有り余るほどの時間。
『day:11』
海が見てみたい。
地図などない。どこを目指せば海などあるのかと思ったが、途中で見つけた川に沿って下降するようにひたすら歩いてみる。はじめは細い小川だった流れも、やがていくつかの支流が混じり、大河……とまでは呼べなくとも立派な太さになってきた。
川の傍には村落も多い。人の営みには水が必要だから当然といえば当然。だが、こうして実際に歩かなければ分からないこともある。おかげで物資の調達は順調だった。いつもは廃屋の一角でばかり休息しているが、たまには野営もいいだろう、と、今夜は川のほとりで焚き火をおこす。流木と石、革紐を利用して簡易的な三脚を作り、缶詰を吊して温めて食う。中身は豆のスープ。決して美味とはいえないが、よく歩いて疲れた身体にはこの薄い塩分もよく沁みた。最後の一粒までしっかり食べ尽くし、空き缶を川の水でよく濯ぐ。そのままたっぷりの水をすくい、再び火にかけて煮沸し、そして白湯を飲む。内臓の芯から温まる感覚がある。
焚き火の薪が爆ぜる音と川のせせらぎを聞きながら眠る。
―――
『day:15』
かつて砂浜のそばでリスポーンしたことがある。その時は景色など見ている余裕はなく、渇きに耐えかねてすくった海水の塩辛さには殺意さえ覚えたものだ。だが、あの時に見た一面の砂浜と砂丘はどこまでも遮るものがなく広大だった。飲み水や衣服など旅の支度さえ整っていれば、きっと美しい風景に見えるはずだ。
そんな期待を持ちながら、俺はようやく海へと辿り着いた。
しかし海は荒れていた。美しい砂浜はなく、岩肌に波しぶきの叩きつける音だけが響く殺伐とした風景だった。この異世界の地理がどうなっているかなど知りようがないが、また別の海岸ということなのだろう。地形が変われば風景も変わり、海のかたちも変わる。十数日間におよぶ旅の果てに到達した海は、およそ想像していたものとはかけ離れていた。
それでもやはり、潮の匂いは新鮮だ。吹き付ける海風にあおられぬよう注意しながら、せり出した断崖の際に腰かける。手作りの手巻き煙草(乾燥させた薬草を細かく砕き、紙で巻いたモノ)を取り出し、指先から灯る小さな炎で火を付ける。潮の混じった煙の匂いが鼻をつく。
いい加減、この身体で喫煙なんてするな……と俺の中の“彼女”が嫌な顔をした(ように思えた)。そういえば、最近はあまり美味いとも思えなくなってきた。だが分かっていてもまだ止められない。まあ、これくらいは勘弁してほしい。
白く泡立つ青鈍色の海は視界一面どこまでも広がっている。水平線の向こうに島や地形は見えない。例えばどこかに船があったとして、俺はそれに乗ってこの大海に漕ぎ出していくことができる。本当に世界を隅々まで見たいというなら、そんなことだってやれる。
とはいえ、それは“現実的”ではない。実のところ、どれだけ自由だといっても出来ることには限りがある。現実的ではない世界の中で、現実的な選択をしなければならない。
有り余るほどの時間。
どこまで行っても自由。
けれど、一口に自由と行っても、実際は違う。今さらそんなことを考える。
やれること、やれないこと。
やろうと思えばやれること。やろうと思ってもやれないこと。
だから、旅の目的を探すというのは、けっこう難しいのだ。
その後、一日かけて岸壁沿いを歩いて、ようやく砂浜らしいところを見つける。とは言っても、流木や海藻まみれの鈍色の浜である。こんな場所を裸足で歩こうものなら、足の裏だってズタズタになってしまうだろう。爽やかな景色とはほど遠い。
それでも気分はまだ高揚していた。どんなものであれ海が見えるというのはけっこう楽しい。あるいは“彼女”がそう思ったのか、気分を落ち着ければ落ち着けるほど、そのあたりの境が曖昧になってくる。俺は海なんか見慣れていたはずなのに。
