ポーポーポポポー。ポーポポポー。

『day:23』


 ポーポーポポポー。ポーポポポー。


 気付くとあのメロディを口ずさんでしまっている自分に嫌気がさす。

 この異世界に来てはじめて聞いた“ことば”がアレなら、はじめて聴いた音楽もこれしかないのだ。シンプルが故に妙に口ずさみやすいのも腹が立つ。長いメロディではないから、ほんの数小節だけが頭の中でヘビーローテーションしている。


 今日も今日とて旅を続け、集落に着き、いつものようにモノ漁りをする。その間ずっと脳内でメロディが流れ続けている。傍から見ればゴキゲンな略奪者ライフ……といったところだろうが、内心は気が狂いそうになっている。ついでに“傍から見”る人間が他にいるわけでもない。ふと口ずさんでいることに気付き、止める。


―――


『ここから離れろなんて言われても、どうするの? ここは私達の生まれ育った故郷なのよ。牛や家畜は?』

『三日後に領主様から話があるらしい。俺は村長と一緒に隣町まで行って、会館で話を聞く。心配するなよ』

『私、いやよ。一生平穏に暮らせるとかなんとか言っても……“約束の日”なんて信用するものですか』

『俺だって不安さ。でも……どうしてか抗えないんだ。俺達は行かなくちゃならない。この世界のみんながそう思ってるんだって』

『みんな? みんなって誰のこと?』


 廃屋の中で見つけた水晶玉に封じられた“記憶”を再生する。アタマが慣れてきたのか、最近はこれくらいの会話量なら吐き気を催さずに再生することができるようになった。

 相変わらず誰もが“約束の日”についてばかり話している。他に有益な情報はない。せいぜい隣町とやらがあるのが分かった程度だが、どの方角に行けばいいのかもわからない以上は迂闊に歩くのは止めたほうがいいだろう。


 革でできた背嚢の中に拾った物資を集め、安全な場所で立ち止まって整理をする。モノ漁りの経験も長くなってくると自然と要るもの要らないものの見分けがつく。ナイフや食器などの日用品は複数あっても仕方ないので、状態の良いものを見つけたらそれと取り替える。意外に役立つのは裁縫道具で、針や糸はコマメに探す。あとは……薬草や丸薬などは、はじめのうちは拾っていたものの効果がよく分からない(何に効くのか不明)ので使う機会もなく、今はほとんど拾っていない。

 メインは食料だ。あればあるだけ良いと言いたいが、何しろ缶詰は重く嵩張るので“適度な食生活を続ければ一週間くらいは持つ量”というラインを見定めて調整する。減ったらまた拾えばいい。つくづく都合の良いアイテムである。

 ちなみにこの缶詰であるが、表面から中身を見分けることはほぼ不可能だ。くたくたになった麺類、シロップ漬けのフルーツ、豆のスープ、魚の煮付……と、何が出てくるかわからない。これもひとつの楽しみといえる。俺のお気に入りはカニの身が入った缶詰で、二度と食いたくないと思ったものは脂身も含めた肉がみっちり詰まった缶詰。あれを食うなら犬の餌でも食ったほうがマシだ。

 あとは……本来なら旅に必要ないアイテムであるが、煙草の缶詰はついつい拾ってしまう……程度か。

 そういえば、今回はあれからいまだにまともな服が見つかっていない。廃屋の中に落ちていた粗末な布服を適当に縫い合わせ、これまたぼろ切れのようになったメイド服(の残骸)の上から適当に着込む。その上からジャケットを羽織る。

 食料はあるが衣服がない。衣服ばかり見つけるが食料がない。そんな感じでたいてい何かが足りない。それがこの異世界ひとり旅のお約束だ。


 ともあれ物資の補充と整理は済んだ。こうしてみると旅に必要なものというのは意外に多くない。何でもかんでも拾ってしまえば重量も増える。拾っただけ手軽に収納できる魔法なんてものも存在しない。ただでさえ“今の”この身体はうまく左腕が使えない。負担は少ないほうがいいだろう。どうせどこでもモノは落ちているのだから、と、最近は荷物を減らす方向でいる。

