第20話

 そんな初めての社交界。

 挨拶にダンスと、私は完全に疲れ切っていて、出来ればもう二度と出たくないなんて思いながら、泥のように眠りへとついた。






「俺の婚約者様は、いつになったら俺の事を名前で呼んでくれるんだろうなぁ……」

「……ご本人に言ってください」


 王太子殿下が誰かに聞かせるかのように、大きなため息をつきながら言葉を吐けば、側近は言葉を選びながらも返した。

 いつもの執務室。それは人間であった事が知られ、婚約者となっても変わらず、私は此処に居る。まぁ、実績はあったから護衛も兼ねて、というわけだけれど。それでも側近や従者の人に私が猫へと変化していた事を話せば、何かしら複雑な気持ちになって、今までと対応が変わるのではと思ったが、全くそんな事はなかった。

 むしろ王太子殿下の側近と従者だけあり、師匠が出した刺客達……つまり、私が師匠に確保させていた者達の人数に、驚きと感謝の念を示されたのだ。


「どう思う? イル」


 うぅう……。

 そんな私は今、チェストの下に隠れている。……猫の姿で。

 人間だとバレたのだから、人の姿で良いじゃないかと思った。思っていた。だけれど、人の姿で居ても王太子殿下の行動は同じなのだ。

 私を膝に座らせようとし、優しく髪を撫でながら仕事をしようとする。……いや、邪魔だよね!?猫ほど小さくないし、視界遮ってるよね!?

 しかし王太子殿下はそんな事をものともしないのか、関係ないのか。私を話すまいと抱き寄せたりした為、私の心臓が限界に達して、猫へと変化し逃げたのが今。


「にゃぁ……」


 人の姿で触れ合いが多い事にも慣れないし、むしろ今までろくに人間関係を築く事が出来なかった私にとってはハードルが高すぎるのだ。

 更には名前呼び。うん、もう心臓の鼓動が大きすぎて、喉元から出てきそうだよ。自分で自分の心臓の音が聞こえるよ。名前で呼んでほしくて、私が居るのに、わざわざ言ったのだろうけれど。


「イルは今日も可愛いなぁあああ!!!」


 誤魔化すように鳴き真似をすれば、王太子殿下が叫んでこちらに来ようとした為、私は一目散に逃げだした。

 あぁああ、まだ心臓が落ち着かないの!落ち着かないから!

 せめて最初から猫の姿で居れば……とも思ったけれど、今も変わらず四六時中、護衛だ。しかも婚約者だから良いだろう、なんて同衾の既成事実まで逆手に取られ、常に一緒に居る。

 ……常に猫の姿で居ないといけないのか?


「殿下、ご報告がございます」


 今まさに追いかけっこが始まろうとしていた時、従者が書類を持って部屋へとやってきた。

 ナイスタイミングと言わざるおえない。

 私は従者の後ろへ隠れるように逃げれば、王太子殿下は少しイラッとした表情を見せたが、気にしない事とした。


「では1つ目、ティルトン伯爵家の簒奪を企てた者の報告します」


 そういって従者は1つの書類に目を通した。

 まだ、あの場から数日だと言うのに、色々と動いたのだろう。国の上層部になればなるほど、早く行動しないと手遅れになる事は多々ある。だからこそ高位貴族は先を見て機敏に動くのだろうけれど。


「処刑と国外追放が決定いたしました」


 坦々と放たれた声。しかし、私と王太子殿下は驚く事すらしなかった。

 元義母は伯爵家の簒奪を企てたとして処刑されて当たり前。シェリーに関しても同じ処罰が下されるかと思ったのだけれど、シェリーはあくまで居候の立場だった。簒奪を目論んだとしても、色々な書類でそれが叶わないという浅はかな行いすぎた為、国外追放となったと従者が説明した。

 ……もう生きてはいないだろう。幼い頃に伯爵家へやってきた時から、甘い生活を送り続けていたのだから。それは実質、処刑と違わないのではないか。


「そして、エリック・コルダは侯爵家から破門となりました」

「知っている……イルの所へいち早く報告と謝罪に来たからな」


 そうなのだ。

 お父様に謝罪へと行ったコルダ侯爵は、そのままお父様と共に私の元へと謝罪に来た。実の父として思う所はなかったのか問うと、コルダ侯爵は苦悶の表情を少し見せながらも教えてくれた。

