第15話
「イル! やめろ!」
師匠の声がうっすらと聞こえた……けれど、止めない。
力の全てを王太子殿下へと注ごうとすれば、他にかかっていた魔力配給までもが奪われていく感覚がした。
意識が……うっすらとしてくる。脳がボーッとする。目を開けてもいられない。
けれど、止めない。
「イル!!」
「……っ!――――っ!!」
意識が途切れる瞬間、師匠の声と、誰か他の声も聞こえた気がする。
倒れる瞬間、私の身体は温かいものに包まれたような感覚で……それはとても安心できるものだと本能で理解していた。
何とか薄っすら瞳を開ければ、そこにあったのはサファイアのような青で……私の意識は、そこで途切れた。
◇
肌ざわりの良い布が身体に纏わりついていて、薄っすら瞳を開ければ、見ただけで豪華さが伺える見知った天井。だけど、いつもと違うのは、頭の下に何かがあるという事だ。
……これは……枕?
ボーッとして今だ働かない頭でも、いつも側にある人の温もりがない事だけは理解して、周囲を見渡せば、ベッドの横に王太子殿下が居た。しかも添い寝ではなく、何故かベッド脇に椅子を置いて座って此方を見ている。
(刺客は……)
とりあえず、いつも通りに刺客の気配がないか魔法を展開させるけれど、どこか気だるさが抜けきらない。
「大丈夫だよ、ティルトン伯爵令嬢」
――は?
今、この王太子殿下は何と言った?
イルではなく、ティルトン伯爵令嬢と言った?
……は?…………え??
一瞬にして脳内が混乱を起こし、私は思わず自分の手を見れば、そこにあるのは紛れもない五本指。まさしく人間の手であり、腕も人間のものだ。
――は??
……え?今、何が起こっているの?
頭の中を整理するより先に、バッと布団を頭から被った時だった。
「マーガレット!」
ノックもなく、声と共に扉は開かれ、バタバタとした足音がかけつけてきた。
――お父様。
懐かしい声で呼ばれた私の名前。滅多に会う事もなく、顔を合わせる事もない。
けれど、私はその声に、嬉しさとか懐かしいなんて思うわけでもなく……ただ、猫になって逃げる事が出来ない現状に頭を悩ませた。
何で?どうして?
そこまで考えて、私は意識を失う寸前の事を思い出す。
確か、力尽きて……そこで、多分猫の変化が解けただろう感覚。
――王太子殿下が、生きている。
その事に嬉しさを覚えると同時に、猫であった事がバレている絶望。不敬だと処されるのだろうか。例え処されなかったとしても、お父様が帰って来た以上、シェリーの事で何か咎められるのかもしれない。家に戻されるのかもしれない。
「意識を取り戻したばかりですので、お静かに。ティルトン伯爵」
シーツの中で震えていれば、圧のこもった王太子殿下の声が響き、私の事を思う言葉に何故か胸が温かくなった。
「申し訳ございません、王太子殿下。……しかし、一体何があったのですか!」
――ビクッ!
お父様は静かに謝罪をしたけれど、そのすぐ後には興奮したように王太子殿下へ詰め寄った。
何があったか……どこから、何を説明すれば……。
……話したところで、どうにもならないだろうという諦めが私の心を占める。
「家督責任があると思うよ。」
威圧するように、静かに怒気が籠った声で、王太子殿下は放った。
「……自分の口から話す? それとも俺の口から話そうか? ……イル」
優しく……優しく私に発せられた王太子殿下の声。いつものように、猫の時と同じように……愛しさを込めて呼ばれた名前に、私はシーツから顔を出せば、王太子殿下と目が合った。
いつもと変わらず、優しく微笑むその顔に、私はホッと安堵の息をついた。
何故かは分からない……けれど、大丈夫だと。王太子殿下は私をぞんざいに扱わないと。絶対的な信頼がおけた為、私は上半身を起こし、ポツリポツリと話し出した。
猫の姿で王太子殿下の護衛をしていた事。呪いの事。
何故そんな事になったのかと訊ねられたら、家を出た事。師匠の事。
どうして家を出たのか、家に居る時から何故そんな危険な事をしたのかと聞かれたから、婚約破棄の事。そして、家での扱いの事。
どうして、そんな事を聞くのだろう、と首を傾げながらも、話した。
だって、家の中での事はお父様もご存じの筈。お父様は聞くにつれ、プルプルと身体を震わせていっているのは、王太子殿下にティルトン伯爵家の恥を知られてしまっているからだろう。
……けれど、王太子殿下の言葉的に、ティルトン伯爵家の内部……そして私の事は全部知っていそうな口ぶりだったから今更に思う。王太子殿下が言うか、私が言うかだけの違いだ。
――私は愛されず望まれない子なのでしょう。
それでも、私の口から説明を……と、言葉にした時、お父様はガバッと顔をあげた。その顔は怒りに満ちているのか、顔を真っ赤にして目は血走っている。
「あの……ただの居候風情が!!」
「え?」
お父様が叫んだ言葉に、私はポカンと口をあけた。
居候……?誰が?私が?
「私の娘が地味で魔法馬鹿だから婚約破棄だぁ!? コルダ侯爵に抗議してやる! あぁ、その前にすぐ家へ帰って使用人達を一掃しなければ!」
「落ち着いて、ティルトン伯爵」
「呪いに関連する事へと手を染めるなど、居候と言えど伯爵家の汚名! シェリーめ!」
あ……あれ?
居候って……シェリー?お父様は養子縁組をしていない……?というか、何故ここまで怒っているの?
今にも特大な攻撃魔法を放ちそうな勢いで殺気を上げ、憤怒の形相をするお父様など、今まで見た事もない。というか、そもそも会う事自体が珍しい事だったけれど。
「だから家督責任だと言っただろう……その話は後だ。……イル」
怒りを露わにするお父様に威圧をかける。確かに王太子殿下の部屋で暴れるのは良くない……って、あれ?王太子殿下の部屋……。
そこへ王太子殿下が私の方へと何故か跪き、私は顔色を真っ青を超え、真っ白へと染め上げた。
「僕と婚約して欲しい」
サラッと言われた言葉と共に、紙が掲げられる。
は?
え?
どういうこと?
ん??
頭の中に疑問符が駆け巡る。お父様も同じなのか、怒っていたのが嘘のように口をあけ、呆気にとられている。
「……王太子殿下……それは?」
お父様が掲げられた紙を訪ね、覗き込む。私も目には入っているのだけれど……その内容は現実とは思えない。
「ん? 王命だよ?」
あれ?私、もしかして死んだ?
実はこれ、死後の夢とか幻とか、そういう類じゃないの?……え?私、王太子殿下の事が好きだったのかな?だから、こんな夢見てるのかな。
お父様も自分の頬を思いっきりつねって引っ張り出した。
「夢じゃないよ?現実だからね。生きているからね」
どうして私の考えている事がわかったのだろうか。淑女として、感情を表情に出さないというものは習ったけれど、如何せん人と接する事がほとんどなかった私だ。実戦経験は皆無。
「……娘は幸せにしてくれる殿方の所へしか嫁がせません!」
我に返っただろうお父様が叫んだ内容に、私は驚き目を見開いた。
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