衝動。(後)
斥候として外に出て行った小鬼達を待ち受けていたのは、一体のゴーレムだった。それは意思も恐怖も持たず、ただ機械的に目の前の敵を一方的に鏖殺した。小鬼達は棲み家に戻ることもできず、質量に任せた無慈悲な一撃によって全身の骨を砕かれ絶命した。
時を同じくして、私もまた洞窟内での一仕事を終え、外へと戻る。無事に役割を果たしたゴーレムの動きに満足しつつ、私もまた鉈を構え直す。
「ETCカードが挿入されていません!」
意味不明の文言を繰り返しつつ淡々と襲いかかってくる土人形。そして鉈と銃で武装した正体不明の小娘。そんな私達とは対照的に、鬼達は明らかに恐怖していた。きっと奴らに襲われた住人や家畜たちは同じような思いを抱いていただろう。だから今度はこちらがやり返す番だ。戦いによる高揚感は一種の義憤にすり替わり、この身体をさらに加速させる。
中でさんざんに暴れた結果が響いてきたらしい、燻し出された虫のように、洞窟の入り口からは大小の鬼達が次々と飛び出してくる。私達はそれを迎え撃つ。統率の乱れた小鬼をゴーレムに任せ、私は戦闘専門と思しき大型の鬼に向かっていく。
大鬼への対策はけっして難しくない。奴らは洞窟の中での防衛戦には慣れていても屋外での戦いには慣れていないからだ。雑にまとった防具によって小回りの効かない大鬼を機動力で翻弄し、防具の隙間を狙って斬りつける。あるいは大ぶりな一撃を紙一重でかわし、懐に潜り込んで斬りつける。その繰り返し。やがて苦痛に膝をつき、体液を流してうめく大鬼。私はその背中を駆け上がり、大きく跳躍、渾身の力をもって頭頂部へと鉈を振り下ろす。どれだけ大きな怪物も頭を割られれば死ぬ。大鬼だってそれは例外じゃない。
一体の大鬼を殺すと、また次の相手が現れた。だから私は斬りつける。ゴーレムもそれに呼応して小鬼達を殴りつける。斬りつける。斬りつける。避ける。殴りつける。斬りつける。殺す。殺す。そしてまた殺す。まばらに生えた草木が、地面が、小鬼達の血と肉片でどろどろに汚れていく。洞窟の入り口が、次第に凄惨な光景へと変わっていく。楽しい。ああ楽しい。忌まわしいほどに赤く染まった髪を振り乱し、一心不乱に暴れ回る。
ふと視線を移すと、戦闘専門のはずの大鬼の一匹が、棍棒を捨てて逃走を試みているのが見えた。私はすかさず短銃を抜き、へこへこと走るその背中に向けて発砲する。頭部を狙ったはずだけど、弾は背中の真ん中あたりに当たった。大鬼は膝をつき、痛みに転げ回る。あとは放っておいても死ぬだろう。マヌケに悶えるその姿を見て、私の口角は勝手に上がる。
私はひどく興奮していた。鬼達を殺すだけでこんなに楽しいというなら、もし“意思のあるいのち”を相手にしたらどんな気分になるだろうか。クリーチャーだけで満足できなくなるというなら、やはり対人要素も必要だったのではないか。人間同士で戦うことはこの上なく愉快なことなのではないだろうか。サディスティックな高揚感の中で、私のこころも意味不明に乱れていく。
そうして、どれくらい殺戮を繰り返していただろうか。
やがて“それ”は洞窟の奥からのっそりと現れた。
―――
「急な発進やブレーキは燃費を悪化させることがあります!」
「無駄な暖機運転は環境に影響を及ぼします!」
小鬼達を一掃し、ゴーレムが目の前に立ちはだかった。
けれど“それ”は――鬼達のボスは、臆することもなくゴーレムを睨みつけた。
「ETCカードが挿入されていません!」
そしてゴーレムは与えられた命令のまま拳を振るった。ボスはその拳を真っ正面から受け止め、右手に持った巨大な棍棒を振り下ろし、ゴーレムを一撃で叩き潰す。
「い、ETCカードが挿入されていま――」
ボスは露出したコアを踏み潰し、破壊する。ゴーレムは元の土塊に戻った。ちょっと愛着が沸いてきた頃だったから悔しかったけれど、彼は今回も充分に役割を果たしてくれた。
やっと来たか、と、私は鉈に付着した鬼達の体液を振り払う。