 最後に廃屋の暖炉を借り、火をおこして食事を取る(持ちきれなかった分の缶詰はその場で消費するのが常だ)。今日の缶詰は肉が入っていた。すわあのクソまずい缶詰か、と一瞬身構えたが、甘辛い味付けの美味なタイプだった。がつがつと食べきり、水を飲み、一息つく。


 ポーポーポポポー。ポーポポポー。


 煙草の缶詰から一本取り、外に出て食後の一服をつける。だいぶ日も暮れてきたし出発は明日にするか、と思った思考を巡らせていると――。


 ……廃屋の裏に、何かの気配があった。


 いつの間にか再び口ずさんでいたあの鼻歌が、一瞬で止まる。


―――


 気配、というのは正しい表現ではなかったかもしれない。

 強いて言うなら“命の残滓”……あるいは生命力の残り香。


 そこにあったのは一体の死体だった。

 それを見て、俺は鼻歌どころか息が止まるほど驚いた。


 廃屋の壁に寄りかかるようにして死んでいたそれは、まだ肉の残る、腐乱しかけのものだった。皮膚は剥がれかけ、眼球は落ち、眼窩からは虚空がのぞいている。死んでからどれくらい経っているのか、肉は半ば乾燥しかけていたものの、骨格は俺の身体よりもだいぶがっしりしている。おそらく男性。年齢は不明。衣服は……長いコートと茶色のズボン(この世界にしてはだいぶ“マトモ”な服を見つけたな、と思う)。


 それだけならまだ驚きはしなかっただろう。問題なのはそいつの髪だ。爛れ剥がれた頭部にわずかに残っていた髪の色は――不自然なまでに青かった。


 まさか、と思い、俺の視線は死体の左手へと移動する。

 やはりあった。へばりついた左腕の腐肉に、あの銀色の球体がついている。

 つまり俺と同じ……そして赤くないほうの人間……の死体だ。


 煙草を踏み消し、用心深くそれに近寄る。

 既に死んでいる。だが例え死んでいたとしても油断はできない。


 こいつは、ただの住人ではないのだ。


―――


 この世界には“赤”と“青”がいる。

 長く旅を続け考える中、俺はそんな仮説を立てていた。


 これ見よがしに空に浮かぶ大小二つの月。その色と同じ髪色をもつ人間がいる。俺が“赤”だ。そして対になる“青”もいる。


 いるのかどうかわからない他の住人と違い、彼らはたぶんまだこの世界のどこかにいる。


 そして青はおそらく赤にとって敵対的な存在だ。でなければ赤である俺を無言で後ろから刺殺したり、謎の爆発で周囲をまるごと吹き飛ばすことなどしないだろう。俺自身はこの世界で生存者や住人を探すのを一応の目的としているが、向こうはそうではなかった。何の恨みや使命があるのか、青い人間は赤い人間を無条件で殺そうとするし、俺はそれで殺された。この仮説は身を以て実証されている。


 もしこの世界に赤や青を含めて多くの人がいたのなら、もっと早くに気付いたかもしれない。しかし実際はこんな有様だ。俺はこの旅の中で一人の住人に遭うこともなく過ごしているし、味方であるはずの“赤”にさえ一度も遭遇していない。

 そもそもどれだけ広いかわからない世界、ましてやこんな状況で両者が巡り会うことなど普通に考えれば相当に低いだろう(そんな状況で少なくとも“青”に二回は殺された経験があるのは、果たして幸なのか不幸なのか)。


