誰かいる?
『day:6』
指の先から火が出るようになった。
何故そうなったのかは分からない。出るようになったのだから仕方ない。
いつからそうなったのも分からない。ある時、そうあれと念じたら出た。
とはいえ、戦うことに使えるような大袈裟な火球ではない。ぽん、と間抜けな音と共に小さな種火が出るだけだ。何に使えるのか? と思ったが、予想以上にこれが便利だった。
そう。焚き火が出来るのだ。
そこらで拾ってきた枯れ枝や樹皮を積み、そこにこの“魔法”によって火を付ける。それだけで焚き火が出来る。火は重要だ。身体を温めてくれるし、弱っていた小型の鳥のような生物を解体して、肉も焼ける。もちろん、前にも火を付けようと試みたことはあった。薄く削いだ樹皮と木の枝を利用して錐揉み式の摩擦火を起こそうとしたのだが、これは上手くいかなかった。コツが分からないから煙すら出ないのだ。だからこの火の魔法はきわめて役に立った。俺はこの魔法を“チャッカ”と名付けた。
やや焦げ気味になるまで焼いた鳥(?)の肉にかぶりつく。缶詰食に比べれば、塩もない、味気ないぱさついた肉。小骨が多く、可食部は決して多くない。それでも“温かいものが食える”だけで、満足感は跳ね上がる。
食事を終え、白湯(空いた缶詰に汲んだ水を火にかけたもの)を飲み、思考に耽る。
何故俺は焚き火の起こし方を知っていたのか。何故俺は錐揉み式摩擦火の存在を知っていたのか。何故俺は肉の焼き方を知っていたのか。あの“チャッカ”の魔法を見た時、俺はそれをライターのようなものだと認識した。ライター。俺はそれを知っている。この世界で見たことはないが、その存在を知っている。どうやって使うのかも、どうやって使ったら便利になるのかも。
ともかく俺はここに無いものの知識を知っている。ここにあるはずの無いものに対する違和感も覚えることができる。この異世界の文明レベルというやつを比較認識することが出来る。たぶん、それらはすべて、俺がこんな身体になる前の記憶(前世、と言っておこうか)なのだと思う。覚えのない基礎知識。“どうしてその知識を覚えるに至ったのか”という経験や記憶がすっぽり抜けている。生水を飲むと腹を壊す。肉は焼かないと危険性がある。そんな衛生観念すらも、そもそもどこから沸いてきたのか。
この身体は借り物で、俺のものではない。俺は俺で別の意識を持っている。けれどその意識でさえ由来不明だ。それすらも実は前世などではなく、別の人間が持っていた借り物かもしれない。この世界で一人生きていくための知識が、経験を経ないまま虚空から現れていく。
俺自身という存在は何もかもが継ぎ接ぎで、パッチワークじみている。
常にそんな感覚がある。
―――
『day:7』
それでも俺は生きている。
誰のものとも知れない身体。誰のものとも知れない知識で。
夜明けと共に焚き火を消し、その場を後にする。
この数日間、ひたすら道を歩いた。そこは街道のようなもので、馬車のものと思しき轍もあったし、馬車そのものの残骸もあった。人がいた頃は往来もあったのだろう。今は誰も通らない。“人型”が徘徊しているのは見つけた。人はいなかった。
人だったもの。あるいは単に“人型”。俺はアレをそう呼んだ。実際に何なのかは分からないから、そうとしか言いようがない。前回の遭遇は唐突だったが、後になって冷静に観察することでいくつか分かることがあった。近寄りさえしなければ襲ってくることもなく、普段はゆらゆらと彷徨っているだけ。知覚範囲も広くはなく、視界に入ったり大きな音さえ立てなければ襲ってくることはない。いたって反応は鈍く、そういう意味では他の獣のほうが厄介だ。……とはいえ殺すのは躊躇われた。今さら何をというかもしれないが、あれから数日経ってもあの感覚はまだ掌にこびりついている。無用な戦闘は避けるほうが好ましいのも確かだ。だから俺はそうしてきた。
街道沿いにはいくつかの集落があったものの、どれも小規模なレベルだった。それこそ馬車でもあれば一気に進めたのだろうが、ないものは仕方がない。家々を見る度に略奪し、トラブルを避けながらゆっくりと歩いていた。どれくらいの距離を歩いたのかも把握しきれていない。