土塊を踏み越えてこちらに向き直ったボスは、またしても私をじりじりと睨みつける。たぶん、こいつはこれまでも敵や手下に対してそうしてきたのだろう。私やゴーレムの体長を遙かに超える、3mはあろうかという巨体(どうやって洞窟の中でまともに動けていたのだろう?)。そうして上から睨むだけで大半の相手は臆して怯む。そうやって自分が優位であることを見せつけ、屈服させてきた。だから今回もきっと、いつものようにそうした。
でも私は怯まなかった。表情を変えることもなく真っ正面から相対した。と同時に、左の義手が勝手に動き、ボスに向けてゆっくりと中指を立てる。それがどういう意味を持つのか私には分からなかった(分かった)し、相手にも伝わっていたのかは分からなかったけれど――たぶん“バカにされた”ということはしっかり伝わったはずだ。
小鬼はもちろん、大鬼すらも小さく見えるほどの巨体。もちろん私の身体なんかとは比べものにならない。かつて、私はこいつ(と似た個体)に一方的に撲殺され、内臓をぶちまけて死んだことがある。だからこれは“私”が行う“私”の敵討ちだ。やられたからにはやり返さないといけない。
私は鉈を右手に構え、地を蹴った。
―――
そうして戦うこと十数分。
拾った鉄板で作った急拵えのアーマープレートはベコベコに凹んだので外した。油断して一撃をもらったのが原因だ。どうにか致命的なレベルは防いでくれたけれど、衝撃までは吸収しきれなかった。たぶん肋骨の何本かは折れたはず。動くたびにずきずきと痛むけれど、まだ動けないほどじゃない。
タイミングをはかって撃った銃はボスの左腕部に当たった。吹き飛ばすまでには至らなかったけれど、ほとんど動かなくなったから、効いてはいる。これで弾は残り一発。
しっかり研ぎあげていた鉈の刃も、度重なる斬撃によってだいぶ切れ味が落ちていた。ボスの表皮は硬質ゴムのような固さと弾力があって、うまく振り切れないと弾かれてしまう。迂闊な攻撃は隙を晒すだけだから、一撃を振るうのにもタイミングが重要になる。
……そんな感じで、この“ボス戦”は延々と続いていた。想像以上のばかみたいな耐久力にも驚いたけれど、この期に及んで困惑していたのはむしろ私ではなくあちらの方だ。何故まだ倒れないのか。ボスの目には動揺の色が浮かんでいた。小さくて弱い被捕食者に過ぎない私なんかが、恐怖に怯えることもなく果敢に立ち向かってくること。それ自体が計算外だったのだろう。
こんな小娘に何ができるはずもない。その視線は私も知っている。どうせ一人じゃ何もできないし、いくら一人で頑張ったところでけっきょく無駄な努力に終わる。普通に暮らしていればきっとそうだった。ああ、わかる。その感覚は俺にも分かる。どうせ社会という大きな仕組みに飲まれるだけの――ちっぽけな人間に過ぎないのに。みんなそう思っていた。俺だって、自分のことをそう思っていた。
だから。だからこそ。私はその憂さを晴らしたい。
でっかい敵を一人で倒してみせる。俺にはそれができる。
逆立てていた殺気を取り去って、全身の力を抜く。高鳴っていた鼓動を抑え、感覚を内側に向ける。とうとう諦めたか、とボスが笑う。不細工な顔がさらに醜悪に歪む。巨大な棍棒を高々と掲げ、私を叩き潰すべく振るう。それでいい、諦めろ、所詮お前は無力な存在なのだ。そう言わんばかりの無慈悲な一撃。
ごう、と棍棒が風を切る音を感じると共に、私は一瞬で全身に力を漲らせ、駆けた。振り下ろされた棍棒が地面を揺らす。紙一重の回避で左側に回り込む。そのまま矢の如く一直線にボスの左脚の腱を狙って斬りつける。当たった。でも浅い。皮膚の薄い部分を狙ったはずなのに。
さらにボスは横薙ぎのスイングを繰り出す。私が左側に入ったのはボスの左腕が銃撃によって不自由になっているからだ。案の定アンバランスな挙動になっている攻撃を見切り、身を屈めて回避する。けれどその瞬間、全身に激痛が走った。うまく避けたつもりが、こちらもアンバランスになってしまった。それはお互いに予想外の挙動だった。私の後頭部を巨大な棍棒の側面がかすめる。なんとか直撃は逃れられたものの、強い衝撃と共に私の身体は大きく跳ねた。
