明日にはきっと……何?
昨日からずっと雨が降り続いている。
雨の中で歩き回れば当然濡れる。濡れれば体温が下がり、調子が悪くなる。抵抗力が落ちれば病気に罹るおそれも出てくる。もちろん、濡れるのは身体だけではない。簡素な革靴は歩く度に不快な感触に包まれるし、衣服はべったりと身体に張り付いて、汗と相まって嫌な臭いを放ちはじめた。荷物は重くなり、背負うのにも苦労する。撥水性なんてないから中の荷物も同じで、例によって缶詰は問題ない(本当に便利だ)が、干した肉やら薬草やらはもう使い物にならないだろう。
路上で朽ちている馬車でもあれば、その幌を加工して雨除けを作れないかとも考えた。だがそういう時に限って見つからない。まあ人生とはそういうものだ。
そうして雨に打たれながら歩くこと一日半、俺はようやく集落跡を見つけた(つまり、それまでまったく見つからなかったのだ)。
はやる気持ちをおさえつつ、大きめの家を探して中に入る。一階の広間に石造りの暖炉があったのは幸いだった。木製の椅子や適当な家財を直剣で切り出し、薪代わりにする。さらに、本棚にあった本を焚き付けにし、火を起こす。
廃屋に火が灯り、室内がだんだんと暖かくなっていく。
―――
『ステータス情報を開示します』
『■■■■』
『day:37』
『筋■:5』
『感性:6』
『■体:3』
『■■:1』
『知■:4』
『敏■:2』
『■:2』
ここまでは変わらない。
『PERK:Undying(■) Ignite(1) P.K.(3)』
これは能力のことだ。Undyingはいつものことで、Iginateというのは例の指から火が出る能力のこと。で、P.K.というのは何だ。いつの間に覚えた? 効果は?
『あなたは76番目です』
これも変わらず。さて、もっと何か情報はないか。
左手甲の銀球に意識を集中させる。
『現在はBlueが優勢です。引き続き、Blue構成員の一人が■■■■の権利を有しています。Redはすみやかに阻止を■■■■■■■■■■■■』
『■■■■は■■■において続行しています。残り時間は――――――――『サーバーに接続できません』『サーバーに接続できません』『サーバーに接続できません』『サーバーに接続できません』『サーバーに接続できません』『サーバーに接続できません』『サーバーに接続できま■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』』
がつん、と殴られるような頭痛を覚える。
『主目標:生き延びろ』
『■■■ お前は私の ■■■■■■■■ 勝手に ■■■■■■■■■■■』
―――
訪れた不快感はこれまでになく強烈なものだった。しばらく地面をのたうち回り、吐き気と頭痛に耐える。症状が落ち着くのを待ってから水を飲み、暖炉のそばで温めておいた豆スープの缶詰を開ける。暖かい食事が身体中に染み渡っていく。
この左手甲に埋まった銀球が何かしらの情報を有している(俺自身が知り得ないことも含めて)のは確かだ。これまでも何度かやってはみた。だが意識を集中させると、そのたびに理解不能の単語と囁き、そして激しい雑音が不快感を伴って脳ミソを焼きにかかってくる。だから最近は意識的に避けていた。いつの間にか覚えていたらしい能力のことも含めて多少有益ではあるのだろうが、あまりに負担が大きすぎる。
スープを飲み干し、敷かれていたカーペットをはいで身体に巻き付けた。埃のつもったそれは大して保温性もないが、ないよりはマシである。
今の俺は全裸だ。全裸のまま荷物整理をした。身に着けていた衣服や背嚢はすべて脱ぎさり、暖炉のそばで乾かしている。背嚢の中のモノはすべて出した。濡れて駄目になった食物は捨て、乾かせばいけそうなものだけを残す。
そうやって作業を一区切りつけたあたりで、ふと思い立ってこの銀球にアクセスしたわけだ。だがそれは少々軽率な行為だったかもしれない。ただでさえ冷えて弱った身体にこれは効いた。暇潰しのつもりが逆効果だった。
