いいから、やれ!(後)

 マトモに撃てるのかどうかもわからない。弱点を狙うだの、固い部分を避けてだの、そんなことまで気が回らない。撃って当たりさえすればいい。


 引き金を引いて撃つ。果たして銃弾は放たれた。耳をつんざくような破裂音。目の前の機関部から飛び出す濃灰色の空薬莢、そして次に来たのは……衝撃。腰が引けたままの体勢で撃った俺は、その反動で尻餅をついていた。がくんと上下に激しく揺れる視界。体勢を立て直し、なんとか踏ん張って銃口の先を見る。弾はどうだ。どこに当たったのか。

 窓枠の向こうにいた大熊はたたらを踏んでいる。毛深い胴体で銃創が何処にあるのかもわからないが、どうやら当たったらしい。そして効いている。しかし致命傷ではない。

 であればもう一発撃つしかない。薬莢を吐き、薄く白煙が上がったまま開いている薬室。そこにまた弾を込める。弾倉なんて無いからこうするしかない。指先は震えていて、弾を上手く掴めない。銃撃の反動で痺れたせいか、あるいは焦りか恐怖か。いまだ熱をもったままの薬室に指を導き、銃弾を再びぐいと押し込む。これまで嗅いだことのないような、焦げ臭く、どこか饐えた異臭が鼻をつく。

 槓桿を引いて装填する。今度は尻餅をつかないようにとしっかり構える。どうやればあの反動を押さえられるのかわからないが、とにかく撃った後にコケないようにするしかない。踏ん張るといっても――身に着けたメイド服一式はご丁寧に靴まで揃っていたのだが――それがまた接地面積が不安になるような薄いパンプスで、踏ん張るにはあまりにも物足りない。故に立射は諦めて片膝をつく。脇をしっかり締める。

 どこを狙えばいいのか。頭部か胸部か。脳ミソや心臓の正確な位置などわかるわけがない。体勢を立て直した大熊もまた、既に銃口へと視線を移している。これ以上迷っている時間はない。だから狙うのを止め、とりあえず撃つ。

 放たれた銃弾は再び毛深い胴体のどこかに吸い込まれていく。


 大熊は相変わらず元気に壁を殴りつけている。時間の猶予はない。選択肢もない。壁が壊れる前に、一発でも多く。出来るだけ――。


 もう一発!


―――


 さて、また結論から言おう。大熊を銃で仕留めることはできなかった。

 目の前に都合良く銃があったとして、それで都合良く敵が倒れてくれるわけではない。いくら“知識があって撃てる”と言っても、弱点を狙って倒せるかというのは別の話だ。まぐれ当たりもラッキーショットもない。この異世界がそこまで親切なドラマを見せてくれるわけがない。そんなことは分かっている。

 金属箱に残っていた銃弾はバラで五発。最後の一発を装填し終えたのと、家屋の壁が崩れたのはほぼ同時だった。轟音と共に塵埃が舞い、俺はまたしても狙いを付けられないまま引き金を絞る。銃声と大熊の咆哮が重なる。勢いよく迫ってくる巨体を照準越しに見る。


 そして強い衝撃があった。俺の視界は照準から外れ、激しく揺さぶられた。


 一瞬、気を失う。死んだかと思ったが、まだ死んではいない。大熊に突き飛ばされて壁に叩きつけられ、それで気絶したのだろう。全身に強い痛みを感じながら目を覚ますと、少し距離を離したところに大熊の姿があった。奴は壁を壊し、がらんどうの大部屋に侵入していた。あくまでも俺を追って殺すつもりらしい。だが奴は距離を離したまま、壁にもたれた俺の様子を見るように眺めていた。


 痛む背中を堪えながら立ち上がる。

 足元は震え、視線も定まらない。

 だが俺はまだ生きている。ならば。


 横目で部屋の中を確認する。隅に転がっているものに目を付ける。そして目標を定め、一気に走り出す。よたつく足、動きづらいパンプス――しかしコケてしまえばすべて終わり――大熊の反応よりも正確に、素早く駆ける。まず目指すは銃だ。一番近いところにあるそれを取り、大熊に突きつける。

 大熊が怯む。やっぱりそうだ、と確信した。奴は銃撃を恐れている。もちろん銃に弾など装填されていない。部屋に弾も残っていない。探せばあるかもしれないがそんな時間もない。だからこれは“はったり”だ。俺は銃口を突きつけながら、じりじりと次の目標に向かって動く。一定の距離まで近づき、また走る。奴に先手を取られてはならない。走りながら姿勢を屈め、右手で銃を保持しつつ左手で竹槍をキャッチする。そして再び正対する。


 全身にメイド服。馬車幌の外套。右手に銃(銃弾なし)。左手に竹槍。熊を相手にするのにこれほど不適切なスタイルもないだろう。


 右手の銃を思い切り突き出して威嚇する。もう一歩、明確に大熊が怯む。その隙を見逃さず、俺はそのまま銃本体を投げつけた。威力などないとはいえ単純な重量物だ。不意の投擲に混乱する大熊に向け、俺は竹槍を構えて一気に距離を詰め、勢いのまま突く。ずぐ、と肉を貫く手応えがあった。銃ほどではないが、こんな武器でも大熊に対して勝るところはある。それがリーチだ。強烈に振るわれる爪が届かないギリギリの距離から一気に突く。そしてやはり“この身体”は武器の……厳密にいえば近接武器の……使い方をよく分かっている。だから今回もそれに賭ける。

