第2話

 こうやって小屋である部屋を眺めていても、伯爵家のお金で買ってもらったものなんてない。まぁ壊れたテーブルや藁、ゴミのように積まれた箱は、伯爵家の物ではあるだろうけれど。


 ――私って、一体なんだったんだろう。


 改めて自分の置かれた状況を眺めてみると、本当に何もない。

 なさすぎて、惨めだ。


「もう……疲れたなぁ……」


 危険が付きまとうとはいえ、魔物の討伐は楽だ。

 だけれど……人間は嫌いだ。表面と内面では全く違う。腹の内なんて分からないのだから。

 ……まぁ、こうやって存在を無視されている方がマシなのかもしれないけれど……。既に、自分が人間であるという事にも嫌気が刺し、気分が滅入るし疲れ果てた。

 人間で居れば、人間と関わらなくてはいけない。まぁ、確かに魔法具を売ったり、冒険者ギルドで魔物討伐をしたり、ご飯を買うのに関わる必要はあるが……本当に最小限にしたい。


 ――そうだ、猫にでもなろう。


 猫になって、日々を過ごそう。そうすれば人との関わりを最小限に出来るだろう。

 そう思って私は、自身に細かい魔法をかけ、身体を変化させる事にした。

 仮にも一応伯爵令嬢として籍を置いているのだ。いきなり消えれば体裁を整える為にも探すという行動が起こるかもしれない。

 ……まぁ、病死したとか言いそうだけれど。その方が婚約者の変更もすんなりいくだろうし。

 でも、もうそういった全てが煩わしいと思える中、ゆっくりと身体が縮んで骨格が変化する奇妙な感覚を覚える。ギシギシと肉体が無理やり捻じ曲げられる気持ちの悪さから抜け出せば、私の手は亜麻色の毛にまとわれ、肉球もついていた。


「多分……成功?」


 この部屋に鏡なんて物はない。だから実際自分が猫になれたかどうかは分からないけれど……手……いや、前足を見れば猫であると思える。

 荷物……というか、研究の材料や魔法具は全部空間魔法へ収納した。

 ゴミ置き場とも思える何もない部屋を一瞥して……私は、そのまま外へ飛び出した。




 ◇




 甘かった、と言わざるおえない。

 馴染みの店で魔法具を売って、お金を作り、ついでに冒険者ギルドへ行って魔物討伐をして、討伐金を貰う。そして宿をとった……までは良かった。

 お金もあって、稼ぐ手段もあって、その時だけ人で居れば良いと思っていた。しかし、何故か家出した翌日には、私が家出したという噂が広まっていたのだ。挙句の果てには、街をうろつく兵達が増えたし、宿屋にまで聞き込みに来ていた。

 そうなれば……宿屋に止まる事も、冒険者ギルドで依頼を受ける事も難しいというわけで……。


「しまったなぁ……」

「ねぇねぇ、聞いた?」


 猫の姿で路地裏をウロつきながら呟いていれば、大通りから人の話し声が聞こえた。


「ティルトン伯爵家の令嬢が家を出たって!」

「貴族のご令嬢が? 一体どんな遊びなの?」

「どうやら悪逆非道な令嬢で、義理の妹を虐めていたらしいわよ」

「それを! 公爵令息が助けたらしいわ! お優しい……」

「でもそれ、姉の婚約者だったというじゃない」

「自分の婚約者でも、悪い所をきちんと戒める令息だったのよ」

「それで二人は恋仲になったとか……」

「そもそもが、あまりに酷くて耐えかねていたところもあるみたいよ」


 娘達の井戸端会議が聞こえる所で座り、聞き耳をたてる。

 すぐにこんな噂を流すとは、ある意味でやり手だなと義母や義妹に感心する。私なんかより、余程腹黒貴族社会に適しているだろう。


「貴族令嬢にあるまじき行動だから、恥ずかしくなって逃げたらしいわ」

「けれど、伯爵家と侯爵家は許すつもりで探しているとかって」

「お優しいわねぇ」

「私達の税金で我儘やってるとしたら、私は許せないわよ!」

「そうね! 探さなくても良いのに!」


 事実とは全く違う美談が広がっている事に、私はため息をついた。

 どうせもう、今更だという事も理解している。

 私が何を言ったところで、どうせ変わらない。

 信頼もなければ愛されてもいない。必要とされてもいない人間の話なんて、誰が聞くと言うのだろう。


 ――勝手にやっていれば良い。


 全てに諦めていた私は、そんな感想しか抱かない。というか、他に思う事がない。

 私は、そろそろ今夜の寝床となる穴倉を探さねばと思い、立ち上がって身をひるがえすと……。


「あー! 猫だ!」

「あっち行けー!」


 子ども達が私を指さして叫ぶ。

 やばいと思って隠れる場所を探すも、身を隠せるような所なんてなく、その思考で一瞬動きが鈍った私に対し、子どもは石を拾って投げつけてきた。


「このやろー!」

「ゴミは漁っちゃいけないんだ!」


 ゴミなんて漁っていない!

 だけど、そんな事を猫の姿で言えるわけない。化け猫扱いされて殺されるのがオチだろう。

 一瞬の躊躇で、いくつかの石が当たり、頭からは微かに血が流れ出したのか、温かいものが伝った。魔法を使って当たらないようにしたり、回復したりする事も出来るけれど、今はまずこの場から逃げる事を優先し、私は一目散に駆けだした。






「……あ、雪……?」


 城壁の近くまで来れば、少しなりとも緊張の糸がほぐれたのだろう。私は雪が降っている事に気が付いた。

 そういえば冬だったな。

 自覚してしまえば寒さが襲う。いくら毛皮を纏っていようとも、寒いものは寒い。


 ――私が生きている意味って、何なのだろう。


 しんどい、つらい。

 そんな思いが頭を駆け巡れば、余計な事まで考えてしまう。

 人間でいるのも嫌で、猫として生きるのも大変で……我儘言っていたって仕方ないけれど、私という存在が認められて居ない世界では、生きているという事そのものが曖昧すぎるのではないのか。


「どうしようかな……」


 王都を出て、どこか森の中で暮らそうか。見つからないような奥深くで、誰も私だと分からないような所へ。……隣国近くの辺境が良いかな。じゃあ、その為にも路銀を……。


「って、無理じゃない」


 人の姿で歩いていれば、すぐに見つかって伯爵家に戻される可能性が高い。

 思わず涙が零れる。

 猫も涙を流せるんだな、なんて思いながら、前足で涙を拭えば、怪我をしたところの血が固まっている事にも気が付く。何度か猫が顔を洗うような仕草をしていれば、その前足も少しずつ雪が積もってきた。

 このままでは、凍死してもおかしくない。まずは寒さを凌げる寝床を探そうと思うが、凍死もありかと思う自分が居る。


 ――もう、良いか。


 その場に座り込み、雪が舞い落ちてくる空を見上げれば、私を覗き込むよう人影が落ち、私に語り掛けた。


「こんな所に居たのですか」

「師匠!?」


 猫の姿とか関係なく、私はその人物に驚き、声をあげた。

 翡翠色の髪に紫の瞳。身長は190と高めで、それなりに筋肉もついている。整った顔立ちをしているけれど、目つきは少しだけ厳しい彼は、この国で賢者と呼ばれる存在だ。

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