戻ってくるべきではなかった?(前)


『day:47』


 漠然と十日あまりをかけて歩いた道のりを数日で戻る。

 戻るべき道が明らかになっていれば、行くよりも戻るほうが早い。目的さえ決まっていれば、そうして一直線に歩くことが出来たのならば、意外とこの世界は狭いのかもしれないとさえ思えてくる。

 ついでに、ここまで長く生きたのも久しぶりだ。傷付いた身体もすっかり元通りになった。あの大熊との戦いで重傷を負った際は諦めて“リスポーン”しようとも考えたが、生きていれば得るものはあるのだとも分かった。既に何度も死んでいる俺が言うのも何だが。


―――


 ポーポポポー。ポー。


 宿場町に到着したあたりでゴーレムの身体が砕けた。足から砕けてその場に崩れ落ちた。途中で粘土を継ぎ接ぎして維持していたのが、とうとう持たなくなったのだ。彼にしてみれば“帰宅”する一歩手前での無念のリタイア、ということになるのだろうが――彼は俺が期待する役目を立派に果たしてくれた。

 固く乾いた身体をナイフの柄で叩き崩し、コアを取り出す。偶然とはいえ彼はこの場所に戻る標となった。そう考えると愛着も沸いてくる。後でまた新しい身体でも作ってやろうか。


 ……さて。ともかく無事に戻ってこれたのだから、捜索をしなければならない。

 この世界に来てからずっと、道を引き返すこともなければ、一度去った町に戻ってきたこともなかった。そうしてはじめて体験する二度目の来訪。それは俺に以前とは違う視点を与えてくれる。

 どこかにある“隙間”を探せ……あの青い人間はそう呟いていた。本当にあるのかも分からないが、この町のあちこちに覚えた違和感は何かのきっかけになるはずだ。


 ずず。


 まずはあの奇妙なポーズで横滑りしていた住人を見つけた場所に戻る(あるいはまたあの現象に出逢えるのではと期待もしたが、さすがにそれはなかった)。無人の大通りを進み、辿り着く。ここで出逢って、この向きに移動し、そしてあの壁に向かっていった……記憶を頼りに、景色を指先でなぞり、トレースするように歩く。一見なんの特徴もない壁。あの丁字ポーズの住人は、ここをするりと通り抜けて消失していった。


 俺もまた、それの真似をして真っ正面から向かってみる。

 ごつん、と額を軽くぶつけた。まあ、そりゃそうか。


―――


 続けて、もう一つの心当たりを訪ねてみる。俺が大熊と戦ったあの廃屋だ。家具が一切なく、不自然なまでにがらんどうの部屋があった家。


 果たして大熊の死体は既になかった。獣に貪られたわけでもなく、血の跡もなく、まるでそこには元から何も存在していなかったかのように――。

 さらに、崩れていた壁や窓も元通りになっていた。まるでそこでの争いなど元から無かったかのように――。

 すべてが元通りになっている。


 時が過ぎれば何もかも朽ちゆく。それが自然の摂理だ。だから一度壊れたものは勝手に元に戻らないし、死んだものが骨すら残さず消えることなどありえない。もし元通りに“復元”されたというなら……誰がそうした? いつの間にそうなった? 俺がこの町を去った後、いつからそれが行われた?

 そもそも今まで道を引き返したことなど無かった。もしかすると、この街に限った話ではなく、世界が“そういう仕組みになっている”のではないか。もしそうだとしたら、ここ数日をかけて戻る道すがらでも気付けていたかもしれない。だがあの時の俺はそれを気にする余裕などなかったのだ。

 続けて部屋を見渡す。雑に固められていた物資の数々が目にとまった。ああ、これも前と同じだ。相変わらず不自然に圧縮されたように一カ所に集まっていたが、それらもまた“復元”されていた。

 いや――違う。はじめて訪れた時に見たものを思い出す。缶詰。フリルのついた下着。石。割れたカップ。竹箒。鳥のササミ。革製のジャケット。人形。そして銃の弾。しかし俺の目の前にある塊に同じものは一つとしてない。代わりにそこにあったのは、灰色のキューブだ。掌大くらいのキューブが、大量にまとめられている。おそるおそるそれに手を触れてみると、まるで固着していた何かが外れたように大量のキューブが弾けて四散した。


 足元に転がってきたキューブのひとつを手に取ってみる。

 それはゴムとも肌ともつかない、しっとりした不気味な手触りをしていた。


 一体、これは何なのか。

 例えようのない感覚に目眩がしてくる。

 俺はキューブを投げ捨て、家を後にする。


 一体、この町に何が起きているのか。

 かつて体力快復のためにしばらく留まったおかげで、ここから出る時の景色はなんとなく覚えている。だが今の状況はどうか。落ちていた物資も、俺が食った缶詰の残骸も、そして大熊が暴れ回った痕跡も全てが消えていた。町中が、まるで何もなかったかのように復元されている。


 いや、復元されているかのように見えて、実際はそうではなかった。

 一言で言えば“歪んで”いる。

 歪み。そうとしか形容できない異常性があちこちに出てきている。


 例えばこんなものがあった。数十日前、ここには家が二件並んでいた。だが大熊が暴れ回って両方の壁が崩れた。それが今はどうなっているか。癒着しているのである。不自然に復元された結果なのか、両方の家が繋がり、壁が奇妙な模様を描いて生成されている。まともな人間が“建て直した”のならこうはならない。それはまさしく癒着としか言い様がない。