 突き刺した竹槍を素早く抜き、もう一度手元を滑らせて同じ箇所を突く。引き抜く。さらに全身を翻して今度は横薙ぎに振るう。竹槍が振り回され、刃先が大熊の頭部を打擲する。こんなもので致命傷を与えられるとは思っていない。だが奴は既に五発の銃弾を食らっていて、足元には血も滴っている。このまま傷を重ねて倒すしかない。向こうは一薙ぎで俺の身体を両断できる。対してこちらは有効打がない。それでもやるしかない。


 銃を持っていないと判断するやいなや、大熊が距離を詰めてきた。俺の身体の倍以上の大きさと重量をもつ怪物に迫られれば、それを止めることなどできない。あっという間に肉薄され、覆い被さるように圧し掛かられる。

 このままでは巨体で潰される――その瞬間、再び俺の身体が瞬時にある判断を下す。咄嗟に竹槍の柄を地面に立てたのだ。全身を使って竹槍の“スパイク”と化し、熊と正対する。人間を押しつぶすほどの重さを逆に利用し、槍の穂先は熊の身体を見事に貫く。みし、と槍身が軋みをたてた。


 やったか。


 ――いや、やっていない!


 脇腹を貫かれたまま、大熊は強引に俺に圧し掛かる。仰向けに倒れされ、後頭部を強打する。衝撃が襲い、再び俺は一瞬だけ気絶する。


 やがて目を覚ましたの俺の前にあったのは――凄まじい熱をもった熊の巨体。数センチ先に迫る顔。荒い吐息。ぎらつく瞳。鋭い牙。

 そして、俺の左肩口に食い込む爪。


 やられた。やられたのは俺の方だ。


 凄まじい激痛が襲う。喉元から声にならない呻き声が漏れる。あの大きさの爪だ、言うまでも無く、こんな柔肌を切り裂くことなど容易い。傷口は見えないが、どんなに酷いことになっているかは見ずともわかる。そのまま真っ二つにされて即死しなかったのを幸運と思うべきか、あるいはこのまま嬲り殺される不幸を呪うべきか。

 かたや五発の銃弾を食らい、竹槍で何度も突かれ、貫かれてなお動く怪物。かたや体格の小さい少女の身体。粘って戦ってはみたがおそらく悪手だった。とっとと逃げ出すべきだったのだ。


 まあいい。死には慣れている。不本意ではあるが、またやり直せばいい。次は“大きなバケモノを見たら逃げ出す”。これを教訓としよう。


 そして、俺はいつものように抵抗を諦め――。


―――


 いいから、やれ!


―――


 刹那。俺の中で、誰かの声がそう猛った。


 やられたのならば、やり返せばいい。かつての俺の“敵討ち”が出来るのは、俺自身しかいない。


 声は、そう言った。


―――


 俺はまだ生きている。

 だから、やる。やられるまえに、やる。


 今まさに首元へ向け牙を突き立てんとする大熊を前にして、自由になった右手が咄嗟に動く。何が目当てかはもう分かっている。メイド服の胸元にしまい込んでいたものを取り出し――熊の左目に向かってねじ込んだ。

 刃は角膜を裂き、水晶体を貫き、硝子体まで突き刺さる。……どんなに頑丈な肉体をもってしても鍛えられない場所。それが目である。大熊は咆哮し、巨体を大きくのけぞらせた。その勢いで肩口に刺さっていた爪が抜かれ、そこから熱い体液が噴き出す。だがまだ生きている。俺は渾身の力で大熊の左目に刺さっていたそれを掴み、もう一度突き刺す。

 起死回生の一撃を与えたもの。その正体はナイフだ。この街に来る前に拾い、馬車幌を切り出すために使った小さな工作用の折刃式クラフトナイフ。便利なツールではあるが武器には適さないもの。また何か役に立つだろうと思って肌身に仕舞っていたものが、本当に役立つとは思わなかった。それも武器として。

 暴れ回る大熊にとりつき、ナイフを何度も突き刺す。肩口の出血はひどく、さらに後頭部を打ち付けたせいでこの身体は満身創痍だ。視界は目眩でぐるぐると回る。それでも俺は無言で大熊の左目にクラフトナイフをねじ込んでいく。何度も。何度も何度も何度も何度も。


 そう。本当は、やり返したかったのだ。


 俺は。そして“俺”は。


―――


 やがて大熊は動かなくなった。


―――


 俺もそのまま倒れた。


 だが、まだだ。まだ生きている。失血で朦朧とする意識をなんとか保ち、熊の体液でギトギトになったクラフトナイフを使い、スカートに垂れたエプロン部の白い布地を切り裂く。仕立ての良い(こんな世界にはあり得ないほど上質な)生地は返り血と埃にまみれていて、かつての上品さは見る影もない。だが今はそんなものは必要ない。どうせ誰に見られるでもない。時おり意識を失いかけるたび、すんでのところで堪える。そうして簡易的な包帯を作って肩口に巻きつけると、その白い生地は一瞬で真っ赤に染まった。なんとかならないかと馬車幌の外套でぐるぐる巻きにしてみるが、それもあまり意味はない。

 治療したとはいえ、気休めのようなものだ。この深手なら長くは持たないだろう。爪の一撃で腱をやられたのか、左手はもうほとんど動かない。失血も次第に酷くなり、息は荒くなって意識も溶けかけてくる。


 しかし俺は生きている。まだ生きている。どうせ死んでも生き返る……そうだとしても、今は諦めるべきではない。


 意識が遠のいていく。

 まだだ。まだ俺は生きている。


 ……俺は、いつからこんな考えをするようになったのか。


―――


 そしてまた幻影を見た。


―――


 ああそうか。またお前か。


 まあ、そりゃそうだ。


 やられっぱなしは、癪だもんな。

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