どれだけ無為に時を過ごせるとしても。

『day:24』


 頭の中で日数経過のログが流れていく。


 草むらの上に寝転がる。夜空には大きな青い月と小さな赤い月。二つの光は、今日も夜の世界を不気味な明かりで照らしている。

 自分の髪を持ち上げて赤い月に透かす。この髪と月はまったく同じ色だ。ややオレンジがかった明るい赤色。左手甲に埋め込まれた金属球も時おりこの赤色に光る。これは偶然だろうか。

 もし俺がこの赤い月と関係のある“赤い人間”だというなら――“青い人間”もどこかにいる。例えば……いつだか俺を背後から刺した“誰か”。死の直前に見えた、あの青い光。それを持つ人間が。

 だが確証はない。仮定の域を出ない。

 俺はまだ、この世界で生きている人間や住人に一度も出逢ったことがない。


―――


 あれから数十日。


 無闇に死ぬのを止め、今回はそれなりに長く生きてみることにした。リスクを避け、廃村の一角を住処と定め、行動範囲を広げず……そうしていれば生き延びることは容易だった。おまけにこの廃村には井戸もある。飲む水はきちんと煮沸し、時には小動物を狩って焼いて食う(手から火が出せる、というのは本当に便利だ)。飲まず食わずでも生きていけることは確認済みだが、エネルギーがあれば身体は動く。睡眠も同様だ。眠らずとも動けるが、休めたほうが身体が軽い。


 そうやって過ごすうちに思ったのは……一日は意外と長い、ということだ。朝と夜の時間は半々。この世界は元の俺が知っていた(であろう)場所とほぼ同じサイクルで昼夜が流れている。頭の中に流れる日数経過のログ以外に時を計るものなどないから、時間の過ぎ方に指針があるわけでもない。けれど、こうして日々を安寧に過ごしている限り、時間が過ぎるのはかなり長く感じる。

 つまり、有り体にいえば“暇”なのだ。

 この余暇を何かに使えないか、色々とやってはみた。廃村に残っていた布地を使って衣服をこしらえてみたり、糸と枝を使って釣りをしてみたりもした。だがまともなノウハウもない以上、そのどれもが上手くいかなかった。衣食住が揃って快適になった。身体の調子は絶好調だ。それはいい。それはそれとしてやることが少ない。結局、この世界では旅を続けるほうがいいのかもしれない。何をしても自由なのには違いないが、ただ漫然と生きているだけでは少々苦痛になってくる。そろそろここから離れるべきだろうか。いまさら何か確信が分かると期待しているわけではないと諦めた手前ではあれど、それはそれとして暇潰しは要る。

 そんなことを考えていながら、先ほどまで近くの草むらで寝転がっていた。俺は身体を起こし、腰に吊した水筒(廃村に残っていた金属製カップに蓋を括り付けた簡易的なものだ)から水を飲み、住処へと戻る。


 そういえば、数十日を生きて気付いたことがもう一つある。

 この身体は成長しない、ということだ。それほど多くの時を過ごしたわけではないが、もし真っ当な身体なら髪も伸びるだろう。だがそれがない。衣服作りに引っかかるからと一度切った爪は、元の長さまで戻ってからそれ以上伸びない。おそらくこうして生き延びている限り“赤い人間”であるこの少女の身体はある一定の形を維持し続けている。

 つまり、成長することも衰えることもない。だとすれば、俺がこうしてこのまま安寧に生きている限り、永遠とも思える時間を過ごすことができるのだろう。あるいはいつか終わりが来るか……それがいつ、どういった形で訪れるかは分からないが。


 考えるのを止め、歩いて家に帰る。廃墟のうち一つを居抜きした仮の住処。仮、というにはだいぶ長い時間を過ごした家。

 根城にしている部屋に行く前に、もう一つの部屋に顔を出す。そこには同居人がいる。“彼女”は俺の顔を見るなり、いつものように不明瞭な呻き声を上げながら、歯をかちかちと鳴らしている。

 う、ああ、うう、うううう、あ。

 彼女は濁った双眸でこちらを見る。

 あああ、うう、うううううう。

 俺もそれに応えるように声を出す(声帯だけでいえばこの身体は彼女と似たようなもので、まともな言語を発することができないのだ)。

 部屋には異臭が充満していて、どれだけ窓を開け放っていても取れることがない。壁や床に染みついてしまっているのだろう。部屋中に、がちんがちんと鎖の音が鳴る。彼女との“コミュニケーション”は首と足首に巻き付けられた枷と鎖によって、ある一定の距離以上は縮まることがない。


 さて、これは何か。

 彼女は俺の同居人。以前に出逢って倒した“人型”よりもさらに幼い……たぶん十代初めくらいの少女の見た目をした……何か、である。

 この家を初めて訪れた時に出逢った際、俺はいつものようにその首に刃物を突き刺し息の根を止めるつもりでいた。だが、すぐに止めた。刃物の入れる先を首から足首の腱に変え、その後は噛まれないよう慎重に縛りつけ、重い家具と枷を鎖(庭に落ちていた。たぶん犬用)で繋ぎ――こうして放置してみることにした。

 なぜそんなことをしたか。理由はふたつある。

 一つは、このまま放っておけばどうなるのか、という実験だ。これまでも何度かこの手の“人型”は見た。もはや意識を持たぬ幽鬼と化したそれらを俺はこの手で屠り続けてきた。元々は人だったもの。この世界に住んでいたであろう人間の成れ果て。何故こんなことになってしまったのか、何故こちらを見るなり襲ってくるのかもわからない。そもそも意識はあるのか。もし何らかの形で意思疎通が可能なのだとしたら――どうせここに長く済んでみるならと、一縷の望みに賭けてみたわけだ。もっとも、果たしてそれは今のところ上手くいっていない。今日も今日とて彼女は元気に呻き声を上げるだけだし、身体中から土と腐肉が混じった匂いを漂わせている(数日は気になったが、もう今は慣れた)。だが裏を返せばそれ以上は腐敗しない、ということでもある。おまけに彼女は何も口にしないし、何かを排泄するわけでもない。それでも元気にうーうーと唸り続けている。その点では俺の身体と似たようなものだ。これは貴重な知見だった。

