第11話

「仕方ないだろう! 父上がまさかこの婚約に反対するなど思っていなかったんだ! それにティルトン伯は、あんな地味で貴族の責務を果たさないマーガレットなぞ、自分の娘と認めていないと言っていたのはシェリーじゃないか! ティルトン伯から父上に喜んで婚約破棄の申し出が来るとも言っていたくせに、全然こないじゃないか!」


 ヒステリックに叫ぶシェリーに感化されたのか、険しい顔をして、エリックまで大きな声で怒鳴り始めた。声の大きさに驚き怯えた私は、身体を震わせ、その場から動けなくなった……。


「何を言ってるのよ! だいたいそういうのは格上の侯爵家から申し出るものじゃないの!?」

「だから父上が認めていないんだ! ティルトン伯の方からの申し出はまだなのか!?」


 まさかコルダ侯爵が認めていないとは……なるほど、まだ婚約破棄されていない理由は、それか。

 勝手に二人で決めて、私に宣言して……私が出て行って焦っているという所かな。当主同士が話し合う前に大事となってしまった、と。

 いくら子どもと言え、貴族に名を連ねるのであれば当主の決定に従って、余計な事をしないと教えられたのだけれど。


「出来るわけないでしょう!? お義父様が帰って来た時に婚約破棄の書面があれば喜んでサインするだろうって言ったのよ!? 伯爵家から申し出るなんて言ってないわ!」


 うん、その通りだ。私もそう思う。

 お父様は、シェリーの方で良いと思うだろう。きっとコルダ侯爵の事も説得するはずだ。勝手に行った事とはいえ、結局その通りに進むのだ。


 ――私は愛されていない存在だし。


 居ても、居なくても、同じ。

 放置され、生きる事に必死で……食べる物にも苦労する。

 自分に技術がなければ、とっくに飢えていたかもしれないのだ。……貴族の娘なのに。

 ティルトン伯爵家で過ごしてきた日々が脳裏に蘇り、目に涙が浮かぶ。


「此処に居たのか、イル」


 優しい……とても優しい声でかけられた言葉に、優しい手でゆっくりと持ち上げられ、温かい胸に抱きしめられる。


「……くだらんな」


 王太子殿下は、二人の怒鳴りあう声が聞こえていたのか、軽蔑の眼差しを向けてポツリと言い放った後、背を向けて王城へと足を進めた。

 私の背を、そっと撫でる手が優しくて……涙を隠すように、王太子殿下の胸に顔を埋めた。


 ――もぅ、このままで良い。


 猫の姿を保てて、魔法も使える。

 そんな現実逃避をしていたのと、王太子殿下が既に歩み初めていた為、私は二人が呟いていた声に気が付かなかった。


「お義姉様さえ……居なくなってしまえば……」

「それだな」


 ――と。


 このままで良いなんて思った私を殴りたい。あぁ、あの時は心が凄く弱っていたと認めよう、潔く認める。だからこそ、前言撤回する。


「にゃぁあああ!!」

「何をしているんですか、王太子殿下」


 私が激しく抗議の声をあげれば、側近の人が呆れた声で王太子殿下に問いかけた。


「猫はこう愛でるんだと、本に書いてあった」

「……どう見ても嫌がっておりませんか?」


 従者の人にも分かる、私の抵抗。しかし王太子殿下は、本にあったから、と諦める事をしない。


 ――私のお腹に顔を埋めようとする事を。


 こっちは!淑女なんです!レディなんですよ!

 むしろお腹丸出しにされて上を向かされてる時点で恥ずかしい!!

 先ほどから、全力で腕から逃れて逃げたとしても、すぐに捕まり上を向かされる……を何度繰り返した事か。


「にゃぁあああ!!!!」


 絶対に埋めさせてなるものかと、私は渾身の力を振り絞って、王太子殿下の顔が近づかないように腕を伸ばす。

 不敬?不敬とか言っていられない!

 むしろレディにこんな事する方がおかしいでしょう!……いや、猫の姿だけどさ。


「ほぅ……これはこれで良い……」


 顔を埋めようとする力が弱まったと思ったら、王太子殿下は恍惚の表情をして言った。

 もはや側近や従者の人はため息も出ないらしく、視線を背けて、今ある現実に目を向ける事すら拒否している。


「肉球……」

(こっちかぁあああ!!!)


 腹部のふわふわより、肉球のぷにぷにが勝った!……のか?

 とりあえず、腹部に顔を埋められる事を考えたら、手のひらを触りまくられる方がマシ……恥ずかしいけど、マシだ……。

 王太子殿下の顔を肉球でぷにぷに踏みつけると、何とも言えない顔をしだしたので、見ないように視線を背けた……。見てはいけないものを見た気しかしない。






 そんな人でも、我が国の王太子殿下。

 王位継承権第一位だ。


(三人……か)


 師匠の言う通り、舞踏会シーズンに入ってから、日々の刺客は増えている。

 屋根裏に忍び込んだだろう刺客を眠らせ、外に居るだろう刺客は痺れさせ、王城に忍び込み部屋まで近づいてきた刺客は麻痺させ、魔法具の通信で師匠に伝える。そうしたら師匠が引き取りにきてくれるのだ。

 更に、念には念を入れ、1回だけ物理攻撃を無効化するブローチも眠る時につけてもらっている。他には、毒だけでなく、睡眠薬や痺れ薬も無効化するタイピンまでも完成したのだ。

 作ったのは私だし、こうやって近くで効果や反応を見る事ができるので、すぐに対応も出来るのは美点だ。修正点があれば、すぐに動けるし。




 ◇




 深夜には無作法な者達が襲来してくる事はあっても、昼間は人目がある為か、とても穏やかだ。たまに毒や痺れ薬に魔法具が反応する事はあるけれど……。あと、媚薬の反応もあった。それは襲来してくる令嬢達の仕業だろう。未だ空席となっている未来の王太子妃の座を目指していると思われる。

 ……なんて面倒くさい。


「イル~! お茶にしよう!」


 視察に出た所で誘拐されるわけでもなく、襲撃される事もなく、今日も王太子殿下は仕事の合間に猫を愛でるのだろう。

 呑気なものだとは思うけれど、気を張り巡らせるのは疲れるというもの。……護衛を信じているとも言えるのか。

 腕の中から視線を巡らせれば、中庭の東屋にお茶の用意がされている。勿論、私は飲みやすいように皿へとお茶が用意されているし、お菓子は一口大で、猫用クッションが机の上に用意されている。

 ……まさに、至れり尽くせりである。


「料理長が、イル専用にと腕をふるってくれたぞ」


 にこやかに王太子殿下は言いながら、私をソファの上におろした。

 私は護衛だ。気を緩める事なく、魔法を展開して怪しい気配がないか探し、特に危険がない事を確認して口をつける。

 といっても、これは私専用なので毒見にもならないけれど。


(! 美味しい!!)


 お菓子を一口食べれば、その美味しさに思わず尻尾を揺らした。猫用だから味がしないかもと思ったのに……これは人間が食べても美味しいと感じる事が出来る程だ。王城の料理長とは、素晴らしい腕を持っている!!

 パクパクと、一心不乱に食べる私を、王太子殿下は微笑ましく見守り、自分も自身のカップに指をかけ口に運ぶ。


「ぐっ!」


 苦しそうな王太子殿下の声に、素早く顔を上げる。

 カシャンッと、カップの落ちる音と共に、表情を歪めながら崩れ落ち、地面に倒れる王太子殿下。叫びながら駆け寄る、護衛や側近達。

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