旅は今日も順調。

『day:31』


 肩口を目がけて振り下ろされる粗雑な手斧。その一撃を直剣の平で受け流し、軌道を逸らす。緑の肌をした小鬼は勢いあまって体勢を崩す。俺は隙を見逃さず、つんのめる方向に合わせて逆袈裟に斬り上げる。か細い筋肉と骨でできた小鬼の胴体はいとも簡単に両断され、泣き別れになった半身が宙に飛び上がった。これで三体目。


 仲間を失った残り二体の小鬼は、それぞれまったく違う行動を取った。

 一体は、憤怒の表情を浮かべながらキイキイと奇声を上げながらこちらに向かってきた。この小鬼どもに部族的集団行動意識があるのはわかっている(なぜなら俺自身がその身をもって知ったからだ)が、仲間を失った悲しみや怒りという感情もあるのだろうか。そんなことを考えながら、俺は小鬼を蹴り飛ばし、起き上がれないように胴体を踏みつける。そして直剣の柄を逆手に持ちかえ、頭部頸椎に向かって刃を垂直に突き立てる。首を貫かれた小鬼は汚泥のような体液をどろりと流し、間もなく絶命した。これで四体目。

 そしてもう一体は、背を向けて一目散に逃げ出していた。己の命を第一とするのが本能なら、こちらのほうが行動としては正しいだろう。とはいえ巣に戻られて逆襲されるのも面倒である。俺は足元に落ちていた粗雑な手斧を拾い、投擲する。不安定な重心の手斧だったが、それは吸い込まれるように小鬼の頭頂部へと命中した。我ながら見事なコントロールだ。これで五体目。ラスト。


 戦闘終了。


―――


 例の洞窟での戦闘の時に確信したが、どうやらこの身体はどんな武器でもそれなりに上手く使えるらしい。

 記憶を無くしているとはいえ、俺は短剣や棍棒、剣など一度も振った経験などなかったはずだ。にもかかわらず、ひとたび武器を持てばまるで訓練されたような動きができる。戦い然り、狩り然り、そうしたい、こう振りたい、と思うだけで身体が勝手に動く。相手に攻撃された時もそうだ。戦い慣れていなければ恐怖で身が竦んでしまったりもするだろう。だがそうはならない。回避したり受け流したり、そういった判断も冷静にできる。それらは俺自身をいっそう奇妙な感覚にさせる。“これは自分の身体ではない”という、どこか俯瞰視されたような、身体と心と乖離する思いが強くなっていく。

 ともあれ、如何なる理由にせよこの戦闘技能は便利である。こんな感じで動物や怪物に襲われることも一度や二度ではない。対処ができるというなら、それに越したことはないだろう。


 今回の“いのち”が始まってから数十日。あのデカい熊や小鬼達のボスなど脅威存在と出くわしたら話は別かもしれないが、今のところは獣や怪物を退けつつ平穏無事に生き延びられている。何より――この旅の中で、服やら靴やら食料(あの缶詰を含む)やら飲料容器やら武器やら、拾えたモノは多くある。暑さ寒さも調整できるようになったし、飢餓に悩まされて得体の知れないキノコに手を出すこともない。万全の体調で旅ができるし、野営でぐっすり眠ることもできる。今は快適そのものだ。


 ――すると不思議なもので、俺の中にひとつの感情が生まれる。それは“なるべく死にたくない”である。

 何度も繰り返しているが、俺は死なない。正確に言えば、死んだところでこの存在が終わるわけではない、という意味だ。実際には何度も雑に死んでいる。そしてそのたびにまたどこかに生まれ直す(以後、脳内に響く謎の言語に従い、これを“リスポーン”と呼ぶことにする)。それが今の俺だ。だが一度リスポーンをすれば、これまで持っていたこれらのモノは当然すべて無くなる(以後、これを“ロスト”と呼ぶことにする)。だからモノを持てば持つほどロストを避けたくなる。死なないのに死にたくない。まあ、考えてみればおかしな話ではある。


 これに対する一番の対策手段は“どこへも行かないこと”だ。数日前までそうしていたように、どこか廃屋にでも籠もって毎日を過ごしていればいい。あまりある時間と暇を受け入れて過ごせるというなら。

 俺はその暇を受け入れることができなかった。俺というこの魂は今も考え、常に“何かないか?”という漠然とした好奇心をもっている。だからこうして旅をしている。リスクとリターン、生と死を、粗末な天秤にかけながら。


―――


 訪れた村は当然のごとく無人だったが、漁るものはたくさんあった。

 無茶なことをしない、自衛手段を持つ、ということを守りさえすれば――この世界での旅はそれなりに順調だ。なにしろここには人がいた痕跡があり、残されたモノがある。主な物品の獲得手段はこうした廃屋捜索だ。もちろん何もない場合もあるが、大抵は何かが残されている。それは保存のきく食料であったり、衣服であったり、道具であったりする。

 そうやって長いこと旅をしていると、もはや背嚢に収めてでも持ちきれないくらいの量になったりする。すべてを拾いきることなどできない。だから、より良い衣服に着替えたり、なるべく軽く頑丈そうな道具に変えたりと、持ち物の交換、更新をしていく。たくさん持てば持つほど旅は安泰になるが、それだけ歩みは遅くなる。何しろ俺には馬車や自動車(自動車とは何だ?)などなく、自分の足で歩くしかないのだから。