そうして歩くこと7日目の昼。街道が石畳に変わり、間もなく馬車の残骸や人の手が入ったものの痕跡も増えてきた。
やがて町が見えた。
―――
路地に至るまで一面に敷き詰められた石畳。高度に石、木を組み合わせて作られた建物。広場には権力者、英雄と思しき銅像までもが建てられている。住宅も多いが市場も多い。ここを起点にして、四方に街道が伸びている。いわゆる交易都市というものだろう。四方から集められた物資がここでやり取り(何かしらの貨幣か、あるいは物々交換か)され、街道を通じてまた四方へと散っていく。物資と文化の交わる町。
そこはこれまで見てきたどの村よりも大きく、栄えていた。もちろん厳密に言えば“かつては栄えていた”町だ。これほど大きな場所なのだから、生存者もいるのだろうという期待はあった。
けれどその期待が叶うことはなかった。何処を見渡してもがらんどうな町は、同じくがらんどうな村よりもいっそう空虚に思える。
人影はあった。だがそれはもちろん人間ではない。“人だったもの”は広場を中心にあてもなく動き回り、立ち止まり、時おり周囲を見回(すような素振りを)し、かすれた唸り声を上げながら徘徊している。その数は、これまで村や街道の途中で遭遇した数とは比べものにならないほどに多く――しかし、ある意味で俺に奇妙な印象を抱かせた。
そう。数は多い。――だが“それほど多くはない”と感じた。
それは正体不明の違和感だった。けれどその正体を掴むことはできない。俺はひとまず無用の争いを避けるべく、あの“人だったもの”に気付かれぬように捜索を開始する。ここまで大きな町ならば、手に入る物資も村の比ではないだろう。それに、交易都市ならばこの世界の文化レベルをはかることもできる。何があって何がないのか。どういったものを食べて、何の生地で服を作っているのか。
俺は、この“異世界”のことをもう少し正確に知らなければいけない。
だから、まず市場に向かうことにした。かつてはここも多くの人が行き交い、活気に満ちていたのだろう。けれども今は“人だったもの”が闊歩する死の通りに過ぎない。
一人で持ち運べる量には限りがあるから、服装を中心に探す。これまで旅をしてきた限り、この世界の今の季節は昼と夜でかなりの寒暖差がある。それに応じた服装で身を固めれば、余計な体力の消耗も防ぐことができる。求めるべきは……何か自衛に役に立つ武器、ポケットの多いコート、動きやすさと軽さに優れた服装……それから、できれば背負いのバッグも頑丈で大柄なもの。
さすがに市場だけあって物量は豊富、望むものも手に入るだろう――と思いきや、そこでもまた俺はある違和感に気付く。
物が無い。あるにはあるが少なすぎる。
とにかく碌なものが残っていない。有用と思われる服や雑貨はすっかり取り除かれ、残っているのは乾燥しきった生鮮食品や埃の積もった意味不明のガラクタばかり。一言で言うなら“誰かに物色された跡”だ。ここにはあるだろうと踏んで探索した市場。店先。そのどれもが不自然なほどに空っぽになっている。この世界の人間が“迫り来る何か大きなこと”から逃げ出す時に持って行ったのだろうか。マトモに考えればそれが自然である。けれども――何だ、この違和感は。
まるで既に誰かが取り去っていったかのような。
まるで俺のような人間が、俺と同じことを考えて来た、その跡のような。
有用な物資があるなら市場を探すべき。
もし、ここに来た誰かもそう思って動いていたとしたら?
その違和感を決定づけたのは、市場から抜けた先で見た光景だった。
そこには“人型”が倒れていた。自然に倒れたのではない。その身体には大きな切り傷――大きく鋭利なもので切りつけられた痕があった。誰かに殺された後だ。吹き出した血は既に石畳の上で渇き、土埃にまみれて薄くなっている。死体は半分干からびていて、死後しばらく経っているらしい。
ここに、誰かいる?
