どうせ死んだところで。
『day:1』
目覚めたところが良くなかった。
道もなければ気温も低い。周りに人の住んでいた形跡もなければ物資もない。全裸のままで歩き回れるのは半日が限界だ。あまりの寒さに耐えきれなかったので“やり直す”ことにした。死んだところでまたどこかで生き返る。ここで足掻いているくらいならそうしたほうがマシだろうと考えたからだ。
そうして歩き回っていたら、夜になった頃にちょうどいい崖を見つけた。
だから飛び降りることにした。
さて、俺はここで一つの学びを得た。“人間は半端な高さから飛び降りると半端に生き残ってしまう”ということだ。なるべく頭を一瞬で破壊できるように真っ逆さまの体勢になるようにしたが、即死とはいかなかった。右半分の頭蓋、そして右肩から鎖骨、腕にかけてがバラバラに砕けたが、俺の身体はまだ生きていた。とはいえろくに動くことも出来なかったし、治療するアテもない。
仰向けに倒れたまま、俺は残った左目で空を見上げていた。そこには相変わらず赤い月と青い月があり、異色の双眸が俺を見つめていた。なんだかバカにされているような気分だった。まあ、実際バカなのだから反論のしようもない。
そんな感じで激しい痙攣と激痛に苛まれながら数分くらい生き残っていたが、そのうちに意識が途切れた。
次に飛ぶならもう少し高い位置から、完璧な角度で飛び込まないといけない。
『生命活動の停止を確認』
『PERK:Undyingを発動。Respawnを実行』
―――
『day:1』
今度は食い物がなかった。
無くてもこの身体なら生きてはいけるのだが、明確に体力が落ちる。何より空腹感、飢餓感は不快きわまりない。出目が悪い。とりあえず水分だけ取らねば、と思って池の水に手を出したら、激しい腹痛に襲われた。どうも何かの菌か虫がいたようだ。空っぽの内臓から、絞り出すように胃液や腸液が出た。
それから三日ほど歩いたところでようやく食い物を見つけた。それはキノコだった。白く、肉厚な、ぷりぷりと瑞々しい見た目のキノコだった。焼いて食おうかと思ったが、火を焚く時間すら惜しかったのでそのまま食べた。味は歯ごたえのあるゴムチューブのようだったが、噛んでいると空腹感が満たされた。焼けば少しは美味くなっただろうか。
その数時間後に、全身に激痛が走った。生水にあたったどころではない。頭痛、関節痛、胃痛、全身に針を刺されたような痛みが俺の身体を襲った。やがて目の奥がゴロゴロするような感覚を感じたので、目を擦ってみた。すると、その指には真っ赤な血がついていた。続いて鼻の穴からも血が出たし、尻からも出た。あらゆる穴から血が噴き出た。
そこで俺はもう一つの学びを得た。シンプルに“知らないものは食うな”だ。だが、こればかりは体験してみないとわからない。そう考えてみると、缶詰はともかく、今まで獣の肉や木の実を食ってあたらなかったのはある意味で奇跡だろう。安全策をとるなら食品についてはこれまで食ったものに限るのが一番良い。当然のことだ。あるいは“チャッカ”のように毒消しの魔法か何かでも覚えられたら楽なのだが。
そんなことを思いながら、もう一度激しく嘔吐する。口から出てきたのは大量の血だった。全身から力が抜け、俺は自らの血の海に倒れた。そこで意識は途切れた。
『生命活動の停止を確認』
『PERK:Undyingを発動。Respawnを実行』
―――
『day:5』
今度はそこそこ順調だった。
目覚めたところはちょうど集落の廃墟近くだったからだ。最低限の衣服といくつかの缶詰を見つけて、とりあえず今回の旅の支度は整った。
そうして探索を開始してから、あっという間に五日が経った。このままあてどもなく歩けば、また何かが見えてくるかもしれない。目の前には辿るべき道もある。ここを歩いて行けば――前回のように。
だが……“こんなこと”をまた繰り返すのか?
