少なくとも生きている。

 明らかになったことがある。


 ここは、かつての俺が知る世界ではない。

 陳腐な言葉を用いて表すならば、ここは――異世界だ。


―――


 この二日ほどの探索結果を軽くまとめる。


 あれから半日ほど森を歩いた結果、人里は見つかった。いわゆる“村”という規模の集落……の、痕跡だ。人里はあったが人はいなかった。そしてそこは、やはりあの森の中で見つけた一軒家と同程度の文明レベルだった。彼らはここで野菜や穀物を育て、牧畜をし、動物の皮などを加工して暮らしてきたようだった。もちろん電気や水道などのインフラはまったく未熟。森の奥の一軒家の住人というサンプルだけならまだ特殊な人間の仕業と片付けることも出来ただろうが、集落でまでこの程度というのであれば、少なくとも俺がいる周辺においてはそう断じるしかない。


 ただ、気になることもある。その村で俺は“缶詰”を発見した。ラベルも何もない、つるんとした円筒形の缶詰だ。それは完璧な保存状態であり、空腹を満たす救世主となったのだが――それだけは、どうにも他の生活環境からひどく浮いていた。金属を加工する程度の技術はあったようだが、そこに缶詰……しかも缶切りなしで開けられるほど高度な技術のもの……などというものがあるのはどうにもチグハグだったのだ。

 もっとも(あまりにも感動したので繰り返しの言及になるが)そこで拾ったマメの水煮の缶詰は、飢えに飢えた胃にひどく沁みた。それはあまりにも都合の良い“魔法のアイテム”だった。だから俺はその謎を無理に解こうとせず、ひたすら集落を回っていくつかの缶詰を盗むことに終始した。それは当面の食料問題が解決した、記念すべき一日であった。


 もう一つ、ここが“異世界”かも知れないと思える理由は、夜になって明らかになった。


 俺の“元の記憶”とやらが確かなら、晴れた夜には月が出る。

 それは夜空に一つで、黄色く光っている。

 この世界でも確かに月は出た。だがそれは二つあった。しかも俺が記憶しているそれよりも遙かに大きい。故にあれを月と呼んで良いのかはわからない。もっとも他に呼びようがないので暫定的に“赤い”月、“青い”月、とする。そして二つの月には大小があった。比較して大きい方が青い月。小さい方が赤い月だ。


 さらに森の中ではいくらかの動物とも出逢った。これも俺の記憶にある動物ではなかった。おそらく犬のようなもの。おそらく牛のようなもの。緑肌をした猿のようなもの(あれはなんだ?)。表現が難しいが――どれもこれもが、どこか“逸脱した”見た目をしていた。もっと適当な言い方をすれば、“想像で描いた動物”のようだ。奴らは俺のことなど存在しないかのように堂々と森を闊歩していた。捕って食おうかとも考えたが、道具も捕り方も知らないので諦めた。このあたりのことを判断するには、現状、そこまで余裕はない。


 何かが同じで、何かがズレている。

 歩けば歩くほど、この世界に対する違和感ばかりが膨らんでいく。


 単に“異”世界と呼称すべきかどうかは分からない。そもそも俺自身の記憶すら曖昧な中で(どうして“以前の世界”という前提の知識を把握しているのか?)比較しているのだ。だから“俺が知らない世界”と言ったほうが適当かもしれない。まあ、面倒くさいのでとりあえず異世界と呼ぶが。


 自分のこともわからない。“異世界”のこともわからない。ただ何かがおかしい、ということだけはわかる。現状認識はその程度だ。そうやって記憶を整理していく中で、俺はかつて自分が何者であったかの手掛かりを掴もうとしているのかもしれない。


―――


 何もかもがわからないままに動く。

 目下、生き延びることを目標に動く。


 できれば早く、誰か“人間”と遭遇したいのだが。


―――


 ともあれ、ひとまず俺は今後の準備も兼ねてしばらくその集落に留まっていた(左手の金属球が『day:3』などと脳ミソにメッセージを流し込んできたから、こいつは日数をカウントしているのだろう)。