 生活が順調になると余裕が生まれる。余裕が生まれれば色々なことを考える。

 そうして俺は、この状況の違和感に対してもう一度考察をする。


 何故、この世界にはこんなにモノが溢れているのか。

 例の水晶球から読み取る“住人達”の会話から理由の一つは読み取れる。家財道具や備蓄などを整理しないまま逃げ出すことになり“虚空の門”とやらに向かいはじめた住人達。慌てて逃げ出したのならそれらが残っていてもおかしくはないだろう。問題はその中身だ。都合が良すぎる。これに尽きる。経年劣化した衣服や家財道具ならまだ分かる。だが食料においてそれは顕著だ。住人達が逃げ出してどれほど時間が経ったのかは分からないが、少なくとも平均的な気温で死体が白骨化するくらいの日数は経過している。だから果物や野菜などの生鮮食品、作りかけの料理といった類のものは腐敗するか乾燥するかしていたが……保存の利くものは残っていた。それも大量に。

 つまり“缶詰”だ。

 この便利な保存食品があちこちに落ちていること。その違和感がどうしても拭いきれない。缶詰の中身は色々ある。俺がこれまで口にしたのは、豆のスープ、魚の水煮、果物のシロップ漬など。世界の“文化レベル”からすれば、それはあまりに贅沢すぎる。もちろん、俺自身がこれまで生きていくにあたっても缶詰は重要な役目を果たしていた。これが無ければもっと飢餓や危険に晒されていただろうし、こんな快適な旅ができるまでにはもっと時間が掛かったはずだ。ここの住人達だって、もし逃げ出すとしたらこの缶詰を大量に持っていくだろう。けれど、そうされた形跡はない。


 これに対する仮説はできている。

 というより、それは確信に近いし、過去にも言及した。


 ――缶詰。謎の水晶球。無造作に放置された武器道具(どれもほぼ新品に近い)。

 それらは全て、この世界が終わった後に“配置”されている。

 まるで、俺のような放浪者が世界を旅するのにうってつけ、と言わんばかりに。


 誰が何のためにそうしているのか。


 好奇心の裏返しは違和感だ。


 そして、それらは常に俺の中にある。


―――


『day:32』


 疑念の深まる中、捜索の途中で面白い缶詰を見つけた。

 中身は食い物ではなく、紙に巻かれた乾燥葉がみっちりと詰まっていた。


 それが何なのかはすぐに気付いた。どうして気付いたかはわからない。あえて言うなら己の中の記憶がそう囁いたのだ。故に、俺はその“紙に巻かれた乾燥葉”の扱い方も理解している。

 一本取り出す。口に咥えて火を付ける。ゆっくりと吸い、煙を吐き出す。刺激性のある煙が腔内を襲い、噎せかける。


 ――ああ。知っている。この味を俺は知っている。これは煙草だ。煙草、というものを認識した瞬間、己の中の記憶がうぞうぞと意思をもって動きはじめた。

 そうだ。昔、よく吸っていた。仕事の帰りに。どうしようもなく気分が滅入った時に。酒に酔い、正気を保てなくなった時に――。


 廃屋の一角で背嚢を下ろす。壁に背を持たれ、もう一度煙を吸い込む。そして吐き出す。血管が収縮する感覚。ふらふらと軽く目眩のような心地がして、視界がだんだんとぼやけていく。煙をひとつ吐くたびに、今まで感じたことのなかった記憶が、滲み出すようにやってくる。俺は俺ではない。この世界にいる、赤髪の少女の見た目をした俺は俺ではない。本当の俺は俺はどうした。ここはどこで、どうして俺はここにいる? その答えを掴めるのではないかと、もう一口、一口と吸う。思い出せるようで思い出せない。

 そうだ。昔、よく吸っていた。はじめて吸ったのはいつだったか。あの頃は俺にも仲間がいた。嫌なこともあったが、誰かと話せるだけでも少し心が晴れた。その時にもこうしてこうしてこうして――。


 ……あっという間に俺は一本を吸いきった。

 吸い口の近くで火が消え、あたりには鼻をつくような匂いだけが残る。先ほどよりも強い目眩があり、身体を起こすのも面倒になった。

 そのまま俺は横になる。己の手を見る。小さな少女の手。指に挟んだ吸い殻。ふわふわと意識が飛びかける感覚。


 ふと夢を見そうになった。何かを思い出しそうになる夢だった。

 そしてそれらは形になる前に掻き消えた。まるで煙のように。

 あるいはまだ掴もうとすれば掴めるものだったのかもしれない。

 けれど、俺はそこに手を伸ばすのを止めた。


 己の内側に“それ”に相対する好奇心までは――たぶん、今の俺にはまだない。


―――


『day:33』


 また小鬼どもが現れた。数日前に全滅させて安心していたところにまた来た。おそらく戻ってこない群れを怪しんで増援を寄越したのだろう。

 モノがあるところに目を付けるのは俺だけではない。小鬼のような奴らも来るし、あるいは他の放浪者(もしもいるとするならば――と言いたいところだが、実際に殺されているのだ。どこかにいるのは確実だろう)も来る。つまり、長居をしすぎるのもリスクがある、ということだ。

 その数は前回と同じ五体。既に村に入り込んでいる。まだこちらに気付いてはいないが、このまま逃げ出すことも難しい。ならば、また返り討ちにするしかない。

 物陰に隠れ、重量のある背嚢を下ろして直剣を構える。戦闘慣れしているのは、ある意味では俺であって俺ではない。この肉体……つまり“赤髪の少女”にまかせる。

 頼むぞ、と俺は自分自身に託す。

 俺はそれに応えない。けれど、いつものように身体は動く。


 後ろを見さえしなければ、この旅は今日も順調だ。


―――


 本日の探索結果:発見済住人、なし(特記事項もなし)。

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