俺はふと疑問に思った。いつものように物資を集め、いつものように探索し、そしてどこかで野垂れ死ぬ。それ以外にやることなどない。俺は本来もっと自由のはずだ。なのに、どうして俺はまた同じことを繰り返そうとしているのか。
―――
『day:6』
興味本位、という言葉がある。久しく忘れていた感情だ。あるいはかつての俺には無かったものかもしれない。今の俺にはある。だからその感情に従うことにした。
そしてちょうど今、興味の対象を見つけた。緑色の肌をした、小さな猿のような生物。“小鬼”とでも言おうか、前々からその姿は何度か目にしていた。そいつが俺の興味を引いた。前に見た時はこちらも生き延びることで精一杯だったから、なるべく注意を引かないように避けて通っていたのだ。危うきに近寄らず。それは正しい。しかし今は正しくないことのほうが優先される。
よくよく見れば、奴らは粗末ながら武器のようなものを持っていた。固い木を削り出した棍棒だ。それはつまり、奴らに武器を作るだけの知性があるという証左である。思えば、今まで遭遇してきた驚異的な存在は獣や鳥、そしてあの元住人らしき……“人型”ばかりで、どいつもこいつも知性などなかった。だが、こいつらなら意思疎通を試みることもできるかもしれない。何かが掴めるかもしれない。何事もやってみなければわからない。どうせ死んだところで、いくらでも生き返ることができるのだから。
というわけで、俺は三、四体の小鬼が集まる場所に目を付け、自らの姿を晒すことにした。
―――
……ろ。
―――
さて、結論から言えば、奴らには確かに知性があった。
厳密にそれを知性と言っていいのかはわからない。ともあれ、ある種の部族的集団行動を取ることができるのは分かった。ただ“それだけ”だった。知性はあっても文化など無かった。奴らは正しくケダモノで、人間のように会話をしたり、他社会、他種族との交流などまるで考えてもいなかった。
そして今、俺がどうなっているかというと――犯されようとしているのである。
気を抜くと忘れかけるのだが、今の俺の身体は(おそらく)人間の女だ。ケダモノ程度のアタマしか持っていない小鬼どもの前に、武器もなく、薄着でふらふらと出てきたマヌケで無防備なメスが一人。奴らにしてみればこれほど簡単な獲物もないだろう。俺はあっという間に殴られ、気絶させられ、巣と思しき洞窟に運び込まれた。
で、ここで死んでいればまだマシだったのだろうが、そうはならなかった。再び目を覚ましたのは巣に担ぎ運び込まれる最中だった。洞窟内は異臭がひどく、やはり文明的な何かがあるわけではなかった。獣の死体、人間の死体。散乱した骨。こびりついた糞。粗末な石器。棒。そういったものを見たあたりで俺は奴らに見切りをつけた。だが見切りをつけたところでやすやすと帰してくれるわけでもない。逃げ出す力も出ないまま、俺はそのまま洞窟の最奥部へと連れ込まれた。
目の前には小鬼どもが複数。それら小さな身体の連中を伴って、大柄な個体が一体(いわゆる“ボス”というものだろう)。ボスは血走った目でこちらを見据え、取り巻きどもに顎で指図をした。
薄汚い創意工夫だけはできるらしく、奴らはどうにかして俺に“良い反応”とか“怯えた表情”をさせたいと考えたようで、取り巻きの小鬼どもはキーキーと下卑た鳴き声を上げながら俺に石器や棒を突きつけた。もう一度殴られたいか、そんな感じの脅しだった。
確かに、こういったもので何度も殴られればただでは済まないだろう。
だが俺は冷静に、ただつぶさにそれらの行動を観察していた。
やがて小鬼達は、こいつはどうもおかしいぞ、という顔になった。後ろでふんぞり返るボスはその様子に苛立っている。そのうち、どうしても恐怖の反応が引き出せない“マグロ”のようなものと分かると――ボスは飽きてきたのか、やがて巣穴の奥へと去って行った。
残されたのは取り巻きの小鬼達だ。すると奴らはいきなり武器を捨て、俺が身に着けていた粗末な布服を引き剥がした。手順を省略し、とっとと陵辱にかかるつもりらしい。
ただでは済まないな、と思った。とはいえ素っ裸に剥かれたままではどうすることもできない。こんな罠に飛び込んだのは単純に俺自身の奇行のせいだ。いっそ奴らにこのまま襲われてみるのもひとつの貴重な経験か。どうせ死んだところでまた生き返る。数日にわたって雑な死を繰り返してきた俺がそんな風に“また”諦めかけた瞬間――突然、頭が激しく痛んだ。