この身体は便利なようで不便だ。“PERK”とやらで病気もケガも一瞬で治してしまえればどんなにラクか。けれど、たぶんそんな便利な能力は覚えないだろう(だんだん、そのあたりの因果がわかってきた)。
外はまだ雨が降り続いている。暖かいのは暖炉のまわりだけで、がらんどうの広間はそこかしこから冷気が入っている。水筒の水を温め、またゆっくりと飲む。長いこと雨に打たれていたのと、ここ数日の間に歩きづめだったのも相まって、どんどん体調が悪くなってきた。
―――
『day:38』
そうしているうちに日付が変わった。暖炉の薪が足りなくなってきたので、砕いた椅子の脚を放り込もうとする。しかし身体がうまく動かない。節々が痛み、呼吸も荒くなってくる。意識が朦朧としてくる。
この奇妙な感覚は、俺にとっては慣れた隣人のようなものだ。死が訪れる瞬間に感じる、ある種の脱力感。もっともこれは死ではない。ただの体調不良だ。だが辛いことは辛い。早いところ薪を放り込まないと火が消えてしまう。そうなれば低温症で本当に死んでしまうかもしれない。死んでしまったところでまたどこかにリスポーンするだけの話ではあるが、これだけの荷物をロストするのは惜しい。
なんとか。なんとか薪を。手を伸ばして、あとほんの少し。
と思った瞬間に、ずる、と薪が動き、手元に引き寄せられた。
俺は今、不思議な体験をした。薪が勝手に動いたのだ。こっちへ来てくれ、と思ったらその通りに動いた。ただの幻覚だったのかはわからない。ともあれ俺の左手は薪を掴むことができた。高熱で痛む全身の力を振り絞って、薪を投げ入れる。火の粉が散り、暖炉の火がぶわりと瞬く。
今のは一体何だったのか。己の掌を見つめる。しかし薪を無事にくべられた安堵感からか、再び俺の身体は鉛のように重くなり、意識もあやふやになってきた。
これは死ではない。目を覚ませば次の日が訪れるし、その頃には雨も止んでいるだろう。とりあえず今は眠ろう。眠ってしまえば明日にはきっと――。
……明日?
―――
明日にはきっと……何?
―――
また夢を見た。
暗闇の中で“俺”の身体が起き上がった。俺は横に突っ伏しながら、それを視界の隅で眺めていた。まず、少女は自分の髪を手ですくい上げ、火に透かすように見た。その表情はあからさまな不快感を伴っていた。やっぱりこんな色は嫌だ。そう言いたげな表情だった。
それから彼女はこちらを見下した。全裸の少女は、汚いモノを見るかのような蔑みの視線を向けていた。いつか姿見に映った姿と同じ、幼さの残る凹凸の少ない肢体。発熱で紅潮した顔。それらが、焚き火の明かりにあてられて輪郭をつくっていた。
――なんで死なないの?
彼女は言った。俺に向けてそう言ったのだ。どんな声色だったかも分からなかったし、その小さな口は微動だにしていない。けれどそれは耳元ではっきりと聞こえた。
俺だって望んでこうなりたかったわけじゃない、と言い返したかったが、言い返す口がなかった。手を伸ばしたかったが、伸ばす手もなかった。それでもその意識だけは伝わったらしい。少女は嫌悪感に眉をひそめる。“俺”の身体がこんなに感情豊かだなんて“俺”は思ってもみなかった。
次に、少女は俺をサイズの小さな足で俺を足蹴にした。もちろんそこに俺の肉体はなく、空振る裸足はカーペットを蹴り上げただけに過ぎなかった。どうにもならないもどかしさを抱えたまま、彼女はぺたぺたと素足を鳴らしながら外へと出て行く。俺は視線を動かし、その後ろ姿と小ぶりな尻を見送った。外はまだ雨が降っている。
俺を置いて“俺”が去って行く……というわけではなさそうだ。この雨で全身を洗うつもりらしい(彼女の思考が伝わってきた)。思えばもう数十日も身体など洗っていなかったのだ。自分では気付かなかったが、相当臭かっただろう。それが彼女にとっては嫌だったらしい。体調が悪いのに大丈夫か、とも思ったが、その不調を押しつけられているのは俺だけのようだ。なんだか癪だが、まあいい。
一人きりになった部屋で、俺はまた暖炉の火を見つめた。
俺は誰だ。何度繰り返したか分からない疑問を、再び自分に問いかける。
答えはない。答えてくれる人間はいない。
彼女もきっと答えない。