 もう一つは……まあ、単純に“賑やかし”である。ここにしばらく住むことにした時点で、暇潰しの一つとして、何かしらの側に置いておけるものが欲しかった。もっとも、彼女は同居人やペットというより、どちらかというと観葉植物(世話もいらなければ成長もしないわけだが)に近い存在なのだが。


 うー。うー。ああ。あああ。


 もはや服とも呼べないほどのボロ布をまとった、土気色の肌。細くボロボロの、白味がかった茶色の髪。頬が抉れ、傷んだブドウのようにぐずぐずになった顔。かちかちと鳴るだけの乱杭歯。爛れた喉。それでも……こうなる前は、あどけなさを残す一人の少女だったのだろう。それを感じるだけの面影がそこにはある。たぶん、こうなる前は、この家で、家族と一緒に――。


 ――俺は、何を考えているんだ?


―――


『day:25』


 日がな一日、再び釣りに興じてみた。

 もちろん釣果などなく、その日はそれだけで終わった。


―――


『day:26』


 旅に出ることにした。この場所でこれ以上過ごしても何の進展もないからだ。どれだけ無為に時を過ごせるとしても、暇であることは耐えがたい。何度も繰り返すが、この世界の謎を解き明かそうなどという気概はもはや持ち合わせていない。だが少なくとも、ここにいるよりはどこかに出掛けた方が暇は潰せるだろう。


 さて、出立するにあたって、俺にはやり残したことがある。

 手元には一つの水晶球。この場所に居た、かつての“住人”達の記憶を記録したマジックアイテム。これに触れるだけで俺はそれを読み取ることができる(ただし一度だけ)。これを手に取るのは今回が初めてではない。今までも多く触れてきた。だがこの廃屋に住み着く時、俺はわざとそれを残していた。

 俺は水晶を持って隣の部屋に行く。“彼女”は相変わらず歯の根を鳴らし、腐った獣の本性だけをこちらに向けている。


 息をつき、改めて水晶に触れる。

 記録が。記憶が流れ込んでくる。


『ねえ。お父さんはどこに行ったの? お姉ちゃんは?』

『お父さんとお姉ちゃんは、行ってしまったわ』

『行ったって、どこに? あたし達を置いて、どこに行っちゃったの?』

『さあ、知らない』

『どうしてお母さんは、お父さんやお姉ちゃんと一緒に行かなかったの? どうしてあたしに教えてくれなかったの?』

『聞いて、■■■。“虚空の門”になんて行かなくていいのよ。私達はここで生まれて、ここに住んでいる。誰も生まれた土地から離れることなんて出来ない。そんなことをすれば、神様はきっと私達に罰を下すでしょう』

『嫌だよ。あたし、お姉ちゃんに会いたい』

『ここを離れてでも?』

『このおうちを離れるのは嫌だけど……それよりもあたしは』

『ワガママね、■■■は』


『――いつか、帰ってくるのかな』


『――お母さん。どうして、あたしだけが』


『この家で、もういちど、四人で暮らしたい』


『どうして、こんなことになっちゃったのかな』


『“約束の日”って――』


『いつ来るの?』


『ねえ。ねえ、へんじをして』

 ああー。ううー。うー。

『おかあさん』

 ううーー。うー。あああああああ。

『どこにいっちゃったの。おかあさん』

 ああああ。うううう。

『あいたいよ もういちど だいすき な おねえちゃん』


 水晶球が割れた。

 そしていつものように激しい吐き気がこみ上げ、俺は予定通り嘔吐した。あらかじめ食を減らしておいたせいで、せいぜい出てくるのは胃液くらいなものだったが。


―――


 またこのパターンか、と俺は口を濯ぎながら唸る。

 この世界の住人達が“約束の日”とやらを契機にして土地を出て行く際、残されていくのは圧倒的に女性や子供が多い。道中の危険にあわせたくない親心だとか、好意的に解釈することは可能だろうが――あるいは“口減らし”も理由だろう。

 これまでいくつかのログを見た手前、今さら驚くことでもない。だが今、俺の目の前には“彼女”がいる。ある日突然、理解しえぬ理由で家族がバラバラになり、おそらく最終的には一人取り残された少女……だったもの。慕っていた姉と引き離された妹。その姉とやらは一体どんな人相をしていたのか。今の俺には似ていたのだろうか。


 あああ。うう。


 ともあれ、俺は今日この廃屋を去る。行くあてなどない。住人達が探し求めたという“虚空の門”とやらの痕跡を探るのを目的の一つにしても良いが、それはあくまで“ついで”のことだ。


―――


 最後に、使うか使うまいか迷っていたものがある。


 腐臭漂う別室の壁に立てかけてある、一振りの直剣。ここに来るまでの間に拾ったものだ。数十日の間のんびりと“日常生活”を送る分には必要ないだろうと思って置いておいた剣。それを初めて振るうとしたら、その相手は――。


 ああー。うううううう。ううー。


 俺は。


 俺は、その剣を手に取って――。


―――


 本日の探索結果:発見済住人、なし(“彼女”を人間とみなしてよかったのかどうか、それを定義する権利など今の俺にはないだろう)。

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