 少しでもチャンスを与えたかった事。しかし、貴族としてだけでなく、婿養子になるならば自分で気が付かねばならない。だからこそ時間を与える、自分が反対するという形で、自らが動き調べ、気が付く事を望んでいたと。

 まぁ、王城で王太子殿下の婚約パーティであそこまでしては、いくら実の息子だろうと……守りたい存在であろうと、自分は貴族だ。心の鬼にしての処罰を下したと言った。

 それを聞いていたお父様は苦虫を嚙み潰したような表情をしていたけれど。どこか分かるところもあるのだろう。同じ親として。


「あぁ、ならティルトン家が侯爵家になったのも知っておりますね」


 従者の言葉に、私は猫の姿のまま項垂れた。これが俗に良くゴメン寝、だろう。

 何故か我が伯爵家は侯爵家へと格上げになったのだ。

 元々、国の攻防を担っていたけれど、格上げなんて面倒くさい事に先祖代々興味がなかった為に断っていたそうだ。……分かる。研究さえ出来たら良いのだもの。過ぎたる権力や地位、金なんて面倒なだけ。

 だけれど、今回の事があった上に、次期王太子妃を輩出するという事で逃れられなくなったらしい。否、お父様はティルトン伯爵家が乗っ取られそうになったという家督責任を盾に逃れようとしたらしいけれど。……家の恥を、逃れる為に使った所で、国王陛下は逃してくれなかったようだ。

 これでティルトン伯爵家は、更に国に対し縛られる事になるだろう。






「項垂れるイルも可愛いなぁ~!」


 デレデレとした王太子殿下の声に、私はハッと顔を上げて、一目散に走り出した。このままだと抱きしめられて優しく撫で回されるのは必須!

 流石に人間だと知られた後では、私の羞恥心が違う~!

 一度、人の姿に戻って執務室の扉を開けた私は、猫の姿に戻って廊下を駆けだした。やはり四足歩行は慣れれば早いのだ。


「イル~~!!」


 悲しそうな王太子殿下の声が響いたけれど、昼間の執務室はそれなりに王城の護衛も含めて多いのだ。いつもこの時間は私も一緒に居なかったし。と、自分の中で言い訳をした。







「私のどこが良いのか……」

「それ、殿下の前で言ったら、延々と愛を囁かれた上に離してもらえなくなるよ」

「…………」


 逃げた師匠の部屋で、魔法具を作りながら呟けば、師匠からゾッとするような内容が返ってきて、思わず口を閉じた。

 だけど言わずにはいられない。日々の不満ではないけれど、混乱やどうして良いのか分からないと言った感情が溢れているのだろう。愚痴を言う、という人は、こんな感情を口に出して整理する為なのだろうか。


「でも! やりすぎなんです……人でも猫だろうとも関係なく、膝に乗せようとしたり、触れたり……」

「触れ合いが多くて仲睦まじくて良いじゃないか。人と猫で態度に差があれば嫌だろう?」

「そう……ですけど……でも!」


 思わず俯いた。色々と吐き出して聞いてもらいたい事はある。それでいて意見を伺いたい所もあるのだけれど……。

 首を傾げて分からないと言った様子の師匠に、私は覚悟を決めて顔をあげた。


「猫の時と同じように髪をとかそうとしたり……抱きしめて一緒に寝ようとしたり……一緒にお風呂入ろうとしたり……!」

「うん!?」


 ガシャッ! パリーンッ!!


 師匠は、よくわからない声を出して、持っていた瓶を落とし割った。動揺を思いっきり外に出したのだろう師匠は、私の方へギギギッと音がしそうな動きで首を向けて、縋るような瞳で、ゆっくりと口を開いた。


「え?でも猫の時にだってお風呂は一緒に入っていないよね?」


 同衾に対しては師匠も知っているのか、スルーしたけれど、まさか一緒にお風呂!?と言った感じだ。

 ……そこまでの反応をされれば、やはり自分がありえない事をしたというのは理解できるのだけれど……いや、あれは逃げられなかった。猫だったし!猫だったんだし!!


「……丁寧にしっかり洗われていました……」


 師匠の方へ視線を向ける事が出来ず、顔を背けながら言った私に、師匠は完全に固まってしまった。

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