いいから、やれ!(前)

 結論から言おう。


 本日の探索結果:発見済住人、なし(あれは人間ではない)。


―――


 たすけてー。


 たすけてー。


 彼は、廃屋の外に飛び出した俺の前にいた。

 彼は、ただそうやって助けを求めていた。


 彼は声を発していた。もっとも実際に聞こえているわけではない。あの水晶から受け取るメッセージのように、脳内に響く声色のような何かだ。相変わらず意味不明の言語ながら……確かに彼は俺に対して助けを求めているように聞こえた。そして見た目も確かに人だった。粗末で薄っぺらながらも動きやすそうな布製の衣服に身を包んでいて、これまで見てきた“人型”の亡者どもに比べれば小ぎれいな身なりをしていた。今の俺よりもよほど“世界観に合っている”。

 表情だって醜悪に歪んでいるわけでもない。正確に言えば――無表情、である。口元ひとつ動かさず、たすけてー、という“意識”だけを一定間隔でバラ撒いている。


 それだけならまだ何かしらのコンタクトを取ってみようという気にもなっただろう。だがさらに輪を掛けて異様なのはその見た目だった。

 両脚はまっすぐ垂直に地面につけた直立姿勢。

 対して、両腕は水平方向にピンと伸びている。

 真っ正面から見ると、ちょうど丁字形になっている……その姿勢のまま、少しも動くことなく地面をスライド移動していた。


 たすけてー。たすけてー。たすけてー。


 そんな“物体”が、大通りの真ん中を滑走していた。その異様な光景に、俺は声をかけることも忘れていた。彼は……いや、“それ”は滑走を続ける。曲がることもせず、ただ一直線に滑っていく。やがて通りに面した家屋に激突――せず、壁をすり抜けて消えていった。


 姿が見えなくなると、声も聞こえなくなった。


―――


 そう。人間ではない。あれに比べれば“人型”になった怪物でさえまだ生物(?)としての存在感に説得力がある。まるで魂の入っていない人間のような何かだ。あれは一体なんなのか。あれは一体なんだったのか。


 他にも居ないか、少し探してみた。

 もちろん、それっきり見つかることはなかった。


 住人達の消失した世界。

 都合が良すぎる物資の出現。

 青と赤、大小ふたつの月。

 謎の青い光と爆発。

 まともな衣服が見つからない村。

 家具が消失し、物資が不自然なほどひとところに集まった家。

 奇妙な挙動で動き、壁の向こうに消えた人間のような何か。

 異常な世界。


 慣れたつもりでいたが、それはかたちを変えて次々と俺の前に現れる。


―――


 そういえば、あの異常な人型物体は“たすけて”と言っていた。単なる意味の無いメッセージに過ぎないのかもしれないが、ともかくあれは何かから逃げているように見えた。いったい何から逃げていたのか。あれが壁の向こうにすり抜けてなお、気配は微かに残っている。俺は再び息を潜め、大通りの向こう側を注視した。まだ何かいる。おそらくそれは気のせいなどではない。


 そして間もなく、その懸念は現実のものとなって現れた。


 ごふ、と荒い息を吐く声。

 見上げるほどの巨躯。薄茶色の毛で覆われた身体。

 獣の顔。そこからのぞく巨大な牙。爛々と輝く獣の瞳。

 腕には手斧のように鈍く鋭い爪が生えている。


 間違いない。あれは“大熊”だ。かつて俺の前に現れた怪物。同個体かどうかは分からないが、見た目はまったく同じ。それが今、再び俺の前に出現した。

 小型の獣や小鬼、それから“人型”程度であれば始末することもできる。だが大熊は別だ。体格も、その脅威も……襲われればただでは済むまい(なぜなら、俺はあの爪の威力を身を以て体験しているからだ)。武器はあるが、竹槍一本で何ができる。


 ならば取れる行動はただ一つ。逃げ――


 ごふ。


 ……ああ。気付かれた。


―――


 やれるか。俺は自分の身体に問いかける。

 やるしかない。俺の身体はそう答える。


 こうして、廃墟と化した宿場町の真ん中で、俺と大熊との戦いがはじまった。


 一薙ぎにして身体を両断された……あの時と状況が違うのはいくつかある。まず心許ないながら武器を持っていること。不意打ちを避けられたこと。周囲に建物が多くあること。そして――俺と俺の身体がそれなりに戦闘経験を積んでいることだ。

 まず俺は駆け出し、なるべく狭い路地を選んで逃げ込んだ。大熊はすぐに追ってはこなかった。その巨体を無理やりねじ入れる真似はせず、ただ俺の逃げ込む先、そして再び出てくる先を狙うつもりらしい。まるで人間が小さなネズミを捕まえるように。

 このまま路地裏から逃げ出す、という選択肢も思いついた。だが現実的ではないと俺の本能が訴える。どこまで逃げてもあの大熊の殺意がつきまとってくるのだ。匂いか何かを嗅ぎつけトレースしているのか、このままではもし町外れから全力で駆け逃げ出しても、簡単に追いつかれるだろう。さりとて、ただ路地から出てきても回り込まれるのは確実。竹槍一本で正対するのはどう考えても得策ではない。距離を離したまま有効打を加えられるような、そんなものがあればいいのだが。例えば弓。投擲物。あるいは……銃。


 待て。ちょっと待て。銃とは何だ?