波打ち際に来て靴を脱ぎ、ワンピースの裾をまくり、素足を海に晒して戯れる。
ひやりと冷たい海水がくるぶしまで寄せ、砂を洗う。
途中で波に足をとられ、慌てて左手で身体を支えようとする。
だが消失した左手は空を切り、俺は転倒して全身を海に浸すはめになる。
……潮まみれになった衣服を乾かすのは、けっこう難儀なものだった。
―――
『day:16』
まだ服が潮臭い。
川岸まで戻り、真水でもう一度、今度はしっかりと洗濯をする。
全裸になって服を乾かしている間、俺はこの数日間で考えていた“クラフト”を実行にうつすことにした。
用意するのは川岸と砂浜で拾ってきたいくつかの流木。なるべく滑らかで形のよいものを選ぶ。右手と両脚を使いつつ、鉈と石器で細かい“節”を作る。表面はあとで磨くつもりだから大雑把で構わない。それらをいくつか作り、一つの形になるよう地面に並べる。同じ節の数に五本が揃うように位置を調整する。
とりあえずこんなものだろう。消失した左手の手首を、沿うように置く。
そして並べた節の全体にまとめて意識を集中させる。やれるか。流木で作った節――手の形に並べたそれらが、やがてかたかたと動き出して左手首に付く。
……そう。これは左手だ。ゴーレムを動かせる程度の“念動力”が使えるなら、その魔法を常時かけることで簡易的な“義手”が出来ないかと踏んだわけだ。
果たしてその試みは一応の成功を見た。木製の骨格標本のような義手が、俺自身の念動力によって形を保っている。元あったものを元あったように意識すれば良いだけだから、特に意識し続けなくても問題なさそうだ。とはいえ、このままでは隙間だらけなので、全体に緩く布を巻く。スケルトンかミイラか、そんな見た目である。
後はどれだけ思い通りに動かせるか。一、二、三、と指を一本ずつ動かし、布を巻き直しつつ可動部を確かめる。まだ思い通りに動かすには難があるか。続けて手首から先をぐるぐると回転させる。人体の構造を無視してまで動かせるのは少々奇妙な感覚であったが――。
突如、回転していた手首がぴたりと止まる。
義手が――俺に向かって、親指を下にしてみせた。
俺が意識することもなく、ひとりでに、挑発的なサインを作ってみせたのだ。
念動力の誤作動か。いや、違う。
どうやら“彼女”の意思は、この左手くらいなら干渉できるらしい。理解したみたいだな、と言わんばかりに再び手首がぐるぐると回りはじめ、また俺の思い通りに動くようになった。
舐めやがって、と俺は笑った。
―――
『day:20』
海を見た後は山に登りたくなった。
だからまた旅を続けることにする。
自由に動けるからといって、思いつくことなんか限られている。もっと他にやることだってあるかもしれない。何しろ私は死ぬこともないし、老いることもない。やろうと思えばなんだって出来る。でも、そこに意味があるのかは分からない。この世界に私はひとりぼっちだ。家族も、みんなも、他の人達も、きっともうここにはいない。海を見ただとか、いい景色があっただとか、そういう思い出話をする相手もいない。
それでも、まだ消えたくない。
その意思は俺も一緒だった。どうせ目的も終着点もないなら、このまま生き続けている意味などない……本当にそうなのか。結論を出すのはまだ早い。いつになったら出せるのか。まあいい。文字通り、どうせ時間は余るほどある。
出発前、俺はジャケットのポケットから手巻き煙草を取り出す。ようやく思い通りに動かせるようになった義手で、いつものように火を付けようとする。
義手が勝手に動き、煙草を握り潰した。
それを見て、俺はまた笑った。
―――
本日の探索結果:発見済住人、なし。
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