第10話

 王太子殿下の名前が呼ばれると扉が開かれると、会場内からは騒めきが起こる。そんな事など気にせず、足を進める王太子殿下の腕で、むしろ私が恐縮する。

 ……視線が突き刺さっている事なんて、見なくても分かるくらい、人々の殿下だわ!という声が耳につくのだ。意外と猫を抱いている事に関しての言葉が聞こえないのは、予想外だけれど。


「殿下! 私とダンスを踊っていただけますか?」

「お久しぶりでございます! 是非とも私と……」

「いえいえ、私と」


 階段を降り、会場へと足を踏み入れれば、令嬢達がこぞって集まってきては、王太子殿下に声をかける。

 ……いいのか、不躾に声をかけても。

 なんて思いながらも、私は王太子殿下の腕で大人しくしている。気分はぬいぐるみだ。人が集まりすぎていて、何故か私が吐きそうな位に緊張してしまう。……怖いよー。


「申し訳ない、ご令嬢方。私はこの娘をエスコートしているので」


 王太子殿下は、そう令嬢達に断りを入れると、更にギュッと私を抱きしめ、頭にキスを落とした。

 キャーッ!という令嬢達の声や、少し後ずさるヒールの音、乾いた笑い。令嬢達の反応も様々だ。……まぁ、猫をエスコートとか意味が分からないしね。

 そんな事を思いながらも、王太子殿下の腕に抱かれたまま呆れていると、私はもう二度と会いたくなかった二人を見つけた。


 ――国中の貴族が集まる。


 そうだ。……忘れていた。

 私が出ていなかった事がありえない事で……あの二人は、ここに居てもおかしくないのだ。

 義妹のシェリーと、元婚約者のエリック・コルダ侯爵令息。

 二人は仲睦まじく腕を組んでいて、その距離は近い。


 ――見たくない。


 そう思って、王太子殿下の胸へ、更に顔を押し付けるようにするも、猫の耳はしっかり声を拾うわけで……。


「どうした? イル」


 心配して声をかけてくれるも、私は不安な気持ちから、必死に王太子殿下へしがみ付いてしまう。そんな事をしても、見えなくなるだけで、聞こえなくなるわけではないのに。


「貴族のご令嬢が行方不明ですって?」

「伯爵家としては大変不名誉な事ね」

「悪逆非道だったというし、どちらにせよ貴族の名を汚しているわ」


 会話の内容は確実に私の事だろう。

 クスクスと笑いながら嫌味を含んだ言葉が、二人に投げかけられている。


「そんな事ありませんわ。ただ体調を崩しているだけで……」

「あら? でも、お二人仲睦つまじいではないですか? 噂通りな事で」


 二人の距離を指摘され、言葉を詰まらせていた。

 というか、体調を崩している?どうしてそんな嘘を?

 既に義妹を虐めていた悪逆非道で、エリックが助け出し、家出をしたという噂は王都中を駆け巡っているというのに。


「シェリー嬢の体調があまりよろしくなく、支えているのですよ」

「あら? 体調不良のマーガレット様に虐められでもしたのかしら?」

「それをエリック様が助け出して、舞踏会へ逃げてこられたのかしら?」


 追撃するよう、二人に言葉が投げかけられる。

 その反応や返しで……予測するのだろうか。それとも、今この状況を楽しんでいるのだろうか。ハッキリ物を言わない……否、言えない貴族達の陰湿なお遊びみたいなものだ。


「いえ、あの……少し風にあたって涼しんできますわ」

「そうだな。顔色が悪い」


 二人は居心地が悪いのか、そんな事を言えば逃げるように会場の隅へと歩いて行く足音が聞こえた。


 ――何をやっているのだろう。


 二人ならば噂を事実とした上、もっと私を貶めそうな事を言ってもおかしくないと思っていたのだけれど。と、そこまで思ってから気が付いた。そういえば、未だに二人が婚約したという話を聞いていないと言う事に。街でも……そしてさっきもだ。

 距離が近い事は言われていたけれど、婚約したとは言っていなかった。それに……私と婚約破棄をしたという事も。


 ――政略結婚の意味も分からないのでしょう。

 ――使えない愚かな貴族など必要ない。


 王太子殿下達の会話が蘇る。

 貴族の責務……政略結婚。果たしていないと言うのであれば、それは私も同じだ。

 ……だって、今こうやって逃げ出しているのだから。


「見まして? あの二人」

「適切な距離感をわきまえずに……はしたない」

「噂はどこまで本当なのでしょう……しかし、シェリー様は本当に淑女なのかしら」


 二人が居なくなった後、堂々と非難の声を上げる。そいつらの顔を見ようと視線を向ければ……いやらしく口角を上げて、馬鹿にしたような、見下したような……悪意のこもった醜い顔で笑っている。


 ――気持ち悪い。


 人により広められる、悪意ある噂話。裏に潜んだ負の感情。表情と内面の違い。腹の探り合い。


「お久しぶりですね、王太子殿下」


 義妹達に気を取られている間に、王太子殿下へと近づき声をかけてくる貴族達。その中には、反王太子派もいるわけで……。

 表面上はとても良い笑顔で、実情を知らなければ穏やかな人間関係なのだろうと思える。

 ……そんな全てに、鳥肌が立った。


 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。


 良好な人間関係の為に……というレベルではない。

 むしろ人を引きずり落とす為の行為に笑顔をいう仮面をつけ、気が付かれないように裏で暗躍する。しかも、それは生きる為というよりも、自分の欲望を満たす為で……そんな事をするのなんて人間だけだ。


「あっ! おい!?」


 思わず王太子殿下の腕から逃げ出した。

 護衛の仕事があるのは頭の片隅で理解している……理解しているけれど、限界だ。

 気持ち悪さからゾワゾワと背筋に寒気が走る。胃から何かが込み上げてきそうだ。頭がクラクラして、眩暈すら覚える。


 ――私に、こういう場所は向いていない。


 猫の姿なのに……否、猫の姿だからこそ、問答無用で人の裏を垣間見てしまう。

 師匠に申し訳ないという気持ちがありつつも、私は王太子殿下の声を無視して、ただひたすら外へと出る扉に向かって全力疾走をした。






(情けない……)


 一人、王城の中庭を歩きながら、落ち込む。

 耐えろとか、我慢しろとか……言う事は簡単だけれど、実際どうやっているのだろう。

 人気のない所へ向かい、トボトボと歩いて行けば、またも聞き覚えのある声を耳にした。


「お義父様がもうすぐ帰ってきてしまうのよ! どうするの!?」

「どうすると言われても……」

(何でこんな所に!?)


 シェリーとエリックが口論している様子に、思わず木陰へと隠れる。いくら猫の姿でも見つかりたくないし、出来るものならば、この場から気が付かれないよう立ち去りたいのだけれど……。


「どうして未だにお義姉様との婚約も破棄されていないのよ!」


 焦ったように怒鳴るシェリーの言葉に、足を止め、耳を動かしてしまう。

 確かに、何故まだ婚約破棄がされていないのか……自身に関わる事だから……と、無作法ながらも、その場で聞き耳をたてた。

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