本人達は認めたがりませんが」
つまり、碧鈴の具合が悪くなることも理解した上で黙認していた、と。侍女からしてみれば、碧鈴の命令だから仕方なく従っていたと言ってしまえば、彼女らに責任はなくなる。
「嫌がらせのための都合のいい言い訳ですね」
曄琳がそう言うと、雪宜も深く息を吐き出す。
「朝一番で
四華の儀は、いよいよ暗雲が立ち込めていた。
「大丈夫ですか?」
雪宜が隙を見て話しかけてくる。曄琳は目頭を揉んでいた手を止め、隣の宦官を見上げる。
「申し訳ありません、四華の儀の前にこんなことになってしまうなんて少監になんて言えば……」
「そうではなく、曄琳さんの顔色の話ですよ」
指摘され、曄琳は己の顔を触る。
「そんなに顔色が悪いですか?」
「会ったときから悪いですね。具合がよくないのでは?」
「身体は元気ですよ。……最近ちょっと寝不足で」
楚蘭のことに加えて暁明と衝突したことが相まって、悩みは二倍に増えていた。碧鈴のことも追加されて、頭は痛くなる一方だ。
「そうですか……無理をしないでくださいね。私は心配です」
「あはは、ありがとうございます」
視界の端で女官がものすごい形相でこちらを見ているのを確認し、曄琳は曖昧に笑ってやり過ごす。
これだから人たらしは。
不要な争いの種は蒔きたくないので、曄琳は早々に雪宜との会話を切り上げた。
◇◇◇
「碧鈴様、どうなると思う?」
雪宜がいなくなった後、燦雲が小さく問うてくる。
「規定通りなら、落第ではないでしょうか」
「そうよねぇ。可哀想に」
曄琳も気持ちとしては複雑だ。しかし、規則を破っていたことは事実。どのような沙汰が下だってもおかしくはなかった。
(日暮れ時の楽器の音、あの音のひとつは碧鈴様だったのね)
二日前に聞いた楽器の音、誰が弾いていたかまで特定できなかったが、あの琴が碧鈴だったとすると、気持ちとしては複雑だ。
形骸化している規則とはいえ、こうして公に見咎められれば当然罰則を与えられる。そういう意味では――碧鈴は失敗してしまったのだ。
通明門から風に乗って鈴の音が聞こえた。
三人で宮の近くまで戻り、成り行きを見守ることにした。四夫人俸禄の件は絶望的ということもあり、茗の顔は死んでいた。
複数人の護衛を引き連れた軽い足音が近づいてくる。その中に特徴的な足音を聞き分けて、曄琳は気まずさを覚える。昨日の今日で、彼とどんな顔をして会えばいいかわかなかった。
それに――曄琳は一抹の引っ掛かりを覚えていた。
駆け引きのうまい暁明のことだ、あの場はもっと暁明が主導権を握り、曄琳の秘密を暴くこともできたはずだ。それをしなかった理由は何なのか。曄琳は蒸し暑い馬車の空気を思い出す。脱走や目の色の件含め、彼にはあまりにも弱味を握られすぎてしまっている。曄琳の危うい部分に踏み込んで、逃げられぬよう手駒として縛るくらいあの男ならやってのけるだろうに。彼が知るのを躊躇う理由は、一体――。
「あのときのイイヒトか」
頭の上から声が降ってきた。思考の渦から引き揚げられる。
一行が通り過ぎるのを膝をついて頭を垂れ待っていた曄琳は、ひくりと肩を揺らした。
淳良の小さな沓が目の前に来ていた。
「女官ではなく、宮妓だったのか」
「はい、主上」
「よい、おもてを上げよ」
横の茗がぎょっとした顔で曄琳を見ていた。そりゃあそうだ。一国の主と言葉を交わす機会はまず訪れない。
「
「いえ……そのようなことは……」
(その暁とやらがあなたの後ろから物凄い目で見てきてますが)
曄琳は
「名は」
「
「曄琳か。……明星、すこし話をしてからでもいいか?」
明星が物言いたげな視線を寄越してくるが、曄琳は見ないよう努める。しばし沈黙があり、明星が頷いた。そういえば、話せないという設定だったかと思い出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます