思いついたことをやればいい。

『day:27』


 虚ろな瞳がこちらを見つめてくる。土と糞が混じった腐敗臭が鼻をつく。爛れた喉元からは意味不明の唸り声。奴は俺を襲うことしか考えていない。対処しなければ死ぬのは自分だ。だから躊躇することなく手斧を振り下ろす。手応えと共に分厚い刃先が脳天へとめり込み、頭部は踏みつけられた果物のようにあっけなく潰れる。


 彼もかつてこの世界の住人だった。だが今は違う。そもそも彼は最初から人間だったのか。それすらも確かめる術はない。

 何にしても、これ以上は特に思うところはない。


 ――あれから“人型”と戦う機会が多くなった。こちらに気付きやすくなったのだ。

 何かを嗅ぎつけられたのか、それとも、奴らもまた仲間を求めているのか。


―――


『day:30』


「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ!」


 相変わらずの呼び込み台詞を繰り返しながら、ゴーレムはよたよたと前に進む。身体を一度作り直し、どうにか歩けるくらいの足の長さにしてみたのだ。果たして彼はきちんと歩いてくれた。やったぞ、と謎の感動がわく。もう少し造形がうまくなればペットくらいのものはできるかもしれない。だいぶやかましいペットではあるが。


「本日は野菜の特売日となっております!」


 そのうちに足がぐにゃりと曲がり、ゴーレムは転倒した。うつ伏せになってジタバタと足掻きながら間抜けなメロディを流しはじめる。相当に土を練ったはずだが、強度が足りなかったらしい。あるいは込める魔法が弱かったか。たぶんどちらもだろう。倒れたゴーレムを裏返し、額に書かれた一文字を削る。


 何も考えたくない時間は、黙々と手作業をするに限る。リハビリが効いたのか、神経をやられた左腕もようやく元通りに動かせるまで戻ってきた。


―――


『day:32』


 ……一生このままかもしれない。


 まあ、薄々そんな気はしていた。大きなショックを受けたというよりは、改めてその事実を突きつけられた感覚だ。彼の残したログだけが真実であるという保証もないのだが、ああして改めて言葉にされると、重い。


 あの“青い人間”は、一生ここから出られないことを聞き知り、足掻き、絶望し、狂い、そして死んだ。死ぬことによってようやく抜け出すことができた、とも言えるだろう。


 抜け出す方法は、赤と青の“マッチ”とやらを終わらせることだけだという。どちらかが負け(この表現で良いのかはわからない)れば抜け出すことができる。しかしこの広い世界で“敵”と遭遇する機会など限りなく少ない。

 俺は何度か死に、そのたびにどこか知らない場所で生き返ることを繰り返してきた。そんな俺でさえ、これまで同じ景色に二度と出逢ったことはない。この異世界はそれほどまでに広く、あてがないのだ。

 そして、この点においてまさに絶望的な事実がある。俺が“死なない”ということだ。だから死ぬことによって俺がこのマッチとやらを降りることもできないし、そもそもマッチそのものが終わらない。赤が負けることも絶対にない。


 無間地獄だ。この状況は、あらゆる意味で既に“詰んで”いる。


―――


『day:33』


 逆に、俺が青の人間を全員殺せば終わるのだろうか。この無間地獄に付き合わせてしまっている連中を一人残らず殺せばいい。そうすれば俺と……存在しているのか分からないが……俺と同じ赤い人間は、全員、無事に“終わり”を迎えることができる。


 空を見上げる。

 赤と青、大小二つの月は、今日も変わらずこちらを嘲笑うように見つめている。


 そういえば――俺が死んだ後の死体はどうなるのだろうか。大熊の一撃によって両断された俺。首を掻き切り失血死した俺。キノコで中毒死した俺。壁に叩きつけられ内臓をぶちまけた俺。などなど。いなかったことにされてその場から消えてしまうのか、あるいはその場に残り続けるのか。もし後者だとしたら、やがてこの世界のあちこちに俺の死体が転がることになるのかもしれない。それまでに何回死ねばいいのか。