 不気味だったのは、やはりどの家も“ある日突然住人が姿を消した”ような形で無人になっていたことだ。埃の積もり具合からして、半年も経っていない。最初の頃は身を隠しながら行動していたが、村人達が戻ってくる気配もなかった。何らかの理由でこの村をまるごと捨てざるをえなかったのか。何かこの村に危機が迫っているのか(例えば“モンスター”など?)。数日の間、そんな兆候や危機などまったくなかったのだが。

 それを良いことに、俺は食料から衣服から色々なものを略奪した。局部を覆う布きれだけだった服装はそれなりにマトモになり、毛皮で出来たジャケットのようなものや革製の靴などで寒さをしのぐこともできるようになった。


 ついでに寝床も拝借した。

 そして、ここでも俺は自分の身体の異変と直面することになった。


 眠くならない、のだ。

 正確に言えば、まっとうに疲れが蓄積する身体ではあった。そうなれば普通は眠くなる。どんなに強靱な身体でも睡眠は必要だ。そう思って埃まみれの寝床に横たわってしばらくすると……疲れがスッと取れていく。

 それだけだ。本当に“それだけ”なのである。

 空腹感はある。食った分だけ満たされる。食えば排泄も必要になる。不快感で嘔吐もする。疲労感もある。暑さも寒さも感じる。衰弱もする。だがそれ以上のことがない。うまく言えないが、人間の活動として当然の生理現象である諸々の活動なのに、そのどれもがやはりどこかチグハグに思える。栄養も水分も必要で、不足すれば極端な衰弱状態にはなるものの“なければすぐに死ぬ”わけではない。睡眠も同様だ。必要ではあるが、不可欠ではない。


 まるでこの身体は――“人間の真似事をしている何か”のようで。


―――


 それでも俺は、少なくとも生きている。

 生きていると感じているから、生きている。


―――


 翌日。村にある一番大きな家を探索することにした。


 それまでは小さな家から順に探索していたから、残るはこの家だけということになる。他の家がどれも貧相な平屋だったのに、そこだけが二階建ての家だった。おそらく村長の家だろう。両開きの正面扉はいとも簡単に開き、俺は易々と侵入することに成功した。

 集会所も兼ねていたのか、一階にはいくつも椅子を備えた大きなテーブルがあり、そこには紙キレや書類が散乱していた(製紙技術もあるのか?)。書いてある文字はやはり読めない。どこの言葉かも分からない。そもそも俺は何の言葉を知っているのかすらも分からないのだから、読めるはずもないのだが。

 それ以外の中身は他の家と似たり寄ったりだった。家具や寝台は豪華だが、めぼしいものは見当たらない。例によって缶詰はいくつか見つけたので、拾っておく。しかし――この缶詰は一体何なのだろう。まるでそれだけがポンと現れ、置かれたかのようで。


 そうやってしばらく探索して、俺は家の中で奇妙なものを見つけた。

 他の家には無かった、はじめて見るモノ。それは水晶玉だった。青白く光る、握り拳ほどの大きさの水晶玉が、別の部屋の隅に無造作に落ちていた。不思議なことにそれだけが埃を被っておらず、これもやはり(あの缶詰のように)まるでどこかから現れ、ポンと置かれたかのように落ちていた。


 それに触れた瞬間、左手甲の金属球が、低音を響かせながら再び赤く発光する。


『―――が……―――』

 すると、あの不快な感覚と共に、頭の中に“声”が流れ込んできた。

 発信元は――この水晶だ。


『……するしか……い』

『“約束の日”はもう……いのです』

 精神を集中させる。何かの声が聞こえる。

 声。正しくは声ではない。ただの情報だ。

 だが俺はそれを“声”と認識することができる。


 水晶玉は声を……何者かの“会話”を記録していた。

 その情報を、俺は左手の金属球を通して受信できる。

 もっとだ。もっと集中しろ。脳ミソを回せ。こいつらは何を喋っている?

 今の言葉はなんだ。“約束の日”とは?


