第3話

「行きますよ」


 師匠は私を抱き上げ、ローブの中に隠すよう包み込む。いや、仮にも私、女ですけれど!?猫の姿でも令嬢ですが!?と抗議の声を上げようとしたが、心地いい温かさに瞼が沈み始めた。

 そういえば……人の温もりに触れるのは、どれくらいぶりだろう。

 はるか昔、もう思い出せない位、前だった気がする。


「ゆっくり休んでいて良いですよ」


 どこに行くのか、とか。何故師匠が此処に居るのだとか、聞きたい事は沢山あったのだけれど、私は撫でられる心地よさに、意識を眠らせてしまっていた。




 師匠との出会いは、冒険者ギルドの依頼で魔物を討伐していた時だ。ウルフの群れに襲われていた時、手助けしてくれたのが師匠だった。

 「魔法の使い方がお上手ですね」と、それだけ言って別れた師匠と次に会ったのは、魔法具の店。その日に食べる物を得る為に売っている時、師匠がその店にやってきて、私の魔法具作りの才に驚き目を見開いていた。

 魔法も上手に使い、魔法具の性能も良いと、私の才能を見出して「私の弟子になりませんか?」と笑いながら言ってくれた師匠に即答した。……その後で賢者だと知ったのだけれど。

 そこからは一緒に討伐へ行って、魔法の訓練を行ったり、採取をしたり、たまに魔法具の事でも相談しあったりもする仲だ。


 ふと、ふわふわした物に身体を包まれる感覚に、違和感を覚えて目を覚ます。


「あ、起きましたか? イル」


 イルとは、私が使っている愛称というか、別名だ。ギルドの登録名もイルにしてある。


「あれ? 師匠? なんで?」

「猫が人の言葉を話しているなんて、不思議な感じですねぇ」


 師匠がそう言いながら、まじまじと私を見て、私は今現在、自分が猫の姿で居るという事を思い出した。


「えっ!? あ、何で私だと分かったんですか!?」

「魔力のオーラは人によって違いますしねぇ」


 人を顔ではなく、オーラで判断しているのか、師匠は。初めて知った……というか、そんなものがあるのか。

 驚き、立ち上がろうとした私は、柔らかい足元に足をとられ、上手く立てずにポスンと再度座り込む。ふみふみと前足で感触を確かめ、目で見れば、籠の中に柔らかいクッションがひかれていて、そこに私は入れられているようだ。

 え、何これ。こんな高そうな物に触れるなんて、人間でいた時すらもなかったのに……今は汚れた猫の姿。人の姿だったならば、顔色は真っ青になっていただろう。

 足元がふらつきながらも、早くこんな高級そうなクッションから逃げなくては!と、籠から出ようとすれば、師匠が私を持ち上げ、じろじろ眺める。


「師匠!?」

「しかし、変身魔法なんて今まで見た事なかったなぁ」


 師匠でも見た事ない魔法があるのか。いや、確かに書物で残ってはいたけれど、実際これはかなり高度な魔法ではある。常に魔法を細やかに身をまとわないといけない為、かなりの集中力を要するし、魔法の加減を間違えれば四肢がはじけ飛んでもおかしくないのだ。

 だからこそ、実用している人が居なくても仕方がないのではないだろうか。


「身体の作りはどうなっているんだい? 四足歩行は苦ではないのか? ちょっと失礼するよ」


 師匠は私をテーブルの上に仰向け……つまり、お腹を丸出しにした状態でのせて、色んな所を触り始めた。


「……うん、身体の作りは普通の猫と全く変わりないね」

「レディを撫でくりまわさないでくれます!?」


 いくら猫の姿と言っても、私は一応令嬢である。つまり、女だ。あちこち触られたら恥ずかしくもある。そりゃ師匠は魔法の成果にだけ興味がある人だと理解していてもだ。恥ずかしいものは恥ずかしい。というか、そう女性に触れるものではない。撫でまわすなんて言語道断!


「凄い! 本当に普通の猫と変わりない!」

「どこ触ってるんですか!?」


 師匠の手が、尻尾や後ろ足にまで伸びてきた為、私は必死になって逃げだした。爪を出さない猫パンチを繰り広げた事は褒めてもらいたい。本当なら噛みつくくらいしたかった。それ程に恥ずかしかったのだから。


「あぁ、すまないね。紅茶やお菓子は……猫に大丈夫なのか?」


 謝りながら、紅茶を入れてクッキーを差し出しながらも、疑問に思った師匠は首をかしげたけれど、私はそんなの気にしないとばかりに紅茶を舐めてクッキーを食べた。

 泥水を啜って、雑草を食べる事に比べたら、遥かにマシだろう。どちらにしろ食べて死ぬならば、美味しいものである方が良い。

 空腹になっていた私は一心不乱に飲み食いしていれば、師匠の身体が震えている。どうかしたのだろうかと顔をあげれば、師匠は目を見開いて顔を真っ赤にしていた。


「凄い……これは凄いぞ!」

「へ?」


 興奮しきった師匠は、私をガッと掴むと、思いっきり揺さぶった。

 いや、そんな人の肩を揺さぶる感覚でしないで!私は今、猫なの!めちゃくちゃ揺れるし、自分の身体を支えきれない!


「高度な魔法操作をしながら、会話をして、更には飲み食いまで出来る!これは……凄い!」

「…………」


 確かに、高度な魔法操作をするには、かなりの集中力を要する。そんな状態で会話したり飲み食いしたりは難しいだろう……けれど!

 こちらとしては空腹になるし、いっそ四肢がはじけ飛ぶ位どうとでも良いという思いがあるわけで……いや、これを言ってはいけない気がする。

 興奮冷めやらぬ師匠を、チベットスナギツネのような顔で眺めながら、私はため息を吐いた。

 家出の為に使う、高度な魔法操作。むしろ才能の無駄遣いと言われている気がする。まぁ、違わないけれど。


「あ、そうだ。イル」


 興奮が収まったのか、師匠は急に真面目な顔つきになって私の名を呼びながら、こちらに振り返った。


「街中で人の姿に戻らない方が良いし、猫の姿でもあまり外へは出ない方が良いだろう」


 師匠の言葉に、猫耳がピクリと動く。

 猫の姿でもというのは、師匠のように魔力のオーラで個を判別する人に出会わないようにか。


「……街で、私のよくない噂を聞きましたが……」

「あぁ……確かに、そのような噂が王都中に巡っている」


 恐る恐ると言った感じで訊ねれば、師匠は言いにくそうに答えた。

 王都中という事は、平民達だけでなく、王侯貴族全てに流されているという事か。……流石、噂好きの貴族達だ。

 義母や義妹は着飾る事や茶会が大好きで、パーティがあれば必ず参加する。ここぞとばかりに広めたのだろう……そういった話が大好きな貴族達に見事もてはやされた事だろう。

 だけれど……そこに私への気遣いはあるのだろうか。むしろ家名は?汚されているようなものだ。

 最低限とは言え、学んでいた淑女教育から、こういうマナーくらいは私ですら分かっているのに。


「でも、仕事をしないと……」

「当たり前だろう?ただ飯を食べさせるつもりはないよ」


 溜息をつきながらも、私は吐き出せば、師匠も肩をすくめて答えた。

 それもそうだ。生きるだけでお金は必要になる。というか、猫として生きるも、もう充分痛い目を見て来た気がする。


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