 どこからその知識が出てきた?


 路地裏を駆け回って“使えるもの”はないかを探す。そのうちに裏口から入り込んだのは、先ほど俺が入ったあのがらんどうの部屋だった。部屋の隅には相変わらずごちゃごちゃした物資が山となって固まっている。表面上に見えるのはガラクタばかりだったが、奥までは確認していなかった。あまりに不気味な固まりかたに手を伸ばすのを躊躇っていたが、意を決して竹槍で山を突き崩す。その瞬間、何か固着したものが弾けたかのように、それらのガラクタは一気に飛び散り、部屋中に散乱した。一体何が起こったのか、いや、それよりも先にやることがある。何かないか。何か武器のようなものが。


 あった。


 木製の身をもち、鉄製の機関部と筒を備えるもの(本来は竹槍くらい長かったのだろうが、ノコギリか何かで切り詰められて膝丈あたりまで短くなっている)。どんな名前が付いているのかなどわからないが――それは間違いなく“銃”だった。


 思いついたら、あった、のだ。


 おれが何故それを“銃”だと認識できたのかは分からない。ともかくそれは引き金があり、弾を込めて引けば弾頭が飛び出す仕組みの物体だ。仕組みまでも理解していた(俺が理解していたのか、あるいは俺の身体が理解していたのか)。そもそもこんなところにどうして“銃”があるのか。飛び道具が欲しい。そう求めたら知識が沸いた。そう認識したら実物が目の前にきた。まるで“思いついて出てきたからには使わせなければならない”とでも言うように。怪しいほどに都合の良い展開ではあったが、使えるものは使うしかない。


 ともあれ後は弾だ。求めた分だけ知識が形成されていく。この銃を“撃つ”のに必要なのは弾。正確に言えば、弾が入った弾倉が要る。だから、部屋中に飛び散ったガラクタから“それっぽいもの”を探していく。


 同時に、部屋の外で再び気配。

 あの大熊が、いつの間にか家の前にいた。


 いくら路地裏から侵入しようと、やはり俺の位置はバレているらしい。奴は窓枠の向こうからこちらを覗いていた。赤く爛々と光る獣の瞳。荒い吐息。とはいえ、その巨体では部屋の中まで入ってくることはできないはず――と考えた瞬間、大熊はいきなり外壁を殴りつけはじめた。無理やり入ってくる気なのだろう。俺と奴とは壁を隔てて数メートル。壁がなくなればあっという間に接近される。それまでに弾倉を見つけるしかない。大熊が壁を一殴りするたびに家が軋み、天井から塵や破片が落ちてくる。俺は焦りながらも、飛び散ったガラクタの中から再び弾を探し続ける。


 焦るな。焦らずに急げ。

 無茶を言うな。


―――


 そして数刻後、弾が見つかった。先ほど見つけた金属製の箱に入っていたものが“弾”だった。空箱かと思っていた底に弾が残っていたのだ。カラカラと音がして、それで分かった。中にはむき出しの弾がたった数発だけ。銃には弾が必要で、それは適合したものでなければならない。あの箱に書いてある文字はよく読めない。この世界の文字が読めたことなど一度もない。だからこの箱の文字も読めない。そもそも俺が知っている言語ではない。その知識は俺にはない。かろうじて数字だけが読み取れたにすぎない。7……62……あと……39。果たしてこの銃にこの弾が合うかのどうか……たぶん合う。合うだろう。合うと信じる。


 後は弾倉。これに弾を入れて機関部の下部に押し込む。弾倉があれば続けて何発も――しかしそんなものはない。

 そこまで都合良くはない。


 ならば。

 機関部の上部に開いたままの薬室に直接弾を入れる。入った。入ったのか? 入った。焦るな。震える指先で奥まで押し込む。続けて脇に飛び出た槓桿を引く。カシャン、とそれまで聞いたこともないような金属音がして薬室が閉じる。

 これで撃てる。あとはあの大熊を狙って引き金を引けばいい。それだけでいいはずだ。けれど俺は“銃”を撃ったことなど一度もない。そもそもこんな異常だらけの世界に出てきた謎の物体が、まともに動作する保証などない。それでもやれるのか。


 そうして戸惑っているうちにも、周囲の状況は悪化していく。いつの間にか、大熊が殴りつけていた壁の内側に大きなヒビが入りだしていた。

 悩む時間は長くないだろう。

 さあどうする。どうする俺。


 撃って弾が出るかもわからない。自分が吹き飛ぶだけかもしれない。知らない知識。知らない異物。扱い方を知ったばかりの何か。


 それを――。


―――


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