―――


『day:34』


 一度死んでみるか、と思ったが、止めた。


 そんなことをしたところでどうにもならないからだ。

 方法が見つからなければ、何をしたって俺の旅は終わらない。


―――


『day:36』


 思考が散漫に、そして緩慢になっていることに気付く。あれこれと考えを巡らせるだけでも、気付けば数日が経過している。その間にも身体はいつものように物資漁りをし、襲い来る“人型”を屠り、あてどもない放浪を繰り返している。心と身体が、別々に動いている。


 ……――隙間がある、とあのログは語っていた。

 それがこの異世界から抜け出すもう一つの方法であると。


 住人達が行ったという“虚無の門”とやらとは違うらしい。分かる情報はそれだけ。このあたりの情報については住人達(が残した水晶玉)からもこれまで語られたことはなかったし、これからも手掛かりになることはないだろう。あまりにも断片的で、眉唾で、信憑性のない、真偽も不確かな方法。この広大な世界のどこにそれがあるのか、どうすれば見つかるのか。


 青い人間を全員殺すことと“隙間”を探すこと。


 どちらを取るにせよ、現状、達成するにはきわめて困難だ。


―――


『day:38』


 ふと思い出したことがある。


 数十日前、大熊と戦った日のこと。

 住人と思しき男が、おかしな丁字ポーズのまま異様な動きをしていた。彼は――というか“アレ”は――その姿勢のまま地面を滑るように動き、壁をすり抜けて消失した。その時は大熊の襲来で考える余裕もなかったが、あれは明らかに非現実的な光景だった。

 思えばあの宿場町の一帯はそもそもどこか奇妙だった。家具も何も無い部屋があり、物資が隅に固まっていた。熊にやられた後に休養で滞在していたからだいぶ探索はしたはずなのだが、しかしそういう異変にまで気を回す余裕もやはりなかったのだ。そしてそれきり、そういった場所を他に見かけることはなかった。


 おかしな場所を探せ。“隙間”とはそういう意味なのか。


 あの場所に戻るべきか。だが、あれから無意識に旅をしていたせいで、戻る道などほとんど覚えていない。


 もっと思い出せ。あの街の手掛かりは他に何かないか。


―――


「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ!」

「本日は野菜の特売日となっております!」


 ああ。

 思い出した。


 こいつのコアは、あの宿場町の雑貨店で拾ったものだ。


 もしこいつが“元の位置に戻る”ように仕込まれているのだとしたら。


―――


『day:40』


 ポーポーポポポー。ポーポポポー。


 ここで俺の成果を発表させてほしい。

 とりあえず徹夜で作り上げた彼のボディは、率直に言って格好のつくものではない。ギリギリ四肢があると言い訳できる程度に小さい腕、頭、胴体……そして対照的に、異常に大きく膨らんだ脚。ほぼ“歩く”ことのみを追求した特化型の形状である。これは果たしてヒトの形と言えるのか? と疑念に思うくらいの歪さではあったが、術者がそう認識していれば動くので、これはヒトの形なのだ、と思い込んで魔法をかけた。術者に追従、ではなく、元の位置に帰還せよ、と念じながら。


 やがて逞しい二本脚で彼は歩き出す。そして俺の仮説はどうも当たっているようだった。数時間もすると、彼は俺が辿ってきた道を戻りだしたのだ。命令通りに動いているらしい。

 同じ呼び込みメッセージとメロディを延々と繰り返しながら彼は歩く。疲れを知らず、迷いもなく。

 そう言えば、俺ははじめて自分の意思以外で歩いているのだな、とも気付く。誰か(何か)の後ろを歩く。それは新鮮で、どこかむず痒さを覚える行為に思えた。


 戻ったところでその“隙間”とやらが見つかる……そこまで楽観的には考えていない。だがこの異世界は何かがおかしい。何かおかしなところがある。それを明らかにすれば、他に分かることがあるかもしれない。


 まあ、どうせ時間はある。

 目標ができたというなら、今はただ、思いついたことをやればいい。


―――


 本日の探索結果:発見済住人、なし。

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