―――
ここには平穏なんてない。
―――
やがて俺は目を覚ました。
外の闇はうっすらと白んでいる。間もなく夜が明けようという頃だ。
暖炉はわずかな暖かさを残して火が消えていた。発熱も止まっていた。無意識のうちにそうしたのか、俺の身体は衣服を着ていた。衣服はまだ少し臭かったが、乾いては居るようだ(雨濡れついでに洗濯でもしておけばよかったのだろうが、そんな余裕はさっきまでの俺にはなかった)。
そして雨も止んでいた。石のように凝り固まった身体をほぐしながら外へ出る。慌てて駆け込んだ故に気付かなかったのだが、その廃村は湖の側にあったらしい。ひんやりとした空気にあてられながら少し歩くと、間もなく畔についた。俺は湖の水で顔を洗い、大きく伸びをする。
天を仰ぎ、異変に気付く。
雨雲が去った薄紫の空には、見慣れた二つの月がある。夜明け前、それは間もなく山の向こうへと隠れようとしていたが――そのうちの一方、大きな青い月が不自然な形になっていた。満月のままこれまで少しも欠けることのなかったのに、青い月だけ三日月になっていたのだ。雨雲に覆われ、見えなくなったのが数日前。たったそれだけの間に形が変わったのだろうか。
そしてその月は、小さな赤い月(こちらは満月のままだ)より数倍も……まるで月そのものが発光しているかのように明るくなっていた。この景色がどこか青みがかっているのは払暁のせいではない。あの青い月がそうさせているのだ。
―――
『警告』
―――
とはいえ、この世界がおかしなことになっているのは今に始まったことではない。何となく不穏な気配を感じつつも、俺は廃屋に戻り、置いてきた荷物を取りに向かう。
いちいち異変に意識を向けていては気がもたない。
―――
『■■■■■■ が発動されました。■■■■■■■ ただちに ■■■■■■』
―――
荷物整理と取捨選択をしたからか、背嚢も少し軽くなった。体調も回復して身も軽い。旅支度を調えてもう一度湖の畔へ行く。さて次はどこへ行こうか。水筒の水を詰め直し、ついでに煙草の缶詰(既に半分ほど吸ってしまった)から煙草を一本取り出して火を点ける。澄んだ空気に紫煙が混じり、俺の精神もいくばくか穏やかになる。この“命”もだいぶ長く過ごせてきた。今のところさしたる危機もなく、このまま慎重に行動すれば余計な手間も……――
――ふと、あたりを光が包む。
それは一足早い夜明けと見まごうばかりの青い光だった。湖の向こうにそびえる山並み。そのさらに向こうで、大きな――あまりも大きく眩い閃光が瞬いたのだ。
近くにあった森から、一斉に鳥が飛び立っていく。
―――
『間もなく ■■■■■■■■■■■■■■■』
―――
一体、今のは何だったのか。
あの光は――青い月と同じ色だった。
すると、先ほどまで不自然な三日月になっていた青い月が、一瞬で満月に戻っていた。そして異常な発光もまた元に戻っていた。
嫌な予感がした。
と同時に、左手甲の銀球が震えはじめた。骨にまで伝わる振動は激痛を伴い、俺はその場にうずくまる。押さえ込んだ右掌から赤い光が漏れ出している。
やがて振動は銀球だけではなく全身まで伝播する。
いや。
震えているのは俺の身体ではない。
湖の水が波打ちだす。森の木々がざわめきだす。
この景色一帯の空気が震えているのだ。
―――
平穏な朝なんてない。
お前だけじゃない。
―――
ここではどこかで、誰かが誰かになって。
いつも誰かを終わらせようとしている。
どこかで誰かがそれを繰り返す。
いつもみたいに。
いつものように。
ここに終わりがくるまで。
それを繰り返す。
―――
やがて衝撃波が襲ってきた。
木々がなぎ倒され、湖の水はまるで津波のように荒れ狂い、廃村の朽ちた家々が粉々になり――そして、俺の身体も吹き飛んだ。
『生命活■■■■■の停■■■■■■』
『PERK:Und■■■■■ ■■■■■■■■■■を■■』
―――
本日の探索結果:発見済住人、なし(■■■■■■■■■■)。
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