地面に叩きつけられ、激しい目眩に視界が歪む。ボスはその機を逃さずに肉薄し、今度は左脚でもって私の頭部を踏み砕きにかかる。
ああ、やっちゃった。
せっかくここまで来たのに。
ちゃんと考えて動いたはずなのに。
最後の最後で。
また、私は――……。
―――
(いや、まだだ)
俺は咄嗟に身体をひねって避ける。振り下ろされた鉄槌のように固く重いストンピングは頭部に当たることなく――代わりに腕の、左肘から先を義手ごと粉砕した。
―――
義手を構成していた木片、そして肉と骨がバラバラに砕ける。
ほんの一瞬、何が起こったのか分からなかったけれど、激痛と共に私の意識は引き戻された。痛い。痛い。けれど生きている。まだ生きている。粉々になった左腕からは、血の代わりに微細な赤いキューブが溢れ出てくる。そして、それに触れたボスの脚もまた、強い酸を浴びたかのように0と1の煙を吹き出していた。何が起きたのかも分からないままボスは狼狽える。間もなくその左脚は跡形もなく消失し、同時に巨体がバランスを崩して倒れこむ。
私は気力を振り絞って立ち上がり、銃を抜いた。そして、めちゃくちゃに暴れるボスの右腕部に向けて撃った。さっき左腕を撃った時はは当たりどころが甘かった。でも今回は違う。どんなに短い銃身でもこの距離なら外さない。放たれた銃弾が手首を穿つ。銃弾の衝撃で、巨大な棍棒がはるか宙へと舞い飛ぶ。
左脚と両腕にダメージを受けたボスは絶叫と共に地面を転がり回っている。私は衝動の赴くままにボスの上へと飛び乗り、弾切れになった銃を棍棒代わりに振るう。一撃一撃と叩くたび、切り詰めた短銃はどんどん歪んでくる。やがて使い物にならないほどに折れ曲がった銃を捨て、さらに私は腰のポーチから最後の武器を取り出す(まだひとつ残っていたのを忘れていた)。小型のハンマーだ。それをボスの顔面に向けて振るう。振るう。痛みも忘れて振るう。馬乗りになって振るう。岩石を砕くように、ぼこぼこと一心不乱に振るう。ボスの鼻に、目に、額に、乱杭歯に向けて振るう。笑いながら振るう。ボスの顔面が歪に変わるたび、私はどんどん愉快になってくる。
最後に、私は砕けた左腕をボスの口に突っ込む。傷口から溢れ出す微細な赤いキューブを口の中へと注ぎ込む。周囲の空気が不快な音をたてて振動する。0と1が乱れ飛び、視界が明滅する。ノイズが走り、私とボスの身体はお互いにびくびくと痙攣を始め出す。お前が消えるのが先か、それとも私が落ちるのが先か。
そして――ボスの頭部は、0と1のデータに分解されて消失した。
―――
もう動くモノはいない。小鬼も、大鬼も、ボスも、ゴーレムも、みんな動かなくなった。私の身体もまたほとんど動かなくなっていたけれど、心臓だけは動いている。だからまだ生きている。私だけが動いている。全身は血と傷にまみれ、特に左腕はぐちゃぐちゃで、義手も壊れてしまった。でも、一応、まだ生きている。
こんなバカな真似をしなければ、こんな傷を負うこともなかった。もうちょっとうまく生きていくことだってできた。入念に準備して、時が来るまで待ち続けて、そうやって戦っても、得るものなんてない(たぶん“経験値”が入ることもない)。
やりたかったから、やった。ただそれだけ。
でも。
楽しかっただろう? と言われたから、私は一人で頷いた。そうやって自分自身に頷きかけた。楽しかったに決まってる、と。
やがて私は、急激な眠気に襲われる。
まだ、言い足りないことがある気がする。伝え足りないことがある気がする。
そんな私の心に、どんどん靄がかかっていく。
何を言おうとしていたんだっけ。
思いつくまで、まだ起きていたいけれど。
ああ。
まあ。
とりあえず、今はいいや。
―――
本日の探索結果:発見済住人、なし(きっとまだわたしたちのほかにどこかにだれかいる。でもだれもいない。うごくものはたぶんもういない。まだいる。いない。いたとしたらわたしはどうする?)
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