第5話
声を出せるものなら、そんな猫が居るか!と突っ込みたくなる。いや、その猫は私なんだけどね?
というかトイレを教えてもらったのは有難い。猫用トイレだとか言って用意された箱とかで、人目がある中で排泄なんて、さすがに出来ない。街中でも、流石に草むらとか見えない所を選んでいたからね!
――というか、護衛するのは確定なんですかね?
既に師匠の押しに対して、突っ込む事も忘れて、たじろいでいる王太子殿下は、猫が護衛である事に対する疑問をぶつける事すらしていない。
むしろ飼い方の指南を受けているようだ。……あれ?私、護衛だよね?
「ではイル。護衛のお仕事頑張ってね」
師匠は、そう言って私を下ろすと、そのまま部屋を出て行こうとする。
「……本気なのか……?」
そんな王太子殿下の声は、完全無視なのか聞こえていないのか。無情にも扉が閉まる音だけが響いた。
うん、師匠の王太子殿下への扱い、不敬にならないのかな?
思いながら、とりあえずその場へ座ろうとし、絨毯の柔らかさに気が付く。
……うん。これ、めちゃくちゃふわふわしてる。確実に高価なやつ!え、私、野良生活のままお風呂にも入ってないから汚れているんですけど!?てか足拭いてないよね!?
毛皮がなければ、真っ青になっているのが分かるだろう。下手に汚さないようにと、その場から動けなくなる。
今まで気が付かなかった事実に、呆然自失となり、どうしたもんかと王太子殿下に目を向ければ……そこには鼻の下を伸ばしたような、きびしい顔つきが破綻し笑顔満載の王太子殿下が居た。
一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる王太子殿下に、これは誰だと思いつつも後ずさる勇気もない。だって絨毯を汚してしまう。
逃げ場をなくした状態の私は、ただ王太子殿下が此方に向かってくるのを眺めるだけだ。
私の緊張など、気が付くわけもない王太子殿下は、私を持ち上げると……。
「イルと言うのか~! 可愛いなぁ~!」
「!!??」
ぎゅううううっと抱きしめ、甘い声を出した。
思わず固まっていれば、スリスリと頬ずりをして、「可愛い」「癒しだ」「天使だ」と連呼する。
うん、これは誰だろう。厳しくも優しく、気品溢れる王太子殿下だとは聞いた事があるけれど、今は真逆というか、ただの猫馬鹿じゃないだろうか。
「ブラッシングはして良いんだよな!?」
ハッ!と何かに気が付いたように叫べば、すぐに誰かを呼び、猫用のブラシや爪とぎ、クッション等を買ってくるよう命じていた。
……そこに遊び道具がないのは助かったと思うべきか。否、もう何が良くて何が悪いのか判断がつかない。
分かったのは、この王太子殿下は、とても猫が好きだと言う事くらいか。だから護衛と言いながらも猫を押し付けられるのを拒否する事もなく受け入れたんだな、と妙に納得できた。
――私は、猫。
自分に対して戒めるよう、その言葉を呟きながら、膝の上に乗せられて撫でられている現状を甘んじて受け入れる。むしろ師匠のように、所かまわず撫でくりまわされないだけマシとも言えるだろう。
「ん?何か……少し汚れていないか?」
(!!)
思わず耳を立ててしまう。
やっぱり!と思わざる負えないが、ここから逃げ出しても、豪華な部屋を汚してしまうだろうと思えば動けないわけで……。
「よし! すぐにブラシも届くだろうし、風呂に入るか!」
「にゃぁあああ!!」
嫌だ!という意味を込めて、叫ぶも、王太子殿下に通じるわけもなく、風呂場へと続く扉に向かわれる。ジタバタと手足を動かして抵抗するも、やはり猫。人間で、しかも鍛えている男の力に適うわけもなく。かと言って、身体をよじらせて逃げれば部屋を汚すわけで……。せいぜい爪を立てない猫パンチで抗議の意思を示すのだけれど、王太子殿下はそれすらも笑顔で見惚れている。
「嫌か~そうか。大丈夫だぞ、俺が丁寧に洗うからな~」
(それが嫌なんです!)
姿形は猫と言えど、私は伯爵令嬢!乙女!人間のメス……じゃない、女なんです!
いくら毛皮という名の服を着て居ようと、どうして洗われないといけないのか!いや、洗われるって事は色々触られるわけで!?
「にゃぁあああ!!!!」
そこまで気が付いて盛大に叫び、部屋が汚れる事なんてお構いなしに、身をよじって逃げようとするも、王太子殿下の腕から逃げ出す事は叶わず。
「あ~可愛いなぁ~」
しっかり抱きしめられ、というか身体に顔を埋められ、羞恥心で固まった私は、そのままお風呂場に連れ込まれた。
(早く終われ~!)
私が目を瞑っていても関係ないのだけれど、心情的に目を瞑ってしまう。
ゆっくりお湯をかけ、撫でるような手つきで洗う王太子殿下は、私……というか猫に対する優しさが見える。
洗われて、タオルドライをされた後、しっかり毛を乾かしてブラッシングしてくれて……うん、極楽。
普通の貴族……というか、義妹ならばお風呂で洗ってもらった後にマッサージ等をしてもらっている。そんな感じなのだろうかと、自分の身分を考えれば若干惨めな気持ちがうかぶけれど、お風呂に入れただけで充分幸せだ。
「よし、しっかり乾いたな!」
ブラシを片手に、満足そうに王太子殿下は言い、そのまましっかりと私の身体を撫でた。
(あ~もう好きにして……)
ここまでされれば、もう抵抗する気力もない。というか護衛の筈なのに、何でこんな至れり尽くせりなんだろう。
もうワケが分からないと言った感じで、考える事を放棄していれば、私をゆっくり抱き上げた王太子殿下は、何故か私のお腹に顔をうずめた。
(!?)
人は焦ると固まるというか、声も出せなくなるというのは、この事か。
思考回路が止まり、何も考えられない。というか、今この状態は現実ですか!?実際起こっている事なのですか!?と、現実逃避をしているかのような思考から始まった。
そして、抵抗しない私を良い事に王太子殿下は、まさかのまさか!私を吸ったのだ。
「あぁ~イルは良い匂いだなぁ~」
「にゃぁああああ!!!???」
挙句、言葉にまで表されるとか、どんな羞恥よ!
思わず手足をバタつかせて、その手から逃れようとするけれど、腕の下をしっかり抱きかかえられているので、なかなか抜け出せない。
けれど、そこは猫の身体。特有の滑らかな動きで逃れると、見事に床へ着地した。……といっても、ふかふか絨毯。肉球で衝撃を吸収するより、絨毯で衝撃が吸収されている。……高級なものって凄い……。
「照れてるのか? イルはメスだからな~」
どこを見て言ったんだ!むしろどこを見たんだ!!ナニを見たんだー!!
思わず怒鳴ってしまいたくなる衝撃を、なけなしに残っている理性で何とか押しとどめる。というか、羞恥心で言葉すら発せられない。
こんな事があるんだと、頭のどこか冷静な部分で思うのは、ただの現実逃避でしかないのだろうけれど。人間、驚きすぎるとこんな事になるんだと初めて知った。
「よし! じゃあ一緒に寝るか!」
続いた言葉に毛を逆立て、逃げ回った。しかし、そんな私を気にする事もなく、自分の欲を優先する王太子殿下にしっかり捕まれば、そのままベッドに連行された。……がっちりと抱きしめられたまま。
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