 俺と同じ“赤や青の髪を持ち、左手に銀球を埋め込まれた人間”は何人いるのか。

 実のところ、赤も青もほとんど残っていないのではないか。

 俺の仮説はただの空想に過ぎないのではないか。


 そんな考えを抱きはじめた矢先に見つけたのが、これだ。


―――


 視線を死体の左腕に定めたまま、ポケットからまた一本の煙草を取り出す。

 死体を見下ろしながらゆっくりと吸う。


 そして煙草を踏み消す。


 持ち主はくたばっているが、この銀球はおそらくまだ生きている。さっき感じた残り香のような気配はそこから出たものだ。さてどうするか。自分の銀球にアクセスするだけでも相当に辛いのに、ましてや他人の銀球になど迂闊に触ったらどうなるのか。おそらく胃がひっくり返り、さっき食った肉はまるごと吐き出すハメになるだろう。それだけで済むのかどうか。

 あるいは触らないというのも一つの選択肢かもしれない。


 いいからやれ、という声は聞こえてこない。

 このままでいいのなら、という声は聞こえてくる。


 何で俺は自分自身に煽られているのか。

 いいわけがない。

 これを見逃せば、次にいつ同じような状況になるのかわからないのだ。


 ああ、わかったよ、畜生。


 やればいいんだろ。


―――


 覚悟を決め、銀球に触れる。


―――


『エラー/エラー/エラー/エラー/エラー/エラー/エラー/エラー/エラー』


 予想通り、この銀球はまだ動いていた。

 そしてはじめに来たのは拒絶だった。

 脳ミソを手づかみで揺さぶられる感覚があり、俺の視界が白黒に明滅する。


 不快感を堪え、もう一度触れる。


『■■■■』


『■■■■■■■■■■にて生命活動を停止』


『強制開示を試行します』


『筋■:■』

『感性:■』

『■体:■』』

『■■:■』

『知■:■』

『敏■:■』

『■:■』


『強制開示に成功』


『しばらくお待ちください』


 脳ミソどころか全身を食い破られるような感覚。

 それらが銀球に触れた右腕を通して伝わってくる。


 まだだ、まだ手を離すな。


―――


『読み込み終了』

『ログを再生します』


―――


『……だよ』

『…グアウト…きねえ、って何な…だよ』


『もうここは“終わり”なんだろ? それで俺達だけがログアウトできねえってのは何だ。運営は何をしてやがる』

『じゃあ何だ、俺達はここに取り残されたのか。NPCだけがとっとと行っちまったのに俺達が出られないってのはどういうことだ?』


『マッチが終われば出られるのか。それが正解だって保証は?』


『冗談じゃねえ、こんなところで一生閉じ込められてたまるか』

『どうせ敵はもう少ねえんだ。ぶっ殺せ。そうすりゃマッチは終わる』


『“キルストリーク”はどんだけ残ってる? 他に使える手段は?』


『あと二人。あと二人殺せば俺だって』


『強制終了すんなよ。こんなイカれた状況でそんなことしたら、マジで一生このままかもしれねえぞ』


『■■■■■■■■■』


『隙間? あの門とやらとは違うらしい』


『この世界のどこかにあるんだと。そこに潜り込むのがいいと聞く。こんなクソマッチをまともに終わらせるのとどっちがマシか?』


『なんでもいい。こんなところでくたばってたまるか』


『■■■■■■■■■■■■■■■■■■』


『クソ! クソ! クソが!!』


『■■■■■■■■■■』


『隙間? 境域? なんでもいい。すきまをさがせ』

『おれたちもにげるんだ。ここからにげるにげるんだ』


『■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■』


『すきまみつけた?』


『もどれる』


『エラー/エラー』


『■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■』


『あー』


『しにたくねえ』


―――


 銀球から手を離す。

 全身を走る異様な感覚に襲われ、俺はその場で卒倒した。


 不快感とも苦痛とも違う、これまでにない感覚。

 意識が遠のいていく。


 無意識に、俺の口はまたあのメロディを口ずさみはじめる。


―――


 ポーポーポポポー。ポーポポポー。


―――


 本日の探索結果:発見済住人、なし(彼は少なくとも既に死んでいるため)

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