 ずず。ずずず。


 落ちている物資も探してみるが、ほとんどが消え失せていた。あるのはあの謎のキューブくらいで、缶詰や日用品など、およそ役に立ちそうな物資がほぼ一掃されている。


 捜索していると、だんだん気分が不安定になってくる。


―――


 ずずず。ずずず。


 隙間は本当にここにあるのかもしれない。単なる希望がやがて確信に変わりだしてきた頃……表の通り付近から何かの音が聞こえた。

 足音にしてはいささか奇妙な、まるで何かを引きずるような音。俺は捜索を中断し、物音を立てぬよう身をかがめる。住人か、あるいはまた大熊が現れたか。いずれにせよろくでもない存在なのは確かだ。

 ずず、ずずず、ずずず、ずずず、と、音は次第に大きくなってくる。こちらに近づいてくるようだ。俺は壁に背を付け、そろりそろりと一歩ずつ歩き、窓際から表を窺う。


 ――声が出そうになった。


 それは大熊ではなかった。

 奇妙な姿勢をした住人(のような物体)でもなかった。


 あえて言うなら“人型”だ。だがそれはヒトの形をしていなかった。長く旅をしてきたが、あんなものはこれまで見たことがない。だから驚いた。

 人肌をした肉塊に四肢を適当に繋げたような、例えようのないモノ。下半身には足と足の間にもう一本の余計な足があり、それを引きずってよたよたと歩いている。上半身には、左腕の脇の下から子供くらいのサイズの足が無作為に生えている。首から上に頭はなく、Vの字型に両腕が生えており、元々そこにあったはずの頭部は腹部に移動している、モノ。……モノ、としか言いようがない。


 窓から首を引っ込める。もっと確認したいところだが、間違いなく友好的な存在などではないだろう。もちろん言葉が通じるとも思えない。ここまで来てまたトラブルに遭うのはゴメンだ。俺は“それ”に気付かれぬよう身体を屈め、視線を遮るよう壁づたいに這っていく。忘れかけていた緊張感が一気に増し、俺の心臓は早鐘を打ちはじめる。普通の“人型”なら返り討ちにできる。しかし正体不明の敵に無策で挑むほど俺はバカではない。それくらいの危機意識は、この旅で嫌というほど植え付けられている。

 やはりこの場所は何かがおかしい。歪んでいるのはモノや建物だけではない。あの奇怪なバケモノは……俺が先ほど見た二件の家のように、まるで二人分の人体が癒着したと思しき見た目だった。


 息を潜めながら裏路地に出る。


 ――確かに“隙間”に関わる手掛かりはあるのかもしれない。

 ――ここに留まるべきか、あるいは逃げるべきか。


 しかしこの場所の異変は俺にその判断をする機会すら与えてくれない。


 いつの間にか。いつの間にか奴らはそこにいた。

 何も無い場所から突然出現したかのように。


 気付けば、バケモノ達はそこら中に溢れていた。


―――


 ゴーレムを作る際に必要なのは“それがヒトの形をしている”と思い込むことだ。どんなに不細工な見た目であっても、術者がそう認識していれば動く。人間のように四肢を動かすことができる。


 ……。


 だが……奴らはどいつもこいつもヒトの形を為していなかった。ほぼ退化した上半身と引き換えに大量の足が生えた物体。逆立ちしたような見た目で、大きな手を器用に動かして這いずる物体。大小の腕が無作為に生えただけの、転がり回る物体。余った人体のパーツを玩具のようにくっつけたような奇怪なバケモノ達が、そこら中にいる。

 そして、それらのバケモノはすべて俺を認識していた。姿を隠して逃げるどころではない(この旅の途中で、なぜか“人型”にやたらバレやすくなっていたのも決して無関係ではないだろう)。


 まるで、俺が手斧で叩き切ってきた四肢が逆襲してきたかのように。

 まるで、俺がまだ“唯一の”マトモな人間であることを恨めしく思うかのように。


―――


 裏路地を縫うように逃げる俺の前に、一体のバケモノが立ち塞がる。み、み、み、と子猫の鳴くような声を上げながら迫ってくる物体(一見ヒトの形をしているように見えるが、四肢がすべて足にすげ変わっている)に対し、俺は即座に反撃する。くびれて細くなっている胴体を真横から断つように手斧を振り払う。しかし奴の身体は両断されることなく、なぜか真上に向けて勢いよく吹き飛んだ。異常な力で数十メートルも垂直に飛び、やがて落下し身体中の骨を折って死んだ。その死因は斬撃ではなく落下死だった。

 あまりに不可解な一瞬の出来事。しかしとにかく奴は死んだ。事態を飲み込み、俺はその場を後にする。そもそもこの場所そのものが異常なのだ。この状況がまともでないならこちらもまともな神経ではいられない。だから今はそれで良しとする。


 何が起きている。一体何が起きている。

 何度したか分からない問いを繰り返す。


 ここに――戻ってくるべきではなかった?


―――


 だが俺は、この歪んだ町から逃げることはできなかった。

 この歪んだ町は、俺を逃がしてはくれなかった。


 何度目かの交戦の最中、人間の上半身だけが双対になったようなバケモノに襲われ、俺はそのうちの片方に脇腹を噛まれた。元通りに治ったはずの左腕が呪いのようにジワリと痺れ、その瞬間を狙われたのだ。


 噛まれた肌は不定期に出血しながら、やがて青紫に変色しはじめていく――。

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