『確かに我々にも聞こえました。だが長よ。あの怪しいことばを信じるのですか』

『それが事実であれば、我々はどこに逃げても同じなのでは?』

『“虚空の門”?』

『それに、子供達を残していくなどと』


 ザザ。


『ああ。私の娘よ。どうか許しておくれ』


 ザ。ザザ。


『旅立ちの日は明日だ』

『長は狂ってしまわれた』


 ザザザ。


『“大熊”もこの村を狙っている。子供達だけでは対処できない』

『地下に隠れさせるのだ』


『娘よ。子供達よ。私達が良いと言うまで、出てきてはいけない』


 ザザザ、ザザ。


『逃げるのか』

『長の意思は絶対だ』

『俺達の村が』

『死んでしまえ』

『希望などありませぬ』

『急げ。虚空の門は、まもなく開かれる』


 水晶玉にヒビが入り、静かに割れた。


 俺は情報の渦に吐き気を催し、嘔吐した。


―――


 あの声は、この村の人々のものだった。

 確信はないが、間違いはないだろう。

 約束の日。虚空の門。そのキーワードだけが頭の中を巡る。


 この村の住人はそれを信じ、ここから出ていった。

 子供達を残して。


―――


 家の地下室はすぐに見つかったし、果たしてそこには予想していた通りのものが見つかった。それは、俺がこの世界に目覚めてからはじめて見た人間――いや、“人間だったもの”だった。

 暗く湿気った地下室の隅、半開きの鉄扉の中にある狭い部屋で、それらは積み重なるように転がっていた。頭骨の数からして五人。サイズは小さく、みな子供の死体だろう。約束の日とやらを信じて逃げた大人達に置いていかれた子供達。逃げることもせず、大人の言いつけ通りにこの部屋に詰め込まれ、そしてそこで死んだ。その残骸。


 特に何かを感じることはない。

 ただ、答え合わせをしただけだ。


―――


 大家の探索でわかったことはその程度である。だがそれは大きな成果だった。


 一つ目は、この世界にも人間がいること(ここではない、ここ以外のどこかに)。

 二つ目は、“約束の日”と“虚空の門”というワード。


 気になるのは“約束の日”というワードだ。その日とやらはもう訪れてしまった後なのか、それともまだ訪れていないのか。その日が来るとどうなるのか。

 もっとも、確証とするには材料が不足しすぎる。単純に、この村の人間だけがイカれて逃げただけかもしれない。


 単純に生き延びるだけならしばらくこの村にいればいい。だが他の場所にも行ってみるべきかもしれない。それに、もしもあの水晶玉がまた発見できれば、この世界の謎も少しだけでも解ける。そこに“生きた”人間がいる可能性もあるなら尚更だ。


 村長の家を出て、ねぐらにしていた家まで戻る。


 ごふ、と何かの鳴き声がした。


―――


 そいつは、突然俺の前に現れた。


 村長の家の前で、俺はそいつ対峙してしまった。

 二足で立ち上がっていたそのシルエットは、しかし人間のものではない。


 見上げるほどの巨躯。薄茶色の毛で覆われた身体。

 顔。顔? そこからのぞく巨大な牙。爛々と輝く獣の瞳。

 腕には手斧のように鈍く鋭い爪が生えている。


 ああ。そうか。そういえば、もう一つワードがあった。“大熊”だ。

 真っ白になった頭で、俺はそんなことを考える。


 奴は俺のことを見ていた。俺もまた奴と目を合わせ続けていた。

 そして何の躊躇もなく、何のうなり声を上げることもなく――“大熊”は腕を振り上げ、横凪ぎに振るった。


 激しい衝撃と共に、視界がぐるん、と一回転する。

 俺は空を飛び、地面に叩きつけられる。

 身体が動かない。突っ伏した地面から眺めた目線の先には、腕を振り下ろした“大熊”の姿が見える。そして、今まで俺がそこにいたはずの場所には二本の脚があった。細く白い肌をした女の脚。それはしっかりと地面について立っていたが――上半身には何もなく、真っ赤な血と内臓がどろりと溢れ出していた。


 ぐう、と潰れた唸り声……と同時に、大量の血が口から漏れ出る。


 おい。


 おい、おい。


 あれは“俺の身体”の下半身じゃないか。


―――


 目の前が真っ赤に染まり、混濁した記憶が脳ミソの中を駆け巡る。呼吸が困難になり、やがて激痛が全身を襲う。身体が言うことを聞かなくなっていく。


 意識が薄れゆく。俺はまだ生きている。まだギリギリ生きている。


 それも終わった。














 死が訪れる。
















『生命活動の停止を確認』

『PERK:Undyingを発動。Respawnを実行』


―――


 本日の探索結果:発見済住人、なし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る