―――
……そ……は、止めろ。
―――
かすかに、脳ミソの奥で誰かが囁いた。それは煮えたぎるような感情だった。その矛先は小鬼どもと――そして他でもない俺自身に向けられている。
声が聞こえたのは一瞬。それは俺自身のものでもあり、俺自身のものではなかった。だがそのたった一声だけで、身体に再び血が巡っていくのを感じた。ほんの一瞬だけ覚醒した“何か”が、力の抜けきっていた身体を強制的に賦活させたのだ。ろくに飲み食いもしていないのに、身体中が滾るような熱を帯びている。
ああ。わかった。これは“怒り”だ。俺はすぐに感情の正体を知った。
―――
だから、今度はその感情に従ってみることにした。
そこから先は早かった。滾る力に任せ、ゆっくりと身体を起こす。すると小鬼の一体と目が合った。少女の柔らかな肢体に目を奪われ、我先にと手を出さんとしていた取り巻きの一体だ。欲望でだらしなく開いたその口に素早く手を突っ込む。一気に顎を掴み、思い切り真下へ力を込める。ぽき、と妙に軽い手応えがあった。
続けて俺は手を引き抜き、そのまま後頭部を掴んで地面に叩きつける。たったそれだけで頭部が砕け、眼球や脳漿が飛び出す。そして、欲望に目が眩んだ小鬼はあっという間に絶命した。
周囲の動きが止まった。当然だ。奴らにしてみれば、哀れでか弱い獲物が突然襲ってきたようなものなのだから。俺は隙を見逃さず、すかさず頭部を破壊された小鬼の亡骸をもう一体に投げつける。
あまりのことに動揺しているのか、慌てふためく小鬼達はまったく反応できていない。俺は一方的な反撃の機会を得る。そこで役立ったのが棍棒だった。物事は単純だ。武器が無いなら奪えばいい。この身体はやはり“武器の使い方”を知っていて、さらに今日はいつも以上にキレがいい。手元でくるんと一回転させ、重心の位置を確かめる。そして、亡骸を投げつけられてふらつく一体めがけて振り下ろす。今度は、柄の握手に重い手応え。
続けて一体。また一体。どこを狙えばいいのか、棍棒の打点をどう活かせばいいのか、俺の身体は即座に反応する。奴らの脆い頭部を、脇腹を、致命的な臓器を、着実に破壊していく。
これまで怠惰と欲望に満ちていた洞窟内が、一瞬でパニックになった。
もちろん小鬼どもも黙ってやられているわけではない。騒ぎを聞きつけたのか、穴の奥から増援が続々と現れる。だが洞窟内では集団で囲むことも出来ない。俺は通路の狭い場所に誘い込み、各個撃破でカチ割っていく。誰かにアドバイスされたわけでもない閉所での戦法を無意識で実践する。さらに一体、さらに一体と殺すごとに気分が高揚していく。
洞窟内に充満する土の匂い、糞の匂い、腐肉の匂い、死体の匂い、精液の匂い、そこに混じる血の匂い。連れ込まれてからとっくに失っていたはずの嗅覚がふいに戻ってきて、それらが俺の鼻をつく。
率直に言えば、楽しかった。
この世界に来てからこんなに生き生きと戦ったことがあるだろうか。この数日間、雑に生き死にを繰り返してきた反動で興奮状態にあるのか、あるいはこの身体が持つ“何か”がそうさせているのか。単に生き延びたいというわけではない。今はただ奴らをボコボコにしたい。今の俺を突き動かしているのは、生存本能ではなく闘争本能だ。
―――
そして――間もなく戦闘は終わった。
最終的に、俺はまた殺された。
奥から戻ってきた大柄な個体……あの“ボス”が振るった巨大な棍棒に全身を打ち据えられたのだ。全身の骨が砕け、内臓が破裂し、眼球が飛び出した。俺が小鬼を容易く破壊したのと同じように、俺の小柄な身体もまた、ボスが振るった一撃に耐えられなかったのだ。
激痛が全身を襲う。今となっては慣れた痛みで、恐怖もない。
いつものように、どうせ死んだところでまた生き返るだけだ。
けれど。
今際の際に、うっすらとまた声が聞こえた。
今度はまるで聞き取れなかった。
だがその感情はまたしても俺自身に向けられていた。それだけは分かった。
聞き取ることもできないまま、意識が薄れていく。
何となく。
何となく、俺はその感情を素直に受け入れた。
『生命活動の停止を確認』
『PERK:Undyingを発動。Respawnを実行』
―――
本日の探索結果:発見済住人、なし(あの“ケダモノ”どもは住人と見做さないこととする)。
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