正確には誰か“いた”のだろう。今は少なくとも気配は感じない。一つ確信したのは、この世界がこんな風に終わってしまった後に、俺と同じように歩き回っている生存者がいるということだ。彼らは俺と同じように物資を探し、俺と同じように生き延びている。それはこの世界の住人なのか……あるいは――俺と同じように、わけもわからぬままここで目覚めた“誰か”か。
ここで待っていれば会えるかもしれない。
だが……それが訪れるのはいつだ?
―――
『day:10』
『この町はオレ達の生きる場所だ。ここに捨てて、どこへ行けってんだ?』
『死んじまったら、ブツもカネも役には立たねえからなあ』
『私は残るよ。本当にその約束の日とやらが来る保証も、虚空の門とやらが開く保証もないしね。もしそれがウソっぱちだったら、何もかもがバカみたいじゃないか』
『占星術師も予知師も、みんな同じこと言っておる。約束の日に備えて逃げるのだと。ウソと片付けるにはあまりにも出来すぎているだろう』
『それらまとめて、全部が誰かの仕組んだ罠だとしたら?』
『誰かって誰だよ』
『他の国には、この国が栄えるのを好ましく思わない奴もいる』
『バカバカしい。それこそインボーロンってやつだ。オメーの頭はどうかしてる』
『言ってろ。こっちは逃げるぜ』
『なあ……エンド・オブ・サポート、って何だ?』
俺は脳内を駆け巡る会話の数々をひとしきり読み取り、嘔吐した。
火で温めた白湯を飲み、一息つく。腹が空っぽになったらまた食えばいい。ここにはまだまだ食べきれないほどの缶詰が落ちている。不自然なほど多くの缶詰が。
会話の痕跡を再生し終え、水晶は役目を終えて割れた。
この町で見つけた水晶は、これで五つ目だった。
―――
結局、あれから三日の間、俺はこの町に留まっていた。何か分かるかも知れないと民家を中心に探索した結果、いくらかのマトモな服と靴、そして会話の痕跡を記録した水晶を見つけた。市場と違い、民家の中にはいくらかまだ物資も食料も残っていた。
水晶の中には、かつての人々の息づかいがあった。
……近く“約束の日”が訪れ、世界が終わる。
……それまでに“虚空の門”に辿り着くことが出来れば救われる。
だいたい言っていることはその二つだ。けれどそれらが何なのかまでは分からない。きっとここに暮らす市民や商人も真実を知ることはなかったのだろう。噂が噂を呼び、流言と共に広がり、町の人々は分裂していった。
果たして“約束の日”は本当に訪れた。俺が今こうして留まっているこの世界は、それが訪れた後の世界。そして、そこら中に闊歩している“人だったもの”は、おそらく本当に人間の成れの果てなのだろう。
だが“誰か”はいる。俺以外の誰かが。生存者が。
そこまでは分かっている。俺が知りたいのはそこからだ。この世界はそもそも何なのか。どうすればここから抜け出せるのか。この世界で足掻くこと以上に、俺に出来ることがあるのか。
まずは生存者を探さなければならない。
探して、会話し、情報を引き出さなければならない。
―――
けれど――その時、俺は最期まで気付かなかった。
左手甲に埋め込まれた金属球が、不安定な明滅を繰り返していることを。
民家の隅で割れた水晶に気を取られている間、背後から足音がしていたことを。
ぴりぴりと、全身が殺気が感じていたことを。
―――
俺がその事に気付いたのは、俺の腹を、直剣の刃が貫いた後だ。
すべてが遅かった。
何にやられたのかも分からなかった。
後ろから来た相手の正体も分からなかった。
振り向く間もなく、腹から刃が抜け、続け様に後頭部からもう一撃の刺突を食らう。刃は俺の左頭部を破壊した。目の前が、花火が弾けたようにパッと真っ赤に染まり、身体中から力が抜けた。
誰かいる。俺以外の誰かが。
俺の後ろに。
けれど、それを確認することはできない。
ただ、俺が意識を失うその直前に分かったのは。
そいつは……俺と“会話”などする気もなかったということ。
そして……俺の左手甲で光る赤とは真逆の……青の光が見えたということ。
『生命活動の停止を確認』
『PERK:Undyingを発動。Respawnを実行』
―――
本日の探索結果:発見済住人、なし(不明・確認できないため無効)。
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